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白花香  作者: 桐生スケキヨ
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第007話「感触、思い、迷い」

【Tips:〇〇七 火に油を注ぐ】

・なにが起こったかは本文を確認してほしいのですが、このランナという少女は無邪気なのかなんのか火に油を注ぎがちで心配になる。

六煌剣士の恐るべき戦力も書かれているが、それどころではないパリィなのであった。

このふたり、いろいろな意味で大丈夫なのか心配になる……。


【〇〇七 感触、思い、迷い】


 だから、パリィにとってランナとは居場所であり、未来そのものでもある。それ程に、大きい存在となっていた。

 ずっとランナの傍にいる、いられるものだという暗黙の安心感というものがあったのだと、パリィは思い至った。

 その暗黙は暗黙なだけであり、いつ崩壊するかもわからない危ういものだということも。


「ランナ、わたしは……」


 あなたをどうかしたいと思っているのだろうか――そうつぶやいてしまいそうになった時、部屋の扉が軽く叩かれた。


『パリィ、いる?』


 ランナの声だった。


「ラ、ランナ?」

『入ってもいい?』

「え、ええ」

「ありがとう……ん? パリィ?」


 部屋へ入ってくるなり、ランナの視線はパリィの指先に飛ぶ。


「指!」

「手入れの最中に少しよ」

「自分の剣で切ったなんて、誰かに聞かれたら大変だよ。怒られちゃうよ?」

「そうね」

「もう」


 ランナは素早くパリィへと歩み寄ると、切った指がある方の腕を掴む。


「え、ランナ?」

「そのまましておいたらダメだよ」


 言うなり、ためらうことなくランナはパリィの指を口へと運び、傷口を吸う。


「ランナ!?」

「消毒。綺麗にしておかないと。小さい傷を侮っちゃダメでしょう?」

「そうだけど……」


 人差し指には、ランナの柔らかく温かい舌の感触が伝わる。

 ランナは自分よりも背が低い。頭を下げているため、ランナの髪は肩から胸の側へと零れていた。その髪の間に細く白いうなじがのぞく。

 肌の色にパリィはドキリとし、慌てて腕をランナから引き離す。


「も、もう平気っ。ありがとうランナ」

「うん、本当に?」

「え、ええ」

「気を付けてね?」

「少しぼうっとしてしまって」


 今もランナの顔を見ていると、思考は低速になりそうだった。自分がきちんと彼女と会話を成立させられているのか、そんなことが不意に不安になってしまう。


「そ、そう言えばランナ。これ」


 不安を振り払うように、パリィはルシェルから預かった戦闘香の小瓶をランナに手渡す。


「あ、これってもしかして、戦闘香?」

「そう。よくわかったわね」

「うん、少し嗅ぎなれない香りがしたから。もう完成したんだね。すごーい」

「試作みたいだけどね。これに個人個人、違う香をつけてとりあえずの完成になるみたいだから」

「へぇ、ありがとう。好きな香りでいいんだよね?」

「ええ。識別が本来の目的であったものね。外套(マント)に焚き付けて使うように、って」

「うん。パリィはもう香りは選んだ?」

「それがまだ。ランナは決めてるの?」


 問うと、ランナは顔をほころばせて頷く。


「うんっ。ずっと前から決めていた香りがあるんだ」

「なにかしら?」

「ふふ、内緒。パリィは絶対に選ばない香りだよ」

「そう? では楽しみにさせてもらおうかしら」


 穏やかでゆっくりとした口調のランナに、パリィの胸に重く淀んでいた鈍色の塊が消されていく。自然と、笑顔になることができた。

 パリィは改めて、自分をこんな気持ちにできるのはこのランナだけなのだと思う。


「あ、そうだパリィ。聞いて欲しいことがあるんだ」


 ランナは受け取った小瓶を腰裏にしまいつつ、そう切り出す。


「パリィと別れた後、ルシェル様と紫様にお会いしたのね」

「紫様に?」

「うん。なんでも、在城中の六煌剣士で話合いがあったとかで」


 戦か、あるいはそれに準じる『なにか』でもない限り、六煌剣士の招集というのは稀有なことだ。

 パリィの顔には微かな険しさが差す。


「珍しいわね?」

「それでほど大事ではないって、ルシェル様が。紫様も、こんなことで招集されるなんてって苦笑してたくらいだから、本当に大事ではないとは思うよ」

「それで、どういうことだったの?」

「後で詳しく連絡があると思うけど……」


 そう前置きをすると、ランナは声を潜めて続ける。


「脱走兵が出ている、って。剣士候補生の中に」

「まさか」


 一般兵の脱走ならば、時折は耳にすることがある。しかし剣士候補生となるとパリィは聞いたことがなかった。


「うん。パリィも知ってると思うけど、ティーシャの剣技は門外秘伝でしょう? 六煌剣技とは行かなくても、わたしたち候補生の剣技でも価値は高いものね」

「国外に脱走してると言うの? 剣士は剣と国に忠誠を誓う存在……脱走だなんて信じられない」

「でしょう? それでも、実際にいるらしくて。先月から八人、現行犯で斬られてるって、紫様が言ってた」

「八人も? 多いわね……。剣士付候補生?」

「ううん。今のところは、最終過程に入った候補生と、卒業訓練を終えた候補生たちだって」

「そこまで行っておきながら……」


 とは言え、訓練も最終段階、卒業訓練となるとその苛烈さは常軌を逸するものとなる。元来の才覚に加え、ある程度の運すら必要になると、パリィは今に振り返っても思える内容だった。

 脱走という選択肢が出てしまっても不思議ではないが、逃げる理由はない。本人が退くことを申請すれば、いつでも辞めることができるからだ。


「それも国外に……」


 パリィがつぶやくとランナが視線を下げ、小さめの声で言う。


「ティーシャ王国は三〇年前のトリミア侵攻戦争で一〇〇年ぶりに六煌剣士を投入した。結果、何倍もの戦力を持っていたにも関わらず、トリミア帝国は大敗……。あの戦争、わたしたちには勝ち戦だったけど、剣士の実力に他の国はすごく怖くなったんだと思う」

「六煌剣士ひとりは、兵数万に匹敵する――ただの伝説と思っていたことが現実と証明された戦争だって聞いたわ。ルシェル様を間近で見ていると、確かにそれも納得できるものね。それに、わたしたちだってその自負はあるから」

「うん……。だから、戦争を起こそうなんていう考えをする人がなくなればよいのだけど……」


 ランナは勇気のある人間であると同時に、優しさも強い。

 戦争がどんな悲劇を生み出すかも理解している。

 パリィは俯くランナの頬に、そっと自身の手の甲を添えた。


「パリィ?」

「大丈夫よ。大きな戦争にはきっとならない。今回の脱走の件もきっと上手く収束させられるわ」

「……うん。ありがとう。ごめんね、暗い顔しちゃって」

「ううん。いいのよ。さぁ、早く着替えていらっしゃい。休める時に休むのも剣士よ」

「えへへ、そうだね。じゃあ少ししたらお風呂に行こ? パリィは先に行ってて」

「ええ、わかったわ」

「ありがとうパリィ」


 ランナは軽く手を振り、眩しい笑顔を残して去って行った。

 パタンと扉が閉まると部屋には静けさと寂しさが注がれたようだった。

 ふと、パリィは先ほどに切った指先へと視線を向けた。出血は止まっており、痛みもない。代わりに残っているのは、ランナの唇と舌の感触。


「…………」


 ここにランナの唇と舌が触れていた――不意に心臓が高鳴る。

 ほぼ無意識に、切った指がパリィの口元へと運ばれその先端が彼女の上唇に触れた。

 ランナの舌が触れていた傷口。そこにはまだ微かにあの舌の感触が残っている――もしここに自分の舌が振れたら――。


「っ!」


 パリィはハッと指を離し頭を振る。


「わたしはなにを……」


 自分の心が自分から離れて体を動かしてしまったような不安感が押し寄せる。同時に、その感覚はパリィ自身が自身を汚らわしいものと思わせた。

 強めに頭を振り自己嫌悪を振り払う。

 自己嫌悪は判断を鈍らせ、自棄に至らしめる。鈍る判断と自棄的行動は自身のみならず、周囲の仲間にも甚大な被害を及ぼすことはパリィだけでなく、ティーシャの剣士は叩き込まれている。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き、パリィは思考を切り替える。


「……大丈夫」


 胸に手を当て再度の深呼吸をしてから、パリィは浴場へと向かった。


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