第11話「ジュスカヴ村の悲劇」(10)
村の山手の方、ちょうど神を祀る巨大な石碑がある方角からやってきたのは、八本脚の巨大な黒いモンスター。
そしてそれは、ジュスカヴ村の民が崇拝している神――アルケネドにそっくりだった。
「アルケネド……?」
イクリは小さくそう呟く。
彼が知っているアルケネドはあくまで伝承上の存在で、この世に実際にいたかどうかは定かではない。仮にいたとしても、その体は地中に眠っている……即ち、もう死んでいるはずだ。
しかし目の前にいるのは、彼が村の人々から散々聞かされた、あの姿をした神だった。
「……おお、アルケネド様!」
アルケネドを信仰している老いた男は、手のひらをそのモンスターの方へと広げて、目を輝かせていた。
村の少女、戦士、老人、そしてイクリの四人が各々の反応を示している間にも、アルケネドは建造物をその八本脚で壊していき、こちらに近付いてくる。流石に命の危機を感じた戦士は、少し後ずさりながら、他の者たちの様子を観察していた。
老人は戦士よりも前に立って、アルケネドの方へと近付いていく。少女は自分よりも何倍もある巨体の生物に脚を震わせ、またしてもその場に倒れ込んでしまっていた。
そしてイクリは――
「おい、イクリ!」
――アルケネドに対して、剣を構えていた。
もちろん彼だって恐怖心を抱かないわけではない。その証拠に、戦士の男から見ても分かるほど腕は震えており、歯を食いしばって額に汗を流している。
「……逃げてください。ここには戦えない人ばかりです。僕も含めて、あの怪物には勝てない」
だが彼は、少女の前に立っていた。
自らが何者かを守ろうとする、まるで騎士のような志で。
だが彼の言葉を聞いて不快に感じた者が一人。彼よりも目の前に立っていた老人が、イクリの言葉にぴくりと反応し、アルケネドへ向けていた視線を、イクリへと向ける。その光を失った眼は彼を見下していた。
「……貴様、何度アルケネド様を侮辱すれば気が済むのだ! 貴様には裁きの鉄槌が――」
――老人が言葉を言い終える前に、彼の目の前に人の身長の半分程度はある建物の残骸が吹き飛んできた。
驚きに目を見開いた老人は、自らの命が脅かされているという事実をようやく実感し、へなへなと座り込んでしまう。彼もまた、自らの命が愛おしかったのだ。
老人の言葉を無視して、イクリは彼らの最前線に立つ。目の前には自らの何倍もの大きさがある八本脚のモンスター。
もちろんイクリに勝機はなかった。憧れの騎士や賢者から教えを請うたとしても、もちろんすぐに目の前の怪物を倒せる訳では無い。
しかしこの中であの怪物に立ち向かえる勇気を持っているのは、自分しかいない――その自覚はあった。この村が崇拝している神を否定し、賢者から剣術を通じて立ち向かう勇気を学び、騎士から生きる希望をもらった自分だけが、今あの怪物を倒すことが出来るのだ。
そのちっぽけな使命感だけが、イクリを動かしていた。
モンスターが一歩、また一歩と四人へ近付いてくる。イクリは騎士から譲られた片手剣を強く握りしめ、戦いの決意を決める。
「――勇気は満点だな、イクリ」
――しかしそんな彼の目の前に立つ、二人の姿があった。
「……アンクさん、リートさん!」
彼らの正体は、イクリの尊敬する師匠だった。
アンクは身長ほどある大槍を背中に背負い、腕組みをしながらアルケネドを観察している。その唇には一本の煙草を乗せて、隙間から白煙を漏らしていた。
対してリートはイクリの方をちらりと見て、柔らかな笑みを浮かべる。彼はアルケネドがいつ攻撃を始めても対処出来るように、片手剣を構えていた。
「お前たち、王国から来た……」
戦士は彼らの正体をもちろん知っている。王国からこの村に来て調査をしていた、騎士団とその仲間だ。
彼らの事はよそ者ということで、戦士の男も無視を決め込んでいた。自分たちのコミュニティを脅かそうとする、敵として。
だが今、戦士の男の中でその評価が覆ろうとしていた。彼らは今、自分たちを助けるためにここにいるのだ。
戦士の男は心の中で一安心する。それは座り込んでしまった少女や、アルケネドに立ち向かっていたイクリも同じだったようで、その表情には先程までなかった笑みや余裕が現れていた。
「よそ者が! 貴様たちが来たから、村がこんな目に!!」
ただ一人、誰よりもこの村に住み続けている男を除いて。
老人はアルケネドの脅威から目を逸らし、リートたちの方を睨んで指を差していた。彼の言うように、この事態を引き起こした原因がリートたちであるかのごとく。
アンクは彼の言う事を無視して、怪物を注意深く睨んでいた。しかしリートは怪物に背を向けて、老人の方に体を向ける。そしてじっと真剣な瞳で、彼の事を見つめた。
「……僕は確かに王国の人間で、自分が思っているよりも利己的かもしれません。女神様からこの村が魔災に襲われるかもしれないと聞いて、ここにやってきました。興味本位でこの村の事を色々と知って、面白がっていたところもあります。――でも」
リートは胸に手を当てて、前のめりになりながら言葉を続けた。
「でも僕は、この村を守るためにやってきたんです! これ以上、魔災で悲劇を生まないために!」
リートの動機は、決して褒められたものではないだろう。
魔災を引き起こしている原因、厄災の魔女ヴィルフィを殺せばすべて解決する。だが彼女が前世で関わったコトノという女の子だから――いいや、そうじゃなかったとしても、自分は魔女と話し合う事を望んでいた。
それは逆に言えば、魔災の解決を先延ばしにするということだ。この選択肢を取るということは、魔災により巻き込まれる被害者の数が多くなるということ。たとえリートたちがどれだけ頑張ったとしても、魔災により悲劇が生まれる回数は絶対に多くなる。
そしてリートがこの村にやってきた直接的な動機は、預言者となり王国と教団に対して影響力を持つためだ。自らの立場のために、魔災に襲われそうになっているこの村を利用していることは、正直に言えば否定できない。
しかし、リートはこの村に来てから、アンクと話し、イクリと出会い、色々なものを得た。
「――僕は女神様からの天啓を受けてここに来ました。最初は自分の役目を全うするために躍起になっていただけです。でも、この村に来て僕は、あなたたちの声をもっと聞きたいと思いました。あなたたちにはあなたたちの、僕らには僕らの、それぞれの考え方がある。僕のすべきことは、あなたたちの声を、言葉をもっと聞くことだと思ったんです」
もちろんアンクはこの村出身ではない。しかし彼女の姿を見て、自分の使命だけを見つめるのではなく、もっと話を聞くべきだとリートは感じた。
その最もたる例が、イクリだ。彼はリート目線では、この村の盗賊でしかなかった。しかし彼には彼の事情があって、そこに手を差し伸べられなくて、何が預言者だろうか、何が賢者だろうか。
正直に言えば、自分たちと考え方が違う彼らの言葉を聞くのは、辛い部分がある。この老人の言っている事がまさしくそうだ。彼はこの村のあの神を崇拝していて、自分たちの考え方とは合わない。
しかし自分はそれに立ち向かわなければいけない、リートはそう感じていた。アンクが求める預言者になるために、世界平和を願うザペルたちの思想を継ぐために。
「だからこそ、あなたたちには生きて欲しいんだ!」
リートの力強い言葉に対して、老人は何も返すことが出来なかった。
彼の理論で否定することは容易だっただろう。セネシス教に従わないこの村を滅ぼそうとしている、なんて言えば信じる理由はなくなる。
しかしその老人は、そう言い返さなかった。それよりも目の前の若者が、自分たちが今まで与えられてこなかったものを、与えようとしている姿勢を感じて、言葉を詰まらせてしまったのだ。
老人はこの村でずっと暮らしてきて、この村のアルケネド神を崇拝してきた。そしてそれはセネシス教と道が異なっていたからこそ、王国とはそもそもの対話が成立せず、ジュスカヴ村は自立せざるを得なかったのだ。
それに対してこの若者は、女神の名を出してはいたが、基本的には対話の意志を見せている。その意志は老人の心を揺り動かすものだった。
「……リート、もう時間がない」
リートの隣に立ってアルケネドを警戒していたアンクが、小さくそう呟く。そして続けて大きく口を開き、自身の言葉をその場の皆に聞かせた。
「イクリ! ここは私たちが食い止める。お前たちはこの村を避難しろ! ――誰も死なせるなって、お前の剣の師匠も言ってる」
アンクの言葉にイクリの瞳には、炎が宿った。
彼はアンクとリートから貰った剣を再び強く握りしめ、決意を新たにする。そして彼らに背を向けて、今度は老人の方を向いた。
「お願いです、一緒に逃げましょう。この村みんなで生きて、悲劇を回避するんです」
「…………」
老人は何も告げなかった。自分より小さな子供の、あまりにも大きな意志に対して。
代わりに老人はアルケネドに背を向け、ゆっくりと歩き出す。その行動が既に答えだった。
戦士は傍らで倒れていた大工に肩を貸して、並行して村の門へと歩いていく。時折リートたちの方を心配そうに振り返りながら。
そしてイクリは女の子が立ち上がるのを再び手助けし、手を繋ぎながらアンクたちの方を見つめた。
「……この村みんなで生きて……っていうのは、もちろんリートさんやアンクさんも、ですよ」
「ふっ、誰に言ってるんだ」
アンクは煙草を咥えたまま、自らが背負っていた大槍を持ち上げ、アルケネドの方へとその切っ先を向ける。
「私もリートも、まだ教え足りないことばかりだからな」
アンクの咥えていた煙草が、彼女の歯に噛まれて折れ曲がる。アンクの口角が珍しく、少し上がっていた。




