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第2話「王国を襲う魔災」(1)


「ご卒業おめでとう、そして十六歳の誕生日もおめでとう、リート」


 まったく祝っている様子を感じられない無表情な少女が、リートをじっと見つめていた。

 水色よりもやや緑色をした、襟足が前からでも少し見える長めのショートカットが、風でさらさらと揺れている。彼女の不思議さを助長させているのはその底知れない瞳で、こちらは髪色よりももっと緑寄りのターコイズブルー。顔立ちは凛と整っている印象を受けるが、目鼻立ちの凹凸の少なさを注視すると、幼く見えるようにもなる。目の下に少しだけ見える隈の寒色は、彼女の肌がまるで血の通っていないように錯覚させた。


「それでトレイスさん、今日は何の用ですか?」


 リートは目の前の少女――彼よりも一つだけ年上なのだが――トレイスに率直な疑問をぶつける。

 リートは彼女に呼ばれて、この部屋へとやってきた。ここは魔法学校の高等部の校舎にある、魔法の研究室の一つだった。壁一面に整えられた魔導書はもちろん、棚に置かれている透明の容器――リートの世界で言えば、化学実験室にある試験管やビーカーのようなものや、何やらよく分からない植物、一見綺麗でありながら中で何か蠢いている魔石など、研究室と呼ぶには相応しい場所だ。

 トレイスは何も言わずリートを見つめていた。窓を開けているせいで、学校のグラウンドで魔法の練習をしている声がやけにはっきり聞こえる。


「トレイス先輩、用がないなら私たち帰りますけど!」


 リートの横にいた少女――ベールが机を叩いて立ち上がる。

 茶色のボブカットは初等部の頃からずっと変わらず、顔立ちは可愛いからますます綺麗に、体躯も女性らしくなっていた。流石に成長期を迎えたリートに身長は負けてしまっていたが、同い年の中でもやや背丈は高い方だ。

 ベールの行動に対して反応するように、トレイスはゆっくりと顔を向ける。その表情は特に変わっていない。


「まあ、そうかっかしなさんな、奥様」


「誰が奥様ですか!?」


 トレイスの無表情に対して、リートの顔は明らかに紅潮していた。

 リートはトレイスから顔を背け、窓から外を見ながら、というよりも窓の方へ体ごと向いてしまいながら着席する。リートはそんな彼女の様子に苦笑いを浮かべるしかなかった。

 トレイスは改めてこほんと咳払いをして、リートへと向き直る。


「そろそろ”魔災”についてちゃんと説明しておこうと思って、呼ばせていただきました」


「そろそろって、どうして?」


 トレイスの淡々とした口調に、リートは疑問を返す。ちらりと横を見ると、ベールも一応目線だけトレイスの方を向いていた。


「スコラロス王国が制定した魔法学校法では、高等部は教育機関と研究機関の両方の役割を併せ持つ」


「知っています。ここも研究室の一つですよね」


「うん。君たちが魔法学校の高等部に進学したということは、今までのように教育を受けるだけでなく、王国の未来を引っ張っていく人材として働くことになる。特にリート、君は圧倒的にこちら寄りの人間になるよ。なんたって、”最強無欠の賢者様”なんだから。そんな人に何か教えられるほど、この魔法学校は優れてはいない」


 トレイスは窓の外に広がっている風景を眺めた。リートと同い年ほどの少女たちが、魔法詠唱の練習を一生懸命にしている。

 彼女が発した通り、リートは学園のみならず、王国内で”賢者”と呼ばれる存在になっていた。

 無詠唱で魔法を唱えられる事はもちろん、多くの魔導書を読んだことから様々な魔法を使うことが出来るようになり、またその魔力は高く底が見えない。リート自身もどこまで魔法を撃てるか試してはみたが、一晩中使ってみた結果、体力の方が負けて意識を失ってしまったのだ。

 さらに王国の騎士団主催で行われる剣術大会で優勝したことから、その剣術に関しても噂をされるようになっていた。あの元騎士団長であるグレンの弟子だという事も相まって、王国一の剣士なんて声も一部からは聞こえるようになっている。

 そんな彼に付けられたのが、”賢者”あるいは”最強無欠の賢者”という異名だった。


「あはは……恐縮です」


「卑下をしない、こういう時は胸を張れば良いよ」


「トレイス先輩もすごい人だから」


「そうだよ。えっへん」


 無表情だがどこかホクホクした雰囲気を醸しながら、トレイスは胸を張る。

 身長がベールよりも頭一つ分くらい低く、座高もそれに伴って低い。年上だとは思えないほど可愛らしいなとリートは感じた。

 ただこのトレイスも、リートよりも一つ上でありながら、魔法学校ではトップレベルの魔法研究者で、もちろん魔法を使うのも上手い。扱える幅だけで言えばリートよりも上だろう。

 こほんと一つ咳払いをして、トレイスは元の体制に戻る。相変わらず表情は変わらない。


「話を戻すよ。リートはこれから研究活動が多くなるからこそ、私たちが直面している大きな問題について、改めて確認しておかなければいけない」


「……それが、”魔災”ですね」


「うん、詳しい説明をする」


 トレイスは立ち上がり、研究室の黒板に向かい、小さな白い棒――リートの前世でチョークと呼ばれていたものを掴む。カンカンと研究室に筆記の音が響き渡る。何かの図を描いているようだ。黒板という文化があるということは、リートがこの世界に来て驚いた事の一つだった。

 魔災については、リートもよく知っている。というか、王国に住んでいる者にとっては、誰でも知っているような常識的なことだ。


「御存知の通り魔災とは、約十五年前から発生している、魔力の暴走により周辺地域に被害が及ぶこと。その事例は多様だけど、代表的なのはモンスターの凶暴化と、土地の魔力崩壊」


 トレイスが描いた図には、人々が住んでいる住居と、その近くにある森、そしてその地面にある魔力の流れが描かれていた。


「私たちの住む場所の地中――という言い方は正確ではないのだけど、簡略のためそう呼称する――そこには、魔力が河川の水のように流れている。そしてこの魔力が暴走して吹き出て、例えばこっちの森に住むモンスターに影響を及ぼせば、凶暴化したモンスターの出来上がり」


 黒板に描かれた可愛らしいモンスターの絵に、”がおー”という擬音が付け加えられる。

 リートたちがまだ幼い頃、森で出会った泥状のモンスターも、後からこの魔災の一種だと分かった。魔災によって凶暴化したモンスターは、単に辺りのモンスターや人間を好戦的に襲うだけでなく、魔力の影響を帯びて何かしらの恩恵を得て強くなる。リートが戦ったモンスターで言えば、体を包む防御魔法がそれにあたる。


「そしてもう一つ、地中にある魔力が我々の住んでいる場所で暴走すれば、その土地が崩れ落ちて、すべて魔力に吸い込まれてしまう。これが土地の魔力崩壊という現象」


 黒板に描かれた住居が、黒板消しによって消されていく。図には森と魔力の流れだけが残った。


「現在、なぜ魔力の暴走が起こるかという部分については、私たちはほぼ何も分かっていない」


「……それは、世界に危機に陥れようとする、悪い奴らのせいだって聞きました」


 まるで授業のように手を上げて発言したのは、リートの隣に座っていたベールだった。

 リートもよく聞いたことがある。この魔力の暴走については、人為的な何かによるものが通説になっていた。それが何かはよく分かっていないのだが。


「それは女神の御言葉がうんぬん?」


「うんぬんってよくわからないですけど、少なくとも授業ではそう聞きました」


「ふふふ」


 トレイスはリートたちがここに来てから、はじめて口角を上げた。ただそれは本当に笑っているわけではなくて、どこかベールの事を馬鹿にしたような笑いにも見える。案の定、ベールは明らかに不機嫌そうな表情だった。

 ただベールの言っている事はもっともだと、リートは感じている。このスコラロス王国では預言者が聞く女神の啓示が、政治に影響を及ぼすほど強力なものだ。そしてリートが会ってきた国民は……尊敬する師匠のグレンでさえ、女神の御言葉を、預言者の言葉を第一に動く。

 そして預言者はかつてこの魔災について、人の罪であるという女神のお告げを聞いたらしい。以後、この魔災という現象は、誰か悪い人が起こしているという、リートからしてみればあまりよく分からない立ち位置にあるのだ。


「女神と預言者のお喋りが、何の証拠になる? 我々が求めているのは、確固たる事実」


「それ、聞く人が聞けば死刑待ったなしですよ」


「落ちた首はちゃんと拾ってね」


「はあ……」


 トレイスの無表情から繰り出される言葉に、ベールはもう呆れ返っていた。


「……まあ、女神の存在を否定する事が出来ないのも事実だから、人為的な要因も否定はしない。でも、それを解明するために私たち、魔災対策機関クスウィズンがいる」


「クスウィズン?」


 聞き慣れない言葉に、リートは思わず聞き返してしまう。


「クスウィズンは、魔災の原因を探求する研究機関であり、魔災の被害に遭った人々を助けるための救助隊でもある。私もその一員」


「トレイスさんもですか?」


「うん。私、賢いから研究チームに配属されてる。ついでに魔法も強いから救助チームにも」


 無表情ながらドヤ顔が見えるピースサインをする、自己肯定感マシマシ少女。

 ただその研究能力は本物らしいことは分かった。どんな組織かはまだイメージの段階だが、大人を交えた集団で高く買われているのは、相当なものだ。


「そのクスウィズンは、基本的に女神を信じていないって事ですか?」


「研究チームも一枚岩じゃなくて、女神信仰が厚くて人為的な原因を探る人もいるし、逆に預言者の事を一切信じて無くて自然的な原因で考える人もいるよ」


「色々いるんですね」


「色々いるから、私みたいなのがいてもいい。表向きは女神信仰が絶対だけど――」


「――トレイスさん!」


 突如研究室のドアが開き、白衣を着た一人の女の子の声が響いた。

 どこからか走ってきたのだろう、額にかなりの汗をかいている。


「魔災発生です! トリンフォア村で魔力が暴走、崩壊を始めつつあります!」


 先ほどまで説明を受けていた”魔災”という言葉に、リートにもベールにも緊張が走った。

 トリンフォア村の事はリートもわずかに知っている。王国近くにある小さな村で、魔法学校に通う学生の中にも、トリンフォア村から来ている子がいた。


「分かった、すぐに向かう。近くの救助チームにも連絡を」


「分かりました!」


 白衣の女の子はすぐに部屋を立ち去っていった。

 トレイスは一見落ち着いているように見えるが、よく見ると先程までの無表情よりも、眉が額に寄って険しい表情をしている。


「手伝えることがある?」


 リートはトレイスのそんな様子が珍しく、思わず声をかけてしまった。

 もちろんトリンフォア村が大変だから助けたいという気持ちもあったが、目の前の少女の焦る姿に、なんとか協力できないかと感じていた部分が大きい。


「……ありがとう。私と一緒に来て」


「分かった。ベールは?」


「私も行く。トリンフォアは近くの村だし、助けになりたいから」


 三人は研究室を飛び出し、件のトリンフォア村へと向かった。


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