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月魂の記|〜絶望の月読術師、闇を拓き黒き理を屠る〜  作者: 雪丘 晴佳世
零章 虚空編 〜絶望の月読術師、闇を拓き黒き理を屠る〜 

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8/11

第8話 愛で喉を裂く

 十五歳を過ぎた私は、王宮の最深部に「黒曜国錬成院(れんせいいん)」の前身となる小規模な研究所を構えた。

 周囲の月読術師たちは、私の若すぎる栄達(えいたつ)を毒の混じった衆波で(ののし)ったが、そんなものは視界の端に流れるノイズに過ぎない。

 私の演算は、常に一つの解――「玉藻(たまも)」へと向かっていた。


 黒曜国でも「成人」として、伴侶を持つことを許される年齢だった。


 研究室の冷たい白磁(はくじ)の床の上で、私は日々、音を波形として視覚化する術式を編み上げていた。

 玉藻と筆談を重ねるたび、私は彼女の唇が描く完璧な正弦波(サインカーブ)に魅了され、同時に、それを「音」として享受(きょうじゅ)できない己の欠陥を呪った。


(ーー私は、彼女を呼ぶための、独自の周波数を持ちたい。)


 ある夕暮れ、玉藻が密かに私の部屋に運び込んだのは、王宮の冷えた銀食器にのった豪華な食事ではなく、彼女が自ら握った素朴な麦の飯だった。

 王宮を包む人工的な沈香(じんこう)の匂いとは違う、陽だまりと土の入り混じったような、生きた人間の匂い。


 彼女は雑草の中に咲く、白詰草(シロツメグサ)のように控えめで、それでも周囲に埋もれぬ可憐さで隣に佇んでいた。

 握り飯を頬張った後、玉藻の淹れてくれたお茶で口内を潤すと、いつものように筆談する。


 私は玉藻といる時、自分を知って欲しくて錬成の理論理屈を紙に書いて説明するが、彼女は理解できない。

 ただ、嬉しそうに声のない会話を促して、「傾聴(けいちょう)」してくれる。人生の中で最も幸福な時間。


 仕事の時間を終えて退出する時、玉藻は私に話しかける。

「紫暮様。あまり、無理をなさらないで」

 彼女の唇が紡ぐ波は、私の演算回路を一時的に停止させるほど、穏やかで美しい。

 私は衝動的に、彼女の指先を、自らの唇に押し当てた。

 彼女の指は震えていたが、逃げなかった。黒曜石の瞳に、困惑と、それを上回る深い悲愛の色が滲む。


 それが、私の「無ではない、心を持った意思」が発した、唯一にして最大の過ちだった。

 玉藻との筆談は、私に白詰草の花言葉の通り、「幸福」という名の激痛をもたらした。


 黒鉛で紙に刻まれる彼女の言葉は、冷たい文字のはずなのに、そこからはいつも陽だまりのような波が伝わってきた。私は彼女に会う時間を確保するために、王宮の掃除の時間を徹底的に調べ上げ、自分の屋敷の廊下で、あるいは書庫の陰で、偶然を装って彼女を待った。


 ある日、私は紙にこう(つづ)った。


 『貴女が奴隷として使役されている訳を、訊いても良いですか』


 立ち入った質問にも、玉藻は丁寧に筆記で答えた。彼女は、黒曜民の父親と他衆の母親との間に望まれずに生まれ、黒曜民の新しい伴侶の女が弟を産んで疎むようになったため、奴隷主人に売られたという。

 黒曜の黒い血が絶対である、という純血思想が蔓延(はびこ)っている黒曜国の社会で、混血であるという事実は人権が尊重されないことと同義であった。


(彼女の境遇は、私と似ている。それでも、恨むことなく故郷の弟を慈しんでいる)


 健気な玉藻に、私は、もう一つの質問を綴った。


『なぜ、私を怖がらないのですか』


 玉藻は少し困ったように眉を下げ、それからいつものように、私の目線の高さまで膝を折った。彼女は、王宮の誰もがするように私を「神童」や「怪物」として見上げるのではなく、ただの、傷ついた一人の子供として見つめていた。


 彼女は紙を受け取ると、ゆっくりとペンを走らせた。


『あなたは、誰よりも静かで、スミレの花ような愛らしい色をしているから』


 花ような愛らしい色。

 生まれてから一度も、誰も私にそんな言葉を投げたことはなかった。

 彼女の指先が私の髪に触れようとして、ためらい、そっと撫ぜた。愛おしむような優しい手つきと眼差しに、私の喉の奥は、再び熱く締め付けられるように震えた。


(ーー聞きたい......この人の声を。貴女と話したい......何としてでも......!)


 筆記でのやり取りは、あまりにまどろっこしい。

 文字は「意味」を伝えるが、彼女の喉から放たれる「波」そのものを受け取ることはできない。

 読唇術を覚え、彼女の口が『紫暮様』と動くのを見るたび、私の内側で猛烈な嫉妬が渦巻いた。

 世界に満ちているはずの「音」を享受できる他のすべての人間への、どす黒い嫉妬だ。


(ーー私の耳が死んでいるのなら、私の(のど)でその音を再現すればいい)


 それからは、狂気にも似た日々が始まった。

 私は王宮の書庫から、人体図と、喉の構造、そして「発声」の理論に関するあらゆる文献をかき集めた。

 肺から押し出される空気が、声帯という薄い膜をどう震わせ、口腔という空洞でどう反響し、舌と唇の形でどう変化するのか。数理モデルとして、音を分解し、再構築する。


 だが、私には「正解」が聞こえない。

 自分が発した音が、彼女が発する美しい波と同じ形をしているのか、それとも泥を吐くような不快なノイズなのか、判別する術がなかった。


 夜な夜な、誰もいない研究室の奥で、私は自分の喉に指を突き立てた。

 鏡の中の自分と対峙し、人体図の通りに喉仏(のどぼとけ)を動かそうと試みる。


「……あ……、……お……」


 喉が、無理やり動かされたことに悲鳴を上げる。吐き気が込み上げ、血の混じった唾液を吐き捨てながら、私は何度も、何度も、記憶の中の彼女の唇の形を模倣(もほう)した。


(ーー私は、人間だ)


 王に意思を持たない下僕(しもべ)のように扱われるたびに、心の中で唱えた。


(ーー私は、意思を持ち、音を愛でる、彼女と同じ人間なのだ)


「音」という概念を持たぬまま、音を作ろうとする。それは、暗闇の中で一度も見たことのない花を、指先の感覚だけで描こうとするような、絶望的な作業だった。

 指先から伝わる喉の振動だけが、私の唯一の道標(みちしるべ)だった。


 ある晩、喉を酷使しすぎて、私は激しく喀血(かっけつ)した。

 洗面台に飛び散った鮮血を見つめながら、私は恍惚(こうこつ)とした。

 この血は、私が彼女に近づこうとした証だ。

 痛みは、私が人として生きている証明だ。


(ーーもう少しだ。もう少しで、私は、あなたを呼べる)


 私は震える指で、鏡に映った自分の唇をなぞった。

『た、ま、も』

 音にならない形だけが、暗闇の中で虚しく、けれど熱く刻まれていた。







___________________________




<前回までの登場人物>


紫暮 音無(しぐれ おとなし)

零章の主人公。

耳が聞こえず、言葉が話せない。紫の髪。左右で異色の双眸(右目は灰色の弱視、左目は紫色のオッドアイ)の少年。三十年を超えられない短命な紫耀(しよう)の里で生まれ、親に売られた。

紫耀と黒曜国では不吉とされる身体障害者だが、聴力と一部の視力が閉じた分、圧倒的な演算能力を持ち、他者の感情や生命の脈動を「衆波(しゅうは)」として視覚的に捉えることができる異能者。

錬丹術を扱う熟練の術師を凌駕する鬼才。



玉藻(たまも)

音無より年上の初恋の女性。

黒髪、黒い瞳。黒曜の純血思想の蔓延る社会で、他衆との混血のため、奴隷主人に買われて王宮で下女として働く。音無の自室には掃除をしに週一でやってくる。故郷に異母兄弟がいる。音無のために「幸運」の花言葉を持つ白詰草(シロツメグサ)を活ける。



___________________________



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

noteでは、本作のビジュアルイメージ(AI生成イラスト)や、物語の背景を深掘りする記事を順次公開しています。

https://note.com/yukioka_gekkon/m/md7a988d57966(※マガジンへ飛びます)

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