第6話 禁忌の前触れ
<前回までの登場人物>
・紫暮 音無
零章の主人公。
耳が聞こえず、言葉が話せない。紫の髪。左右で異色の双眸(右目は灰色の弱視、左目は紫色のオッドアイ)の少年。三十年を超えられない短命な紫耀の里で生まれ、親に売られた。
紫耀と黒曜国では不吉とされる身体障害者だが、聴力と一部の視力が閉じた分、圧倒的な演算能力を持ち、他者の感情や生命の脈動を「衆波」として視覚的に捉えることができる異能者。
錬丹術を扱う熟練の術師を凌駕する鬼才。
・阿猿
猿の半獣の少年。通常の半獣は髪(体毛)と瞳が異なる色で正体が露見するが、黒い髪と瞳のため正体を隠し、この時代、黒曜国では半獣は国外追放だが、違法滞在している。親に捨てられ月読術師養成所の所長の下で、音無の世話係として働く。
耳が良すぎるせいで聞きたくないものまで聞き、話すのを拒絶するようになった。音無と同様、錬丹術を扱うのに向いた「異能」を持つ。
・消墨
秋官長。黒曜国の冷徹無慈悲な法を司る高官の男。黒い髪と瞳の黒曜民。
・黒ヶ峰
月読術師養成所所長。黒い髪と瞳の黒曜民。錬丹術に秀でた音無を資源として養成所に買った男。
・黒泡
老練の術師師範。黒い髪と瞳の黒曜民。
八歳の晩冬。
「……信じられん。わずか八歳で、禁忌に触れる恐れの錬成を平然と成し遂げるとは」
私にとっては、ただの退屈凌ぎに行った錬成術と霊術の戯れだった。養成所で飼育していた突然死んだ若い馬に、年老いた馬を掛け合わせた。
合成獣の錬成においては、霊術も必要になる。錬成後に魂が拒絶して離れそうになった場合に、繋ぎ止め憑依させる術が必要なのである。
同じ種族同士での「合成獣」の錬成で、二頭の肉体が融合し、一体になった馬は再び若々しく走り出した。その錬成理論を紙に落として提出した。
老練の術師師範、黒泡が、震える指で紙を落とす波が見える。彼の周囲には、澱んだ嫉妬が粘着質な紫の煙となって漂っていた。漆黒の髪を持たぬ紫耀の異端児。彼らが放つ卑屈な侮蔑は、私の鼓膜を震わせることはない。ただ、研鑽を邪魔する悪意のノイズとして、私の神経を苛立たせた。
この国の術師は、物理法則を活かした「錬丹術」か、霊感の強い神官が操る「霊術」のどちらかに偏る。しかし、私にはその双方を統べる才があった。「霊術」には言霊が必要であり、言葉を理解しない私には、実現できない術がいくつか存在した。それが腹立たしく、この世の禁忌にあたる「人体への憑依術」も実現できない机上の理論だけを分解し再構築していた。
文字から学ぶ言葉は、私にとって冷徹な「数式」と同義であった。唇の動きと情報の連なりを記号として処理し、対象を分類するための札として扱う。情緒もなければ、真実味もない。音の無い世界が、情報を純粋な「鎖」として機能させた。
だが、残酷な天秤が私の行く末を計っていた。
我ら紫耀衆の寿命は、黒曜衆の半分にも満たない。どれほど術を磨き、叡智を極めようとも、私より劣る凡夫より先に朽ちる。その焦燥が、千年を生きる完璧な精霊神と、欠陥だらけの己との対比による憤りとなり、私を神話の解析へと駆り立てた。
(ーー人柱となった精霊の魂は、今どこにある。)
八光嶺の雲上に座する精霊殿。千年周期で人間の女から生まれるという神。正の力を練る錬丹術と、負の力を統べる霊術。その両輪を回し続け、私は奈落と天を繋ぐ「橋」の存在を演算し続けた。
その頃、月読術師養成所の所長である黒ヶ峰は、私の才を使って金を得ようと躍起になっていた。私を餌に、黒曜王を釣ろうと書状を送り、私の功績を吹聴して回っていた。
十歳になると同時に、黒曜王への謁見が許された。
謁見の間は、深い青の絨毯が敷かれ、壁には月華を模した銀の装飾が鈍く光る。玉座に座る王が放つ言葉は、私の整然とした演算回路を掻き乱す、粘りつくような低周波のノイズとなって空間を侵食した。
王は唇を動かす。豪華な金糸を編み込んだ外套の衣擦れさえも、私には不快な摩擦の波として映る。
「天は二物を与えた。月の精霊が意図せず創り出した鬼才のようだ。この国に、その叡智の全てを捧げよ」
そして、私の傍にいた黒ヶ峰には両手一杯の金貨の入った小包を渡された。
私の住まいは国王の住まう奥宮のさらに奥、王の寝室と回廊一本で繋がった「離れ」に置かれることになり、側仕えとなった。黒ヶ峰の所有地から移される際、所有物を一つだけ所持することを許され、阿猿を所望した。路銀にも満たずに安く買われた阿猿は、無料で私に譲渡された。
黒曜国において実年齢こそ幼いが、宮廷月読術師たちを凌駕していた私の才能と、異彩を放つ瞳の色彩を、王は愛でた。そして、指先の一つさえも自らの独占下に置くことを強いた。
私にとって、王に仕える時間は空虚そのもの。「無」である。王の命令はすべて脳内で周波数として分解され、無機質な波形へと変換される。王の下僕となるのは、禁書庫の閲覧権と莫大な研究費を得るための、事務的な等価交換の儀式に過ぎない。
精神を肉体から切り離し、意識を神話の深淵へと逃亡させることで、私は己の尊厳を無意識に繋ぎ止めていた。
王宮の禁書庫は、冷え切った静寂が支配する葬儀所のようであった。
天井まで届く書架には、山羊の皮で装丁された古文書や、幾何学的な紋様が彫り込まれた粘土板が、偏執的な秩序で並んでいる。私はその背表紙を指先でなぞりながら、この国を縛る「法」という名の術式を解体し続けていた。
法治国家・黒曜国の絶対性は、国民の魂に刻まれた「条件分岐」にある。
『国外で軍を置けば死に至る』
『国境にまつわる王命に背けば魂が壊死する』
それは、神の領域に等しい完璧な論理構造に見えた。だが、私は知っている。この世に、入力と出力が完全に一致する永久機関など存在しないことを。
(――熱は逃げる。エネルギーは変換の過程で必ず「塵」を落とす。)
私は、重厚な石の床に指先を立てた。
導器の指輪をつけた指先から、微細な衆波を流し込み、王宮の礎に刻まれた巨大な守護術式の「余熱」を観測する。
私の脳内では、黒曜国の法典そのものが巨大な立体幾何学として再構築されていた。法の条文一つ一つが光の鎖となり、複雑に絡み合って国民を縛り上げている。
だが、視覚を極限まで研ぎ澄ませ、数万の術式の交差点を走査したその時。
私の網膜に、一瞬だけ「論理の空白」が弾けた。
(ーー見つけた。)
「血の盟約」は、本人の自覚をトリガーとして発動する。自らが『法を破った』と認識した瞬間に、精神と肉体が連動して崩壊する仕組みだ。
ならば、その「認識」をバイパスすればどうなる。
自己の意識を多層化し、深層心理で「これは法に触れる行為ではない」と定義し直した上で、表層の肉体に禁忌を遂行させる。あるいは、法が『人間』と定義していない異形に魂を移し替えれば、盟約の対象外となるのではないか。
法の網の目は、あくまで『人としての理』を縛るもの。
ならば、その理の外側――人ならざる「獣」や、死してもなお動く「魂の器」に手を伸ばせば、この完璧な檻は、一転して私を守る「揺籃」へと変わる。
「……ふふ」
私の喉が、無意識に震えた。
それは笑い声ですらない、空気が漏れる不快な振動。
紫耀衆の短すぎる寿命という絶望的な数式。その右辺に、法の隙間から引き摺り出した「禁忌の変数」を代入する。
演算の結果、導き出されたのは――神への反逆、そして魂の変異。
王の私室へ向かう廊下で、私は壁の法典を見上げた。 そこには、里で浴びせられた罵声よりも冷たく、王の欲望よりも強固な「死の宣告」が刻まれている。
しかし、今の私には、それが脆く崩れやすい砂の城にしか見えなかった。
禁書の山を閉じる私の指先には、法の隙間から引き摺り出した、未来を書き換えるための不吉な光が宿っていた。
しかし、この時の私はまだ知らなかった。
演算不可能な、たった一人の「色彩」が、私の冷徹な世界を根底から叩き壊すことになるのを。
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