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第12話「第三王女の憂鬱」(16)


 リーンキュラスはノアの瞳を、その手のひらでゆっくりと閉じて、そのまま冷たい地面へと寝かせた。

 既に彼女が手遅れであることは分かっている。これまで十数年間ともに過ごしてきた従者が、天に旅立ったという事実は、リーンキュラスが一番よく理解していた。


「……リート、ノアの治療を後はお願いできるかしら」


 リーンキュラスのか細い声に、しかしいずれ火炎へと上り詰めるような火種となるような声に、リートは心配そうな表情を浮かべる。

 ノアが既に助からない事を、リートも時間することが出来た。もちろん彼女がリーンキュラスにとって大切な人である以上は、治療の手を止めて彼女が生きる僅かな可能性を摘み取りたくもない。

 そしてリーンキュラスも同じ気持ちなのだろう。彼女は治療の役目を引き続きリートに任せて、自分はノアを傷つけた犯人を――実の母親である現王妃ユスフィーンへと視線を注いでいた。

 ユスフィーンの表情は焦りに満ちあふれている。ここで全員消さなければ、自分は利用されるだけの立場になるか、それとも破滅へと向かっていくかのどちらかだ。

 ユスフィーンは少しずつ近付いていくる我が娘に対して、再び手のひらをかざす。既に不意打ちの魔法は使ってしまった。再び魔法を唱えるためには詠唱が必要だ。

 そして自らの娘を消そうとしているユスフィーンに対して、娘であるリーンキュラスは握りこぶしを作った。


「……お母様にとっては、ワタクシは道具でしかありませんのね」


 それはリーンキュラスが僅かに抱いていた希望に対する、失望の声だ。

 母親というものは大なり小なり、自らの腹を痛めて産んだ子供に対して愛情を抱くものだと思っていた。それは自分の立場しか顧みないユスフィーンでさえも同じだと考えていたのだ。

 しかし彼女は二度も、自分の我が子の事を拒絶している。一人目である厄災の魔女ヴィルフィは、彼女が魔災の原因だと知った上で、明らかな拒絶を示すようになった。

 そして今、リーンキュラスの事も彼女は捨てようとしている。母親としての振る舞いを全く見せないユスフィーンに、リーンキュラスはある種の諦観を覚えた。


「厄災の魔女ヴィルフィに同情しますわ、同じ腹から産まれた者として」


 リーンキュラスがゆっくりと近付いていく。決して一気に距離を詰めることはなく、まるで母親と別れる事を一つひとつ自分に言い聞かせているように。


「止まりなさい――ッ!」


 ユスフィーンがリーンキュラスに向けた手のひらに力を込める。魔力を一点集中していることが、リーンキュラスにも分かった。

 このまま自分を追い詰めようとする脅威から、なんとか自分だけは逃げ出そうとするかのように、ユスフィーンは一歩、また一歩と近付いてくるリーンキュラスを睨む。

 しかしリーンキュラスは、足を止めることはない。自分こそはこの母親を止める事ができる唯一の存在だと信じて。


「く――ッ! 生まれいずる赤子の魂に眠る炎よ、目の前に立ち塞がる敵を燃やし尽くしてしまえ!」


 ユスフィーンがそう詠唱すると、彼女の手のひらから現れた火炎球が、リーンキュラスに向けて飛んでくる。

 彼女は手のひらに宿っている炎に瞳が照らされながら、口を開いた。


「――聳え立つ強固な牢獄よ、他の者を寄せ付けぬ山の如き矜持を我に見せ給えッ!」


 その詠唱が終わると同時に、ユスフィーンが放った火炎球がリーンキュラスに直撃する。

 もちろん子供と大人の魔力の差は大きく、よく出来た防御魔法でさえ、直撃となれば全てのダメージを吸収できるわけではない。リーンキュラスは火炎球を受け止め明後日の方向へと弾き返すが、その衝撃だけは彼女の全身を襲い、リーンキュラスの体は地面に叩きつけられてしまった。


「リーンキュラス様!」


 力なくうなだれるリーンキュラスに対して、その様子を見ていたリートは心配そうにそう叫ぶ。

 しかし彼女の体は指先から体の芯へと、徐々に力を宿していく。ゆっくりと震えながら立ち上がり、ゆらゆらと揺れた状態でユスフィーンを睨んだ。


「……そんなものですか、お母様。ワタクシを殺したくば、もっと本気でかかっていらっしゃい。どうせお母様にとってワタクシは、”娘”ではございませんのよね?」


「言わせておけば……ならばお望み通りに、してあげるわ――ッ!」


 ユスフィーンは今度は天井に向けて手のひらをかざす。そして歯茎が見えるほど乱暴に、その魔法の詠唱文を吠えた。


「生まれいずる幾多もの赤子の魂に眠る炎よ、一つに集まりて太陽すら飲み込むほむらとなり、我が前に立ち塞がる愚かな魂の命さえも取り込んでしまえ――ッ!!」


 そしてユスフィーンの掲げた手のひらに作られていく、巨大な火炎球。ユスフィーンの身長よりも直径が大きい火炎球は、どこからか吸い寄せられていく塵を燃料にして、ますます膨らんでいく。

 リーンキュラスは握りこぶしを作り、その火炎球と対峙する。あの規模の魔法に直撃すれば、たとえ断片的にであったとしても自らの防御魔法は通用しないだろう。だとすれば、防御の姿勢に出るのではなく――


「――やっぱりワタクシはお母様を、一発ぶん殴らないと気が済まないようですわねッ!」


 巨大な火炎球を作り出しているユスフィーンのもとへと、リーンキュラスはドレスが汚れるのもいとわずに、走り出した。

 火炎球の断片が近付いてくるリーンキュラスを迎撃しようと、小規模の火炎球を幾つも飛ばしていく。それをなんとか躱していくリーンキュラスだが、ドレスが焦げていきボロボロになっていった。

 しかし逆にリーンキュラスは、重苦しいドレスから開放され、自由に羽ばたくバタフレインのように、どんどん身軽に攻撃を躱すことが出来ている。


「小賢しい奴め――ッ!」


 そんな様子のリーンキュラスに、ユスフィーンは焦りの表情を浮かべ、自らの右手に宿していた火炎球を相手の方へと振り下ろした。

 まるで大滝のように彼女がいた場所へと降り注ぐ火炎。高度な防御魔法が無ければ燃えかすになってしまうはずの魔法は――


「――甘い、ですわッ!」


 体勢を低くし火炎魔法の下に潜り込んだリーンキュラスに、呆気なく回避されてしまった。

 リーンキュラスは左肩を引いて、右拳を強く握りしめる。まるで王族には似つかわしくない、暴力的な攻撃だ。

 だが彼女にテーブルマナーを好まない。だからこそ自らの母親に、スプーンでも、拳でも、突きつける事ができるのだ。


「――っ!?」


 ユスフィーンはリーンキュラスの拳が近付く中、最後に彼女に宿る決意の炎を見た。


「歯ァ、食いしばりやがれですわ――ッ!!」


 リーンキュラスの小さく、けれども怒りに満ちた拳が、ユスフィーンの顔面に叩き込まれた。


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