第11話「ジュスカヴ村の悲劇」(9)
突如ジュスカヴ村を襲った振動は、既に就寝を始めていた村人たちをみな叩き起こすことになった。
魔災による崩壊が始まる中、村人たちは動揺して、何をすれば良いか戸惑っている。それも当然のことで、この村は別に他の地域から攻め入られることもなく、自然災害があるわけでもない。モンスターが餌を求めてやってくることもあるが、ジュスカヴ村の戦士たちがそれを退治してくれて、住民は安心して暮らすことが出来ていた。村全体が何か危機に瀕するということは無かったのだ。
しかしこの村を初めて襲った魔災は、村全体を包むかのように振動を与えていく。突然の事態に村人たちは、辺りを見渡す者、恐怖心で泣き崩れてしまう者、アルケネド神の墓地に向けて祈りを捧げる者など、様々な反応を示す。
「……あれは、モンスター!?」
そんな村人たちに対して、容赦なく魔災は次の一手を示す。
魔力の暴走が生み出した現象は、なにも崩壊だけではない。周囲にいるモンスターを凶暴化させ、村人を襲わせているのだ。
赤く染まった眼で彼らを襲い始めたのは、元々山に住んでいた四足歩行のリザードたち。村人たちもその姿こそ知っていたが、しかしここまで凶暴なものを見たことがなかった。彼らは縄張りさえ侵略しなければ、こちらを襲ってこない。ジュスカヴ村とはしっかりと均衡が取れていたのだ。
しかし今回の魔災により、その均衡は崩れてしまうことになる。彼らは次々に村人たちを襲う。村の手練れや大工たちがなんとか追い払おうと対抗し、持ちこたえていた。
「……なんだ!?」
しかし一人の屈強な大工が突如、驚嘆の声を上げる。リザードを一匹狩った戦士がその大工の方を振り向くと、彼は明らかに目の焦点が合っておらず、ふらふらとしていた。そしてそのまま、尻もちをついてしまう。
その大工の視界は揺れていた。決して大きな傷を受けているわけではない、少しリザードの爪で切り傷を作っているだけだ。彼が仕事中にした怪我の方がよっぽど大きいはずなのに、目の焦点が全く定まらない。
そこでその戦士の男は一つの可能性に気付く。これはリザードが持っていた毒なのではないかと。
「大丈夫か!?」
戦士は巨漢大工のもとへと急いで近付く。筋肉にちゃんと力が入っているから、死に至ることは今のところ無さそうだと判断した。
だが、戦士の男の頭に、また疑問符が浮かび上がる。彼はこのあたりのリザードなど幾匹狩ったかは分からないが、そんな毒を持っているような種族などいただろうか。
「……いったいどういうことだ」
戦士は動揺を表情に露わにしながら、一体何が起きているのか混乱してしまっていた。
しかし周囲を見渡す彼の視界に、もう一匹リザードがやってくる。それはこちらを狙ってくることはなかったが、しかし――
「危ない!」
――リザードの眼には、一人の泣き崩れた少女が映っていた。
戦士の男が叫んだと同時に、少女は自らに近付く者の正体に気付く。リザードは鋭い爪を振りかざし、少女の体を切り裂こうとしていた。
涙で濡れた少女の瞳が、ぎゅっと閉じられ、涙の粒が弾かれる。もちろん少女には抵抗する力などない。戦士は目を見開き手を伸ばしながら、攻撃を繰り出しているリザードへと手を伸ばした。もちろんその手が届くような距離でないのは、戦士も分かっている。
「――な」
しかし戦士が見たものは、切り裂かれる少女の残虐な光景ではなく、突如やってきた一人の少年が、一本の剣でリザードの攻撃を弾いた瞬間だった。
驚きと同時に、戦士は自らの踏み込んだ足に精一杯の勇気を込めて、リザードへと接近する。そして少年が作り出したリザードの隙を突いて、持っていた斧を大きく振りかぶり、リザードを脳天から叩き割った。
血を吹き出しながらリザードは絶命する。その血を浴びて苦い顔をしながら、戦士は助太刀に来た一人の少年の姿を見つめた。
グレーのふわっとした髪に、あどけなさを残しつつもどこか勇気に溢れた表情、背丈は少女と同じほど。
その姿は村でも少し噂になっていて、戦士は意外な助けが来たことに目を見開いた。
「……お前は、イクリか」
イクリは刃のついた剣を腰につけた鞘に入れ、男の方を少しだけ見て軽くお辞儀する。その剣はジュスカヴ村で作られたものではない。鞘に刻まれた紋章は、王国騎士団のものだった。
イクリはそのまま少女へと視点を移し、少ししゃがんで目線を合わせる。立てば同じくらいの背丈だろうが、腰が抜けて座り込んでしまったこの子を安心させるためには、目線を合わせることが大事だと感じた。それは昨日、王国からやってきた師匠たちが自分にずっとしてくれたことだ。
「大丈夫? 立てる?」
「……うん」
少女はイクリが差し伸べた手をゆっくりと掴んで、一緒に立ち上がる。イクリとほぼ同じ年齢だから、背丈もほとんど変わらなかった。
「この村は魔災によって崩壊するって、王国から来た人が言ってたんだ。だから早く、ここから逃げたほうが良いよ」
イクリが真剣な表情でそう告げる。突然この村が崩壊するということを告げられ、少女は驚きと不安が混ざったような表情を浮かべた。
イクリは近くで二人の様子を見守っていた戦士の男に目を配り、体をそちらの方へ向ける。その表情は、大人である戦士の男よりも真っ直ぐで冷静だった。
「一緒に逃げましょう! 僕は自分を守るので精一杯で、この子の事をお願いしても良いですか?」
「……お、おう、わかった!」
完全に動揺している戦士の男も、イクリから指示を受けて、自らが行うべきことを再認識する。
これではどちらが大人なんだろうか。戦士の男は自分に対して内心呆れながら、村の出口の方に振り向き――
「――ちょっと待てお前ら! お前らは王国に味方するつもりか!?」
しかし三人の間を邪魔する、しゃがれた男の声。
彼らを止めたのは、一人の老人だった。彼が着ている衣装には、様々な装飾品――アルケネド神に対しての信仰を表現したものが、ごてごてと付けられている。
「おじいちゃん、逃げないと!」
「黙れっ! 我々のことをアルケネド様が救ってくださる! ここで信じずに逃げ出してしまうということは、即ち背信を意味するのだ!」
イクリは老人の、見た目の老衰さからは想像も出来ないほど力強い信仰心に、その瞳を揺らす。
戦士も少女も、この老人の言わんとしていることは分かった。確かにこの村をアルケネド神が救ってくれるかもしれない。これは自分たちに与えられた試練で、我々は今試されているのだと。
そして何より戦士の男にとっては、アルケネド神への背信という言葉に怯んでいた。この村でアルケネド神に逆らうということは、即ち死を、或いは村八分の立場へと転落するということだ。
苦い顔をする戦士に対して、満足げな表情を浮かべる老人。戦士の男は何も言い返すことが出来なかった。
だが戦士は、隣りにいる少年が震えるほど強く、握りこぶしを作っていた事に気付く。
「――アルケネド神は、誰も救いません。そんなまやかしを信じるなんて、バカみたいです」
吐き捨てるようにそう呟いたイクリに対して、言われた老人はもちろん、それを聞いていた戦士の男も少女も、彼の事を驚嘆の表情で見つめていた。
イクリは両親を失っているのだ。救ってくれる神様がいるのであれば、自分を一人ぼっちにするはずがない。まして神の存在を否定することで村八分にされたイクリは、この村が狂っていると感じていた。
イクリの言葉の意味をようやく咀嚼した老人は、その額にしわを一層作り、青い血管を浮き上がらせて大きく口を開く。
「貴様! 一度ならず二度までも我らが神を侮辱するなど! そんな不届き輩にはわしが――」
――衝撃。
老人の声がその衝撃によって打ち止められる。大きな衝撃一つの後には、どしん、どしんとゆっくりとした足音に加え、建物が割られるような倒壊音が繋がっていた。
そして建物が倒壊して、その場にいた人物が見つめた先にいたのは。
「――アルケネド、様?」
老人の気の抜けた言葉が、辺りにこだまする。
そこには伝承で語られていた姿と同じ、二階建ての建物の二倍はあるような巨体をした八本脚の神様が、その歩む先のジュスカヴ村の建築物を、どんどんと壊していた。




