表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月魂の記|〜絶望の月読術師、闇を拓き黒き理を屠る〜  作者: 雪丘 晴佳世
零章 虚空編 〜絶望の月読術師、闇を拓き黒き理を屠る〜 

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/11

第1話 紫暮音無──無音が生んだ鬼子

 産声(うぶごえ)の響きさえ、この世界は拒絶した。


 私が生を受けた瞬間、万物は静止し、大気は凍りついたかのような沈黙を強いた。泣いていたのか、あるいは無機質な空白としてそこに在ったのか、確かめる術はない。


 物心ついた時から、視界は極彩色(ごくさいしき)の「衆波(しゅうは)」という狂気に塗り潰されていた。


 唇が動けば、目に見えぬ振動が()ぜ、火花となって網膜(もうまく)を焼く。憤怒(ふんど)(はら)んだ者の波動は、腐敗した林檎(りんご)のような赤黒い(とげ)となって突き刺さり、嘲笑(ちょうしょう)を浮かべる者のそれは、底なし沼の泥のごとく粘ついてうねる。


 音を()さぬ私にとって、この世は意味を剥奪(はくだつ)された「視覚の濁流(だくりゅう)」に過ぎなかった。


「……不吉な。あれを見ろ、あの気味の悪い眼を」

「まるで鬼子(おにご)だ」


 里の女が吐き捨てた波は、毒々しい紫の(きり)となって漂う。


 紫と灰色の左右で彩度の異なる(いびつ)双眸(そうぼう)。音を拒絶したその欠落。

 里の人々は私を、精霊神の加護を失った「不吉な魍魎(もうりょう)」と評し、忌み嫌った。降り注ぐのは、重い石つぶてと罵声の飛沫(しぶき)


 実の母でさえ、私が(すが)ろうと伸ばした指先を、猛毒を避けるような仕草で振り払った。


「寄らないで。……お前さえいなければ」


 触れた母の肌は、厳冬(げんとう)の氷よりも冷酷(れいこく)だった。彼女から放たれる拒絶の波は、鋭い銀針(ぎんしん)となって私の眼球を執拗(しつよう)(えぐ)る。


 しかし、孤独に(さいな)まれることはなかった。私にとって人間とは、道端(みちばた)に転がる石塊(いしくれ)や、立ち枯れた老木と大差ない「無機質(むきしつ)な観測対象」に過ぎないからだ。

 私は、眼前に広がる波をこね回し、摂理(せつり)を組み替える遊戯(ゆうぎ)没頭(ぼっとう)した。 物質を透過し、因果(いんが)を解体する。


 父は愛情の代わりに、一個の導器(どうき)を私に投げ与えた。紫金(しきん)の原石が埋め込まれたガラクタのような銀の指輪。後に、その存在を理論的に知ることとなる「錬丹術(れんたんじゅつ)」の触媒となる器具であった。


「それを使って、外に吐き出せ。内側に溜め込めば、お前の出来損(できそこ)ないの体は破裂する」


 父が私に向けた唯一の言葉には、鉄錆(てつさび)のような無関心の波が混じっていた。 それは私のためではなく、隣に立つ母に状況を説明するための言葉。私に話しかけても無意味だと、二人の冷めた目が語っていた。


 夜、一人で指輪をはめて夜空にかざすと、石が紫白(しはく)の光を(まと)った。怒ることも泣くことも、声を出すことすらも知らなかった私は、胸中の(もや)を手のひらに伝えた。 指輪から一筋の光線が、流れ星のごとく走って消えた。


 この時、初めて己の内面を外に表現し、吐き出す術を得た。 私にとって、あの光線は人生最初の「叫び」だった。


 六歳になる頃には、熟練の術師が一生を捧げて到達する奥義を、砂遊びの延長で再現していた。 土間(どま)に転がる乾燥した薬草に指先を触れる。


(――収束(しゅうそく)。)


 念じれば、空間を漂う衆波が一点に凝縮され、鼻を突く青臭い香気が、瞬時にして脳を痺れさせる霊薬(れいやく)芳醇(ほうじゅん)な香りへと転じ、琥珀(こはく)色の煙を上げた。


「……これは、金になる」


 それまで冷淡だった父の瞳に、濁った野心の波が黒く渦巻(うずま)いた。


「商談は済んだ。支度(したく)をしろ。お前は今日から国の所有物だ」

「ーーー」


 私はただ、観察していた。大人たちの強欲が、悪臭を放つ(あぶら)のように私を包囲する。だが、私の心に在るのは、感情を削ぎ落とした静謐(せいひつ)な「無」のみ。


 指に緩い、安物の導器の指輪。肌を刺す粗末な麻布(あさぬの)の感触。それは、里で与えられていた唯一の所有物だった。 市場の家畜と同じく、私は法治国家・黒曜国(こくようこく)へと競り落とされた。


紫暮音無(しぐれ おとなし)』 ーーその無機質な商品名を添えて。


 生まれ育った紫耀(しよう)衆領(しゅうりょう)とは、あまりに全てが異なっていた。国境の外側に広がる野蛮な里に敷かれていたのは、精霊の気まぐれに似た緩い「(おきて)」に過ぎない。


 しかし、黒曜国の漆黒の門をくぐった瞬間、私は目に見える「文字の鎖」に絡め取られた。 ――「血の盟約(めいやく)」という名の、逃れられぬ呪縛(じゅばく)


 鉄の臭いが鼻腔(びこう)を突く。 門を警備する兵士たちが纏うのは、光沢を消した灰色の軍服。その(えり)元には、銀糸で緻密(ちみつ)に縫い取られた法典の一節が、まるで皮膚に食い込む刺青(いれずみ)のように鈍く光っていた。彼らの衆波は、一個の乱れもない「硬質な鉄灰色(てっかいしょく)」に統一され、個人の感情など入り込む隙もない。


 建国神話に刻まれた焦土(しょうど)の記憶。内戦の果てに呼び覚まされた鬼神(きじん)が、国土を焼き尽くした歴史。この国は二度とその門を開かぬよう、法という名の呪いを国民の魂に深く刻印した。 黒曜衆(こくようしゅう)の戸籍は、生まれながらにして霊術の契約書と同義だ。


 石造りの冷徹な街並みを歩く民衆の衆波でさえ、どこか規律正しく、冷え切っている。


(ーーこの国そのものが、巨大な術式((おり))なのだな。)


 国境を越えれば、軍を国外へ動かそうとすれば、本人の意志に関わらず『血の盟約』が発動する。 重要な記憶を代償に差し出すか、四肢の自由を奪われるか、あるいは心臓が脈打つことを忘れるか。


 この国で法を犯すことは、存在そのものの解体と、残酷な等価交換(とうかこうかん)を意味していた。





最後までお読みいただき、ありがとうございます。



設定補足:世界観・用語

衆波しゅうは

この世界に満ちる生命霊力の奔流です。通常の人間には見えませんが、聴覚と視覚の一部が閉ざされた対価として、音無にはこれらが特異な「色や形」として見えています。彼にとっての視界は、常にこの霊的な濁流の中にあります。

……と、格好いい設定を書きましたが、オランダの深夜に一人でこれを打ち込んでいる私の衆波は、今にも寝落ちしそうな「ドブネズミ色」をしています。



noteでは、本作のビジュアルイメージ(AI生成イラスト)や、物語の背景を深掘りする記事を順次公開しています。

https://note.com/yukioka_gekkon/m/md7a988d57966

(※マガジンへ飛びます)



次回第2話

明日の20時頃に更新予定です!


少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援いただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ