第12話「第三王女の憂鬱」(9)
リーンキュラスが差し出したもう一枚の切り札……それは魔法整形を受けた一人の患者のカルテだった。
そしてそこに刻まれていたのは、この場にいる全員が知っている名。或いは、この場にいる者の名だ。
「ノアさんが、魔法整形を……?」
驚き声を発したのは、そばでリーンキュラスとユスフィーンの争いを聞いていたリートだった。
もちろん彼の仲間たちも驚きの表情を浮かべている。リーンキュラスからその切り札については聞かされていなかったためだ。彼女はただ「勝つ見込みができた」と言っているのみだった。
しかしそれが彼女の側近であるノアに関することだとは……しかもこの国で禁じられている魔法整形をしているという事実は、思いもよらなかったのだ。
「……ふん、そんな紙切れが一枚増えたところで、何の説得力が生まれるのかしら?」
ユスフィーンは口調こそ先程と変わらない様子で、差し出されるものすべてに壁を作っているようだ。
しかしその表情にはどこか、傍で見ていたリートにもわかるほどに、焦りのようなものが浮かんでいた。それは”ユスフィーン自身のカルテ”ではないが、まるでそれが彼女にとっての致命傷であるかのように。
そしてユスフィーンの視線が、無表情でずっと黙っていたノアの方へと向けられる。ノアはいつものロングスカートのメイド服を着て、ただリーンキュラスの傍に侍っていた。しかしその表情は明るさというものを忘れて、瞳からいつもの輝きが失われてしまっている。
「……リン様、続きを話して下さい。ノアにもお話を伺う権利があります」
ノアは普段からは考えられない淡々とした口調でそう告げる。その瞳の中にはいつものライトアップされた人工的な光はなく、闇が広がるばかりだ。しかしかすかに、ほんのかすかにその奥底には光が――リーンキュラスから渡された灯火が、壁に隠されていてもなお反射して、環境光として瞳孔を薄らぼんやり赤白に染めていた。
「魔法を使いこなせるとはいえ、自らの魔法整形という過ちを暴かれないようにするためには、協力者が必要ですわ。例えばそうですわね、診療所への調査に向かったリートさんたちを襲撃したのは、元を辿ればお母様の差し金ですわよね?」
「……下らない妄想だわ」
「あら、ワタクシは別に他の方に聞いてもよろしくてよ? リートさんたちが診療所に向かった事をどうやって知ったのか、ワタクシは気がかりでなりませんの。ねえノア、貴方もそう思いませんこと?」
リーンキュラスは口角を上げて、ノアの方に向き直る。対するノアは無表情を貫き通していた。こんな彼女と対面するのは初めてだったが、それでもリーンキュラスには切り札がある。
それにきっと、ノアが自分たちの味方だ。十数年ともに生きて、彼女が自分の敵であることは信じられないとリーンキュラスは感じていた。
「……リンも気になります。一体誰が、誰の命令でリートさんたちを襲撃することになったのでしょうか」
最早棒読みのような話し方、それだけでリーンキュラスも、或いはリートたちもその犯人の正体が付く。
リーンキュラスは再び母親であるユスフィーンの方へと向き直る。彼女は歯を食いしばり、明らかに追い詰められた表情を浮かべていた。
「さて、カルテではありませんが、ここに一つの資料がありますの。王都が誇る地下牢獄に入れられることになった罪人たち、その刑期外に釈放になった者たちのリストですわ。もちろん十数年前まで調べさせていただいておりますわよ」
リーンキュラスはリストを高らかに掲げ、顔写真の横に書かれている一つの名前を読み上げる。
「……オンジア、かつて王妃に手をかけた大罪人の名ですわ」
彼女が名前を告げると、この場にいる二人に対して衝撃が走った。
一人はもちろんユスフィーンだ。既に協力者がいると突きつけられているユスフィーンは、自らの協力者の名前を当てられたことに息を詰まらせる。
そしてもう一人衝撃を受けた人物、それはノアだった。その表情は驚嘆はもちろん、そこに一つの諦観が混ざりあっており、彼女は非常に複雑な表情をしている。
その二人の反応が、既にリーンキュラスの想定通りで、彼女が勝ちを確信した瞬間だ。彼女は自らの言っていることの大きさを感じつつも、半ば野生動物の心持ちでその緊張を止める。
「お母様、目を逸らさずにこのカルテをご覧になってください。カルテには施術前と施術後の情報が書かれています。流石に昔の名前は書いていませんが、この顔が誰のものか分かるはずですわ」
リーンキュラスが再び取り出したノアのカルテに記載されている、魔法整形前のノアの表情。それは先程彼女が提示したリストに乗っていた、あの大罪人オンジアの顔と瓜二つだった。
ユスフィーンは明らかに動揺を隠せていない、それはもう誰が見ても明らかだ。
リートも現状を整理する。ユスフィーンはノア――大罪人オンジアと協力関係にあるのだった。彼女に魔法整形をさせて処刑から逃れることに協力したユスフィーンは、一番の手駒を手に入れることができたのだ。
そしてそのノアを利用し、自分たちがスタンツ診療所の調査をしてユスフィーンの過去を暴こうとしている事を知る。何年も前に終わった事を今更掘り返そうとしているのに、すぐに勘付かれて刺客を送り込まれたのは、協力者であるノアがこちらにいたからだ。
だがリートは頭の中で整理しながら、一つの疑問点に当たる。どうしてノアはユスフィーンの協力者でありながら、ユスフィーンのカルテをこちらに手渡してきたのだろうか。本当にあちらの味方なのであれば、敵に塩を送るような真似はしないはずだ。
(もしかしたら、それすらもリーンキュラス様の思惑通りってこと……?)
リートが視線を移してリーンキュラスを見やる。彼女は既に勝ちを確信したような表情で、自らの母親であるユスフィーンを眺めている。そして動揺が収まったのをきっかけにして、また口を開いた。
「さてお母様。これから話すのはワタクシの予想に過ぎませんわ。嘘だと思うなら一蹴していただいて構いません。……お母様は大罪人オンジアに協力を申し出て、魔法整形医であるスタンツを殺害し、自らとオンジアのカルテを処分するように命令した。違いありませんか?」
「ち、違うわよ! そんなでたらめ、真実のはずがないっ!」
「……でしたらお母様ではなく、他の方に聞くしかありませんわね。お母様の魔法整形の証拠を”あえて”残した大罪人オンジアに――」
「――ま、待ちなさいっ!!」
ユスフィーンは、ノアの方へと目線を向ける娘の姿に対して、手を伸ばして止めに入る。その行動だけでリートは、リーンキュラスの語った事がすべて事実であることを理解した。
そして先程までのユスフィーンであれば、そんなものは証拠に対する説得力もない真っ赤な嘘だと返していただろう。自分ですらないカルテを差し出されたからといって、自分に関係はない、それも捏造されたものに過ぎないと一蹴してしまえば問題ないはずなのだ。
だが、彼女の焦りは大きくなる一方だった。それは先程リーンキュラスが放った”あえて”という言葉にすべてが込められている。
大罪人オンジアの正体がノアであることは、この場にいる誰もが疑いのないことだろう。偽名を使い魔法整形をして、別人に生まれ変わったとしても、スタンツのカルテはその情報を繋げてくれている。
そして彼女があえてユスフィーンのカルテを残していたことには、大きな意味があるように感じていた。ユスフィーン配下でありスタンツを殺した人物であるノアが、こちらの味方であるという可能性。
ユスフィーンはなんとかリーンキュラスの事を止めたが、それも一時しのぎでしかない。続きの言葉が見つからず途方に暮れてしまう。
「……ユスフィーン様、もう手遅れでございます」
ぎりりとユスフィーンの歯ぎしりが聞こえてきそうな沈黙の中に、一人の低い女性の声が響き渡る。
声色は変わってしまっても、芯となる声帯は変わっていない。その声の正体を、場にいる人物全員がすぐに理解した。
「もう、手遅れですから」
リーンキュラスとユスフィーンの間に立ったのは、ロングスカートのメイド服を整然と着こなしている、紫髪のツインテールをした女性――ノアだ。
ノアはリーンキュラスの方に体を翻し、ロングスカートの裾を掴んで一礼する。その所作はリートたちが初めて会った時とは全く違う、本当に立派な使用人としての姿だった。
「お初にお目にかかります、リーンキュラス様。私はオンジア、ユスフィーン様の忠実なる下僕でございます」




