第011話「獄炎の黒」
【Tips:〇一一 常識人かと思いきや】
・剣士様たるもの、清廉潔白の聖人だ、ということはなく、普通に俗っぽいこともしている。
しかし異常なまでの戦力を個人が持ち、さらには感情も人並みにあるとなると……いろいろ危うくはあるまいか?
【〇一一 獄炎の黒】
翌朝。
地平線から現れた陽が微かな明るさをもたらしてくれるころ、パリィは宿舎裏にある訓練場にいた。
ここは城内にある訓練場とは違い小規模な広場程度なのだが、天羽妖精隊宿舎の真裏にあるので、ほぼ専用のような場所になっている。
パリィがそこに来た時は、まだ誰もいない。しんと静かな空気はたっぷりと水分を含んでおり、緑と石壁の匂いがしていた。
昨日はランナでの部屋の一件からのことを、あまり良く覚えていない。
一緒におやつを食べて、書類を書いて、夕飯――あまりにも緩やかな時間を過ごすことができたというのにだ。
おそらくはランナをあまり見ていなかった、見られなかったのだとパリィは自分を納得させる。だがぐっすりと眠ることはできず、明るくなるのを待って宿舎を出て来た。
訓練場に着くなり、パリィは深く空気を肺へと吸い込む。
冷えた朝の空気が血液に乗って体内を巡ることを想像すると、自分の睡眠を妨げていたもやもやがすっと消えて行く気がした。
「んっ」
全身に力を走らせる。
小指の先端にまで力が行き届いた感触を掴んだ瞬間にそれぞれの薬指を剣の柄に添える。同時、音もなくふた振りの剣が鞘から抜き放たれる。
両腕を開き剣を抜く――同時に開かれる外套の姿がまるで天をたゆたう妖精の羽根のように見える――天羽妖精との名は誰かがこの抜刀姿を見て囁いたと言われている。
パリィは剣が切り裂いた空気の感触も、軽く握ったその手に感じていた。
両手を伸ばしたまま、パリィはくるりと体を回転させる。緩やかな動作ではあるが、重い剣の動きは周囲の空気を巻き込む。
一回転が終わる頃、パリィは左手に持つ剣の切っ先を地面すれすれへと下げる。そして軽く地面を蹴り、自身の体を浮かび上がらせる。
すると、パリィの体は左手の剣先に支えられる形で逆立ちのような状態へとなる。
土の地面に剣先がわずか、髪の毛一本ほど沈み込んだだけで、切っ先はパリィの全体重を支えている。
外套は垂れ下がらないよう、踵に乗せる。
「ん……」
剣倒立という、剣士技のひとつ。
体重移動と集中力が必要される、高度な技のひとつであり、すべての剣士技の基本動作と言われている。
ゆっくりと右手の剣を下げ、軸を左手と入れ替える。一瞬の動作により、パリィの体はぴくりとも動いていないように見える。
続き、パリィは両脚を大きく開き、体を捻るように着地。体を上げると同時、右手は背中から胸方法へ、左手は胸から背中方向へと手の甲に当てた剣を回転させ、そのまま地面を蹴り体を宙高くへと羽ばたかせる。
手の甲側で剣を回転させる剣士技は連剣と呼ばれ、これだけでも並の鎧ならば紙くずのように斬り裂く技だ。
落下を始めたパリィは連剣を止め、逆手に剣を持ったまま着地。すると瞬間遅れて彼女の周囲には無数の、握りこぶし大の穴が開いた。
「……はぁ」
その穴を見て、パリィはため息をついた。
六煌剣技のひとつ「流星斬」という技なのだが、あまりにも不完全だったからだ。
もっとも、六煌剣技は継承者にのみ口伝されるという技であり、パリィは誰に教わったわけではない。二度ほど、ルシェルが繰り出しているのを見ただけであった。
「ルシェル様は抜剣からできていたけど……どうやるのかしら。跳んで、連剣からならできるけど、これじゃ……」
ルシェルの流星斬は穴が小さく、数が多い。穴が小さいということは、剣の刺し込みが鋭いということになる。
速さも鋭さも、自分はまだ遠く至らない。
「よし、もう一度」
そうつぶやいた時、不意に声をかけられた。
「流星斬、すごいなパリィ。よくできてるじゃないか」
「っ!」
突然の声に思わず剣を身構えてしまうが、その剣はすぐに下ろされる。
「黒様!」
パリィはすぐさま剣を納め膝を突く。
「おいおいやめてくれよそんな真似。そんなことされるような身分じゃねぇっての」
六煌剣獄炎の黒を継承した剣士、レビュン。ルシェルや天羽妖精隊の面々とは、継承以前からの知り合いだった。
「それからその呼び方もな。なんか老け込んじまったみたいだろ。今まで通り、レビュンでいいよ」
「は、はい。では――」
パリィは頷き、姿勢を戻した。
レビュンは少しの戸惑いを見せるパリィに、朗らかな笑みを見せている。
パリィはと言うと、密かに行っていた六煌剣技の練習を見られてしまい、気恥ずかしかった。
「ルシェルに教わったのか?」
「いえ、これは見よう見まねで」
「はは、なるほどな。よく見てるな、さすがだ。けどなパリィ、連剣から出したようだけど、本来は連剣は必要ないんだ」
「え? レ、レビュン様?」
「こいつは速さじゃない。剣倒立のように重心の移動をしたら、次はその維持なんだ。だからパリィの流星斬は速さの割には威力が落ちてたんだな。重心の維持を切っ先に乗せたままにしておけば、速さも出るぜ」
「な、なにをわたしに……!」
「なにってやり方だろ?」
日常的なことを教えるかのように、技の極意を語るレビュンにパリィは焦りすら覚えた。
そんなパリィを見透かし、レビュンは笑う。
「はは、気にするなよ。なんだ、あれだろ、かび臭いしきたりっていうか。んなもん、いずれ覚えるんだから早くに教えた方がいいに決まってるのにな」
「ですが……」
「いいからいいから。よし、見てろよパリィ?」
「え、レビュン様!?」
レビュンはためらうことなく、外套を返して自身の剣「獄炎の黒」を抜いて見せた。それは黒く透き通る、宝石すら及ばない輝きを纏う刀身をしている。パリィも間近で見るのははじめてであり、一瞬その美しさに眼を奪われてしまう。
「重心を維持するのは切っ先よりちょい元寄り。この辺な、この辺。いいか? ここに乗せる感じを思い浮かべて見てくれよ。そうするとな」
レビュンは説明をしつつ、剣を鞘へと収める。
「そりゃっ」
笑顔のままに剣を抜き放つ。
一瞬の動作。黒く透き通った刃が豪雨のごとく地面に降り注がれるのが見えた。
そして、地面には細かな穴がパリィの開けた数の三倍ほど、レビュンの足下に開いていた。
「す、すごい……」
「本来は正面に撃つものなんだけどな。一対一の時は外から中に集約させて、一対多の時は逆にやるってのがいいみたいだ。ちょっとしたコツがあるけど、パリィならすぐにできるよ。もうそんだけできてたんだからな」
レビュンは笑顔のまま剣を納める。
すると急に神妙な顔になり、声を潜めた。
「け、けど一応今のは内緒な? ガルに見つかるとあいつ、うるさいから」
その顔がおかしく、パリィは思わず笑ってしまう。
「はい、わかりました。紫様には特に内緒にしておきます」
「お、笑顔に戻った」
「え……」
「剣の訓練にしても、表情暗かったからな。なにか悩みでも……って、悩みのないやつなんかいないよな、俺くらいしか」
へへへとレビュンは笑ってみせる。
「そんなことありませんよ」
「いやいや、俺はお気楽生活だぜ」
「本当ですか?」
「本当本当。今日だって、じじいに頼まれた買い物に来ただけだしな」
「……ルシェル様に会いに来たのではないのですか?」
「うーん……はは、痛い所を突くなぁパリィは」
レビュンは軽く俯き、前髪で顔を隠す。パリィからはどこか苦笑しているように見えた。
「聞いてるだろ? 振られてな。まぁお互いの立場も変わったし、俺だってあの頃のようにはいかなくなっちまって……まぁこのざまってわけでな」
人好きのするレビュンの笑顔が、今は返って痛々しく思えた。ルシェルは昔、レビュンは気持ちを隠すのが剣士にしては下手すぎると言っていたことを、パリィは今理解することができた。
だから。
「レビュン様……ルシェル様は今でも――」
余計なことを言いかけてしまう。だが。
「待った。それ以上はなしだパリィ」
レビュンは止める。
「お互いに折り合いのついたことなんだ。こういうのって、なるようにしかならないからな」
「申し訳ありません……」
「いやいや、パリィのそういう気持ちは嬉しい。間違いなく。可愛い子に心配されるってのは悪くないって思ったよ」
「……もう」
気遣いの感じられる軽口に、パリィも笑顔で答えた。
「パリィもいい人見つけていいんじゃないか。たまには、そういう人見つけて甘えるのもいいものだぜ、きっと。特にパリィは日頃から真面目だからな。もっとも――」
「もっとも?」
「変なやつだったら俺が許さないけどな、その相手」
「ふふふ」
「いい笑顔だ。おまえたちは笑ってる方がいいよ。じゃ、俺はもう行くけど、ここで俺と会ったのは内緒な?」
「はい。……そうやって内緒ばかり増やしているから、振られたんですね?」
「ぐぉっ、これはまた厳しい……へへ、まぁ遠からずだな。じゃあなパリィ」
「あっ」
別れの挨拶をしたかと思うと、レビュンは姿を消すかのような俊足でその場から立ち去った。
六煌剣を継承したレビュンは今は引退した先代と山暮らしをしていると聞いていた。そのレビュンがわざわざ城に来ているということは、先日の招集となにか関係があるのだろうかとパリィは考えた。
しかし、それは考えてもしかたがないことと割り切り、教えてもらうことのできた流星斬を試してみようと思った。
すると――。
「パリィ!」
ランナの声が訓練場に響いた。




