第12話「第三王女の憂鬱」(13)
「……私の、敗北ですね」
オンジアは持っていたナイフを地面に落とす。カランカランとナイフが地面を叩く音が聞こえて、彼女の体から戦うための力が抜けたのが分かった。
彼女は負けを認めている。しかしその声にはどこか明るい、かつてのノアを思い出させるような前向きな感情が含まれていた。剣を首元に近づけているリートには、心なしか彼女の表情が少しだけ柔らかくなっている気がしている。
「さて、ノア。貴方にはワタクシに付き従う”義務”をあげる。本当は貴方自身の選択に委ねたいところだけど、ワタクシには今の貴方にはそれで十分だと知っているわ」
「……仰せのままに、リーンキュラス様」
リーンキュラスの言葉に対して、オンジアは頭を垂れて、切られたメイドスカートをつまみ、お辞儀をする。傷付いた衣装でありながらカーテシーを優雅に見せるオンジアに、リートは感心していたが、対してリーンキュラスは不服そうだった。
リーンキュラスは握りこぶしを作りながらずんずんとオンジアの方へと近付いていき、そして自らよりも明らかに背の高いオンジアの胸元へと近付いていく。そしてそのまま拳を解いて、平手で――ノアの頬を打った。
「……リーンキュラス様?」
「それを、やめさないっていつも言ってるじゃない。聞き分けの悪い子ね。――ワタクシのことは、いつものように”リン”と呼んで」
リーンキュラスの真剣な眼差しに、オンジアは一瞬その眩しい炎の光から目を逸らしたくなった。
だが、まるで小虫のような自分にとっては、憧れのような輝きに――ユスフィーンには持っていない輝きに見えて、自らの目が彼女を視界から外すことを許さない。
「……承知しました、リン様」
「違う。まるで頭が固くて一生ワタクシに敬語を使っているグレンのようね! いつもの貴方で良いのよ、ワタクシはいつもの明るい貴方が、本当の”ノア”だって事を知っているわ」
「リン様……」
「いつもの甘ったるい、マイペースな貴方で良いのよ。お母様からもお父様からも、挙句の果てにメイド長からも嫌われている貴方を、ワタクシは従者にしたいと思っているの」
言葉の途中で膝に力が入らず、崩れてしまうオンジアに対して、リーンキュラスは手を力強く差し伸べる。
それは死神の鎌から彼女を救い出すための、最後の一手だった。
長い間オンジアと――ノアと共に過ごしてきたリーンキュラスにとって、どちらが本当の彼女であるかは、とうの昔に分かっていることだ。
甘ったるく聞くものを不快にさせかねない声、派手なメイクや髪はしているのにドレスはロングスカートの身なり、自らの忠誠を尽くす相手である王妃ユスフィーンに対して暴言を吐くあの姿。
それこそが、本当のノアなのだ。
オンジアは――ノアは、リーンキュラスから差し伸べられた手にゆっくりと手を伸ばしていく。その手は震えている。自らが忠誠を誓った相手の目の前で、彼女は自らの苦手な”選択”という行為を迫られていた。
だからこそ、ノアは戸惑ってしまう。本当にこの手を握っても良いものか。自らの命を救ったのはユスフィーンであり、居場所を与えてくれたのだ。彼女を裏切ってしまうことは、本当に良いのだろうか。
迷いが伸ばした手に伝わっていき、その指先が微かに震えを帯びるようになる。伸ばそうとしても、前に進むことが出来ない。
やはり自分は自分の運命を決めることが出来ない……ノアは内心そう呆れながら、いよいよリーンキュラスから目線を逸らしてしまう。
彼女のその葛藤も予想できていたことなのだろう、リーンキュラスは自らの手を伸ばして、彼女の腕を掴もうと――
「――お待ちなさい、オンジア!」
しかしその二人の関係に割って入ろうとする声が一つ。
それは後ろから腕を組んで、明らかに苛立ちを隠しきれていない王妃ユスフィーンだった。
ここまで何も言わずに眺めていた彼女が、突如大きな声を出したことに、その場にいたリート、リーンキュラス、オンジアの三人は振り向く。
「……良いところでございますの、邪魔しないでくださるかしら? お母様はまさか演劇の途中で止める野暮な事をする御方ですの?」
「ふん、その演劇が台本通りであればそんな事はしないわよ。オンジア! 誰に助けてもらったのかを忘れているの!?」
オンジアはビクッと怯えるように、彼女の言葉へ反応する。
ユスフィーンの迫力ある声色には、今のオンジアに逆らうことが出来ない。
「……ユスフィーン様、私は」
「いい? 貴方とワタクシは一蓮托生なの。ワタクシを裏切ることになれば、貴方は元王妃殺害の罪で死刑は免れないのよ」
「それは……でも……」
ユスフィーンの言葉に対して、オンジアは何も答えることが出来ない。
彼女は今、瀬戸際にいる。元王妃を殺したのが自分だという事を、ユスフィーンに握られているのだ。どれだけ自分が利用された駒だったとしても、彼女のしたことは事実である。その事実を晒されれば、オンジアは王国に命を奪われてしまうだろう。
オンジアの怯えにようやく満足したのか、ユスフィーンの表情から少しずつ怒りが消えていく。そして母親のように諭すような声で、オンジアに話しかけた。
「……ワタクシは貴方を信頼して全てを打ち明けているわ。ワタクシの期待を裏切る――」
「――黙って聞いていれば、うちの可愛い従者に向かって、好き勝手言ってくれますわね」
そんな柔らかいユスフィーンの声を制したのは、彼女の娘である、リーンキュラスだった。
我が娘が突然、自らの言葉に反論してきた事に対して、またしてもユスフィーンの機嫌は悪くなる。
「リーンキュラス、貴方も何がしたいの? 実の母親に向かってそんな口の利き方。そんな風に育てた覚えはないのだけれど」
「あら、意外だったのかしら? あいにくお母様のことは、ああはなるまいという反面教師にしかしておりませんの。人を道具のようにしか扱わない、愛のない人物にはなってはいけないと、他ならぬお母様の姿から学んだことですわ」
「なんですって……!?」
「おーっほっほっほ! とても良い教育でしたわね。お陰様でワタクシは一人前のレディになることができましたわ。――ノア!」
突如名前を呼ばれたオンジア――ノアは、リーンキュラスの方を振り返る。
彼女は今、ユスフィーンの方を見ており、こちらには目を向けていない。しかし彼女は自分の事をずっと見てくれていた。その瞳がたとえこちらに向いていないとしても、そこにはある種の頼もしさがある。
「ノア。今から貴方に取り憑いている死神を、退治してあげますわ」
リーンキュラスは得意げに口角を上げる。まるで自らの我儘を貫くために戦う、勝負師のように。
「……ノア。お母様はどうして、スコラロス王国で違法とされている魔法整形をしたの」
「……自分が厄災の魔女の母親だから」
「違う。それは後付けの話ですわ。バツイチになったところで、なんとでも言い訳をつければ良いだけのことよ。悪事に手を染めるなんて、リスクが高すぎる」
確かに、そうオンジアは感じた。そしてそれは彼女たちの少し後ろで聞いていたリートも同じ気持ちだ。
ユスフィーンの整形の動機については、彼女が元騎士団のハーデットと離婚し、その醜聞を恐れたからだと推測していた。
しかし言われてみればその動機は、犯罪を犯すという点では薄い。単に元騎士団の男と別れただけで、罪は犯していないのだ。
ならばどうして、他の方法は取らずに魔法整形という罪に問われる事をしたのか。
ユスフィーンの表情が明らかに動揺を隠しきれていなかった。口角を上げて挑戦的な笑みを浮かべるリーンキュラスは、言葉を続ける。
「だけどもし、魔法整形を行うというリスクの高い事を許容さえしてしまうような、そんなリスクを抱えていたとしたら――例えば、それまでに一つ、大きな罪を犯していた、とかね?」
リーンキュラスの得意げな顔に対して、ユスフィーンの顔はますます青くなっていく。その表情だけで、その場にいる者たちはそれが真実であると確信できた。
「……リーンキュラス様、ユスフィーン様は一体どんな罪を?」
リートがそう尋ねると、待ってましたと言わんばかりにうんうんと頷き、ピシッと人差し指をユスフィーンに向ける。
「――元王妃の”殺害計画”。間違いありませんわね、お母様?」
オンジアを縛っていた死神は、その体を震わせていた。




