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第2話「王国を襲う魔災」(2)


 トリンフォア村に着いた三人が見たものは、凄惨たるものだった。

 地面が割れ、時折地響きが起きている。村人たちは近くの街道へなんとか逃げ出しているようだが、まだ残っている者も多かった。

 紫色をした瘴気が漂っている中には、倒れている住民やその近くで涙を流している者、そして遠くから聞こえるのは、魔獣の雄叫びと人間の悲鳴が混合したノイズ。


「……これが、魔災」


 ベールは悲しみに瞳を濡らしながら、手で口を覆っている。小さい頃、魔災により凶暴化したモンスターとの対峙を思い出しているのだろう。リートも見ていて良い気分には到底ならなかった。


「私たちの目標は、この村にいる助けられる住民を全員助けること。周りには凶暴化したモンスターがいる、気を付けて」


 トレイスは淡々とした口調でそう語った。

 彼女の右手には、彼女の身長以上の大きさがある大盾が握られている。彼女の体重はゆうに超えているはずで、本当に使いこなせるのかと疑いたくなるものだ。しかしトレイスはやや重そうにしながらも、特にリートたちが歩調を合わせる必要もなく、移動することが出来ていた。

 盾を握りしめるトレイスの姿に、リートとベールも自らの武器を意識する。リートは片手で扱うためのロングソードを腰から下げており、抜剣と共に目の前の相手を切り刻むことが出来る。ベールは狩りでいつも使っているショートボウと、腰から吊られたクィーバーへ十分量の矢を装填していた。


「もしかして救助の方ですか!?」


 緊張感の走っている三人の前に、一人の女性が現れる。リートの母親と同じくらいの年齢だろう中年女性は、息を切らしながらこちらへ近付いてきた。


「どうしましたか?」


 トレイスは突然の声にも驚かず、冷静に対処する。この慣れた様子は、何度も経験があることの証だった。


「うちの子が村の広場に取り残されてしまったの!?」


「お母さんですね、お子さんの状況は?」


「モンスターが襲ってきて、娘は傷を負ってしまい動けないの! 私ももう一度助けに行きたいけど、みんなが止めてきて……」


 この女性はこの惨事でなお、自分の娘を救うために危険な村の中へ入ろうとしているのだ。

 娘の事を思う母親とは強いものだと、リートは内心思った。


「……皆さんが止める理由も分かります。モンスターも凶暴化しているはずで、専門で戦える者でなければ太刀打ちできません」


「……でも!」


「また、これから高い確率でこの村は沈みます。無事に助けられたとしても、いつ魔力に沈むか分からない状況では、二人とも巻き添えを食らってしまうのが関の山でしょう」


「そんな……!」


 女性は絶望を表情に浮かべつつあった。

 リートも率直に、強大なモンスターが蔓延る中にこの母親を戻らせるのは、自殺行為だろうと思う。彼女を再び村に戻してはいけない、それは、リートだけではなく、周りの人々全員がそう感じていただろう。

 しかしだからと言って見殺しに出来るリートではなかった。リートはトレイスの方を見やる。彼女の無表情さからは普通何も読み取れないが、リートはその無表情さこそ解答なのだと分かっていた。


「――そんな人たちを助けるために、私たちは来ました。お母さんはお子さんの帰りを、安全な場所で待っていてあげてください」


「ああ、ありがとうございます……!」


 母親は近くの村人に連れられて、街道の方へと歩いていった。ベールは安心した表情で彼女を見守る。

 母親の方を全く振り返らなかったトレイスは、逆に村の方を細かく観察していた。瘴気が揺れて、彼女の青緑の前髪がさらさらと揺れる。かなり集中しているようだった。

 リートはトレイスよりも一歩だけ前に立ち、村の状況を同じように眺める。まだまだ取り残されている人は多そうだった。


「……ひとまず、助けられる人を助けてながら、広場に向かうのはどうだろう」


 リートは魔災について素人ではあったが、先程の母親の気持ちを組んだうえで、トレイスにそう提案する。


「うん、それでいい。ただこの瘴気の充満具合を見るに、あまり時間も無さそうだ。のんびりはしないこと」


「分かった。行こう、ベール」


「うん!」


 ベールは茶色のボブカットをさらりと揺らして、リートの言葉へ強く頷いた。その表情には、もうあの頃の弱気なベールは見られない。

 三人は紫色の魔力瘴気が漂うトリンフォア村に、突入していった。



* * *



 三人は道中、モンスターにやられた人たちの怪我を回復魔法で治しながら、広場へと向かっていた。

 怪我をした人たちに共通して言えたのは、牙に肌を抉られた跡があることと、その傷跡がある者はみな麻痺の症状を訴えていたことだ。


「おそらく今回の魔災で凶暴化した魔物には、牙に毒を持つような強化がされている」


 冷静に分析しながら、トレイスは自身の回復魔法を放ち続ける。

 魔法に長けたトレイスとリートはもちろん、ベールも魔法学校で学んだ回復魔法を使いながら、三人は道中の多くの人々を助けていった。

 本当はモンスターとの戦いを踏まえて、トレイスとベールの魔力を温存するために、魔力が無尽蔵のリートが全員の回復を行う事が理想だ。

 だが村の魔力崩壊までそこまで時間が無い状態で、悠長に魔力の残量など気にはしていられない。三人は言葉こそ交わさなかったが、それを暗黙の了解として行動していた。


 やがて村の開けた場所に、三人はたどり着く。先ほどの女性が言っていたのはここだった。

 広場には辺りを警戒するための高台が設置されており、その周りはドーナツ状に道がある。道といっても舗装されたものではなく、単純に雑草が取り除かれただけの質素なものだ。ドーナツの外側には建物がいくつも立っており、酒場の看板を掲げた大きな店が、地盤の崩壊によって物理的に傾いていた。


 そしてその道に座り込んでしまっている、長い黒髪の女の子が一人。近くには狼のような魔獣が彼女を囲み、逃げ場を無くす猟のような陣形で命を狙っていた。


「見た目は単純なウルフだが、普通と違って目が紫色だ。魔力による凶暴化を受けている。そしてあの数……かなりまずい状況だ」


 トレイスは冷静に分析してはいるが、対処に困っているようだ。リートは仲間の様子を観察する。

 リートもその気持ちはよく分かった。本当であればもう少し動きを観察して、確実に倒したい。グレン師匠の教えだ。

 だがすでに崩落が始まっている。魔力が爆発し地盤が崩れ、辺りが何度も振動していた。

 リートはトレイスの表情に少し厳しさが見えたことを確認し、一歩前に踏み出す。


「……まずあのウルフたちを、こちらに引き付けるのが先。かつ、動けないあの子の近くにはいてあげたい。だったら――ッ!」


「――リート!?」


 ベールが驚きの声を上げた瞬間、リートは大きく跳躍し、襲われている女の子の近くにいたウルフに一撃、雷の魔法を食らわせる。

 無詠唱で音もなく突然現れた敵に、ウルフたちは辺りの警戒を強め、外へと振り向いた。

 だがそのウルフたちの後ろに、女の子のいる場所に着地したリートが、もう一匹、雷を宿した剣で体を断ち切る。ウルフは声もなく絶命し、倒れる音と血しぶきの感触で、他のウルフが仲間の死を認知する。


「もう大丈夫だよ」


 リートは警戒するウルフに構わず、少女の方へと笑顔を浮かべる。青が混ざった黒色の長髪をした少女は、苦しい表情はしながらも、安堵したようにゆっくりと息を吐いた。

 年はリートよりも数年下だろうか。魔法学校で言えば中等部、怯えて涙を流しているのも無理はなかった。


「こちらも忘れないでくださいね――ッ!」


 聞き慣れた声色だが、いつもよりも力強い――トレイスが大盾を構えてウルフに突進する。運動量の暴力にウルフが数体、骨の折れる音を鳴らしながら飛ばされた。

 そしてトレイスは後方から襲ってきた一体のウルフを、自らの盾を頭よりも持ち上げて、半月状に下ろして潰す。

 まるで突然突っ込んできたトラックが暴れまわっているかのような、そんなトレイスの戦いに、リートは感心するしかなかった。


「リート! 女の子をこっちに!」


 広場の入口から飛んできた矢が、ウルフの脳天を貫く。ベールがリートへ向けてこちらに手招きをしていた。


「分かった! トレイスさん、逃げましょう!」


「待って。一緒に逃げたらモンスターが追従する。私が引き付けるから、リートはその子とベールと一緒に」


「でも――」


「ふふふ、心配ご無用。私は天才ですからね、こんなところで死ぬような人間じゃないです」


 トレイスが口角を少しだけ上げて、胸を反らして笑っている。

 無表情のようでいて、近くにいるリートには、その瞳に闘志が燃え盛ってる事がわかった。


「……本当に無事でいてくださいね。死亡フラグじゃないですよ」


「なにそれ」


 笑みを崩さぬまま、トレイスはリートへと向かうウルフの飛びかかりを大盾で防いだ。

 そしてそれを合図に、リートはまだ麻痺の毒が解けていない女の子を抱えて、ベールの方へと走る。それを追いかけるウルフは、ベールの弓矢の餌食になった。

 二人がこちらを心配そうに見つめているのを確認して、トレイスはやれやれとため息を吐く。


「……信用されていないですね。仕方ないです、先輩の意地ってやつを見せてやりますか」


 トレイスは盾を持つ手とは逆の方、利き手である左手の方に魔力を集中させる。

 魔力の動きを察知したのか、ウルフたちがトレイスへ攻撃を仕掛けようとするが、大盾が的確にその攻撃を防いでいく。


「――女神の魂すら凍らすほどの悪魔に流れる血よ、大地を永遠とわに殺すほどの鮮血を吹雪かせろ」


 トレイスの詠唱によって、左手に青白く発光する一匹の淡い蝙蝠こうもりが現れた。

 そしてトレイスがその蝙蝠を空高く羽ばたかせると、翼を繰り返しはためかせ、遥か空へ飛んでいく。

 見上げるのが辛いほどに高く舞い上がった蝙蝠は突如として発光し、その刹那、尖った氷塊が広範囲へ雨のように降り注がれた。


「キャウンッ!!」


 その氷塊は凶暴化したウルフたちの脳天を、紫色の瞳を、逞しい体を貫き、紫色の血飛沫を舞わせる。

 ウルフに当たらなかった氷塊は、ひび割れた地面に突き刺さり、その辺りから徐々に凍土を発生させた。


「……すごい」


 村をまるで侵食するようなトレイスの大魔法に、ベールは驚嘆の声を上げる。そばで少女を抱きながら見ていたリートも、同じ気持ちだった。

 今なお降り注ぐ氷塊の発生する方へ手を伸ばしているトレイス。リートが彼女と目が合った瞬間、あちらは”それみたことか”と言いたげな顔をしていた。


「……向こうはトレイスさんに任せても大丈夫そうだね。僕たちも逃げよう」


「うん!」


 リートとベールは来た道を戻る形で広場からは去っていった。それを見届けたと同時に氷の雨は止む。

 トレイスは一息、呼吸を整えた。流石のトレイスでも、ここまでの魔法を使うと、魔力の多くを使ったことになる。どうしても魔力が少なくなったことに対する疲れのようなものが出てしまっていた。

 しかし束の間の休息にしかならず、トレイスの魔法に反応したウルフたちの増援がやってくる。気付けばトレイスは、先程いたのと同じ数ほどのウルフに囲まれていた。


「落ち着く暇も――おっと」


 呆れているトレイスに喝を入れるように、地響きが鳴り響く。トレイスは盾に重心を預けて、バランスを取る。ウルフたちは地響きに捕らわれて動け無さそうにしていた。


「潮時。私もそろそろ行きますか。――よっと」


 トレイスは大盾を地面に放り投げ、自らも追いかけるように走り出す。

 大盾は先程降らせた氷塊が作り出した氷の床に転がり、勢いよく滑り出した。トレイスはそれに飛び乗り、体勢を整える。


「これ、一人乗りなのが難点」


 トレイスは大盾に乗りながら、ここまで登ってきた村を下っていく。標高差が少しでもある場所であれば、下りは圧倒的にこの方が速い。村が周りから沈んでいるのも相まって、下り坂が圧倒的に多かった。

 ただ最初の方は自らが降らせた氷塊でコースが出来ていたが、それ以降はまだ土のままだ。土では下り坂でない限り、すぐに止まってしまう。適度に小さい氷魔法を唱えながら、トレイスは村を滑っていく。

 そしてようやく入口が見えた。魔力崩壊による崩壊でかなりの高低差があるものの、トレイスは慌てない。氷魔法で手前にジャンプ台を作って、大盾とともに飛翔しようと準備した。


「トレイスさん、右!!」


 リートの声が突然聞こえた。その瞬間、生き残っていたウルフがトレイスに一矢報いようと、大きな口を開けて襲いかかってきている事を認識する。


「――っ、凍てつかせろ小悪魔!」


 トレイスはなんとか体を反らして直撃を遅らせ、氷魔法でウルフを撃退する。

 しかしバランスが崩れたトレイスの体は、ジャンプ台から飛翔した大盾から離れていき、予想よりも左の方へ。


(――まずい!)


 トレイスは自らの着地地点を確認する。そこは既に崩れ去った村の土地で、崖のようになっていた。届くかどうかが微妙の軌道だ。

 苦い顔を浮かべるトレイス、その着地地点の崖の縁へ手をかけようと、精一杯に手を伸ばす。

 そしてその伸ばした手の指先が、なんとか崖の平らな面へと届いた。


(危なかっ――)


 安堵のため息を吐いた瞬間、トレイスの体が浮遊感に包まれる。

 なんとか捕まった崖の縁が、割れて大地からポロリと落ちてしまったのだ。

 全身に寒気が走るトレイス。既に体は重力の囚人だった。


「――トレイスっ……!」


 その寒気に包まれた体を手首から温めてくれたのが、リートだった。

 崖の縁だった塊がぽろぽろと崖を転がっていく音が聞こえ、やがてその音も大穴に吸収されていく。


「……ありがとう、リート。助かった」


「お礼は、持ち上げてから、ですよっ!」


 リートが力を込めると、トレイスの軽い体が一気に持ち上がった。

 地面に転がった二人は、ふうふうと息を荒げながら、次の言葉を紡ぐために、なんとかその呼吸を整えようとする。


「――トレイスさん、無茶しすぎですって」


「……驚いた?」


「そりゃもう」


「やった」


 肩を上下させ、冷や汗を滲ませながら、トレイスはピースサインをする。相変わらずその表情と意図は、読み取るのが難しかった。


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