第12話「第三王女の憂鬱」(10)
「お初にお目にかかります、リーンキュラス様。私はオンジア、ユスフィーン様の忠実なる下僕です」
一礼するリーンキュラス専属のメイドであるノア――もとい大罪人オンジアの姿に、リーンキュラス自身は全く動じていなかった。
まるでこれが分かっていたかのように、挑戦的な笑みをオンジアに向ける。彼女の瞳には相変わらず炎が灯っており、その光がオンジアの暗い瞳を照らしていた。
「リーンキュラス様の仰ることはおおよそ間違いはございません。私がユスフィーン様の命により魔法整形医であるスタンツを殺害しました」
オンジアは淡々とした口調でそう述べる。これでチェックメイトだ、リーンキュラスは内心そう感じていた。
ユスフィーンのカルテも、オンジアのカルテも、表に出してしまえばただの捏造した紙切れにすぎない。少なくともユスフィーンの権力であれば、本物のカルテであっても捏造として事実にすり替えることすら容易いことだろう。なぜなら王族の周りには、嘘をついて利用しようとする輩が蔓延るからだ。
しかしかつて王妃を手に掛けたオンジアの証言があればどうだろうか。彼女が魔法整形を自白したとすれば、オンジアのカルテに信憑性が発生する。王国も教団も、或いは王国民でさえ、魔法整形が本当にあったことを信じるのだ。
そしてその飛び火は、同時にカルテが発見されたユスフィーンにも与えられる。スタンツ診療所で行われていた違法の整形魔法、それが真実味を帯びた時にこのカルテがどのような意味を持つか。
即ち、王妃ユスフィーンが違法な魔法整形をしたという、”説得力のある事実”。たとえ彼女がどれだけ声を上げたとしても、覆せないほどの。
「ちょっと貴方! 何を言っているの!?」
高貴な振る舞いはどこへやら、ユスフィーンは大口を開けて唾を飛ばしながら、オンジアの方へと怒りを向ける。
しかしそんな王妃の姿に対して特に気にする様子もなく、無表情を貫きながらオンジアはユスフィーンの方を向いた。
「ユスフィーン様。先程も申し上げました通り、既にリーンキュラス様は真相を掴んでおり、我々はもう手遅れの状態でございます」
「ワタクシを裏切るというのッ!?」
「まさか。私はただ、もう手遅れだと述べているだけです」
譲らないオンジアに対して、ユスフィーンは自らのネイルの施された長い爪を噛む。その白く整えられた歯が、美麗な装飾を噛み砕いてしまいそうだった。
「く……ワタクシたちが積み上げてきたものを、自分もろとも台無しにされようとしているのに、反抗してやろうという意志は貴方に無いのかしらッ!?」
ユスフィーンは再び左手の爪を噛んで、右手をまっすぐにオンジアの方へとかざす。それは魔法使いであれば誰でも行う、今から詠唱を行ってお前を狙う、という姿だった。
詠唱を行うユスフィーンに対して、オンジアは動じずに、少しずつユスフィーンの方へと近付いていく。コツン、コツンとメイド服に似合う黒塗りの靴を鳴らし、ユスフィーンとの距離を近づけていった。
ユスフィーンの表情から、明らかな動揺が見える。相手は殺しを依頼するほどの実力者だ。自分が戦って勝つことのできる相手でないことは、よく分かっていた。
しかしふと、オンジアは足を止める。そして一つ大きなため息を吐いて、肩の力を抜いた。
「……ですがユスフィーン様。私は自分の行動すら自分で決めることの出来ない半端者です。だから誰かの傍に侍る事が、最善の方法であることを知っています」
「オンジア……!?」
ユスフィーンが動揺の声を上げるのも気にせず、オンジアはくるりと回れ右をして、今度はリーンキュラスたちの方を向く。
無表情な瞳に宿していたのは、一つの諦観。自らは誰かに糸を付けられた操り人形の如き存在であると、彼女の瞳は自らの内に訴えていた。
「リーンキュラス様、お許しください。結局のところ私はどうしても、ユスフィーン様の下僕なのだと思うのです」
「……それはどうして?」
リーンキュラスは、かつてリートに預言者を目指す理由を聞いたあの時のように、まっすぐ彼女の方を見つめている。その瞳には、自らの従者への信頼が見て取れた。
「私は大罪を犯しました。世界平和のためと依頼主に唆され、あなたの父親の元々愛していた人を殺してしまったのです。牢に閉じ込められてしまい、そして処刑までもう少しの日数というところで手を差し伸べてくださったのが、ユスフィーン様でした」
オンジアは淡々とした口調で、自らの過去を語り始める。その表情に変化はない。
「そして私はノアへと姿と名前を変えて、ユスフィーン様に絶対的な忠誠を誓うことになりました。王妃様に私の命は繋ぎ止められたといっても過言ではない。たとえどんな悪事に手を染めたとしても、あの人なしでは私はとうの昔に死んでいたのです」
「……だから魔法整形医を殺せと命令されて、忠実に成し遂げたわけですわね」
オンジアは袖から一本のナイフを取り出し、リーンキュラスの方へと向ける。彼女の視線が少しだけ鋭くなった。
「ええ。余計な事を知るものはすべて消してしまえ……ユスフィーン様からはそう教えを受けています」
オンジアが自身の味方でいてくれている事に安堵感を覚えたのか、先程まで後ろで余裕を失っていたユスフィーンが、口角を上げていやらしい笑みを浮かべる。
「……うふふ、そうね。ワタクシとしたことが、失念していたわ。邪魔者は消せば良い、十数年前も同じことをしたじゃない」
母親の下衆な笑いを見て、リーンキュラスは再びオンジアの方へと目線を向ける。彼女の瞳に映っているリーンキュラスたちは、最早敵として認識されていた。
だが、リーンキュラスは諦めない。自らの瞳に宿る炎が、十数年共に暮らしてきた親友の瞳を照らすことが出来るように、まっすぐにオンジアと対峙する。
「……どうしても戦わなければいけないの、ノア?」
「……ええ、リーンキュラス様。貴方はご存じないかもしれませんね。過去に犯した過ちが――それがたとえ故意では無かったとしても、己の背後に忍び寄る死神として付き纏い、喉元に鎌を突き立てている恐怖を」
オンジアは言葉を発しながら、自らの心に潜む死神の存在を再確認する。
自分は何者かに誑かされて、かつての王妃を殺害してしまった。その王妃が無実だった可能性を全く疑いもせずに。実行してしまったのはオンジア自身とはいえ、自分が被害者の一人でもあった。
そして自らの従う王妃ユスフィーンが持っている、厄災の魔女の母親という事実。民に知られれば絶対に非難される屈辱的なレッテルを、ユスフィーンは抱えているのだ。
どれだけ娘のことを手駒に思っていても、どれだけ自身の権力への執着が強くても、そしてどれだけ自分のことを都合の良い手札としか思っていなくても。
それでもユスフィーンが感じている、死神の鎌を突きつける感触だけは理解できた。そして自分たちが同志であるからこそ、自分はユスフィーンの忠実なる下僕になりたいと願っているのだ。
オンジアは突きつけたナイフを握る手を、より一層強くする。その刃先に見えるリーンキュラスは、真剣な表情でこちらを見つめていた。
「……ねえ、ノア。貴方の後ろには死神がいるのね?」
「……ええ」
オンジアが合わせているリーンキュラスの瞳には、炎が燃えたぎっており、そして火の粉が溢れ出ている。その太陽のような瞳はオンジアの瞳を眩く照らしていた。
「……そんな神様、ぶん殴ってしまえば良いのですわ。そうですわね、スコラロス王国が信仰しているセネシス教の神はシゼリアードでしょう? 神の名を騙る偽物を殴ったって、罰は下されないわよ。ワタクシが保証するわ」
リーンキュラスはにやりと、まるで”魔女”のように不敵に笑った。




