第11話「ジュスカヴ村の悲劇」(8)
アンクとリートが訓練で戦った日の夜。
宿屋の屋上に一人で来ていたリートは、そこでアンクと出会った。
「よう、賢者さま」
アンクが手すりに体を預けて腕を組み、煙草を口に咥えたままそう呟く。
その表情は一昨日同じように会った時よりも、少しだけ柔らかくなっていた。
「こんばんは、アンクさん。今日はありがとうございました」
感謝されるような覚えが無かったアンクは、ほんの少しだけ首を傾けた。
リートはアンクの横に並び、満天の星空を見上げる。相変わらずジュスカヴ村から見る夜空は、王都よりも数段と星の輝きが大きく、綺麗だった。
「色々と感謝したいことはあるんですけど、まずはこの村の調査に手伝ってくれたことです」
「ああ、そのことか」
アンクは模擬戦闘が終わった後、自らこの村の調査に名乗り出てくれたのだ。もちろん村の調査はリートが行おうとしていたことで、あくまでアンクは護衛として着いてくるという手筈だった。しかしどちらがこの村を調査しても良いのであれば、剣術をイクリに教えるリートではなく自分だろう……そう言ったのだ。
イクリはリートに対しても目を輝かせていた。もちろん一番はアンクだろうが、そんな彼女をもう一歩の所まで追い詰めた強さに感動したという。剣術を中心に手ほどきをすることになったリートは、村の調査をアンクに任せたのだ。
「……別に感謝されるようなことじゃない。お前はお前の仕事を、私は私の仕事をしただけだ。それにお前たちも調査はしていただろう」
アンクは口に咥えた煙草を指で挟んで掴み、ふう、と煙をまっすぐ星空に吐いた。煙草の煙はすぐに霧散する。この星空は澄み渡っていて、煙草の煙などでは決して汚れない。
村の調査をアンクに任せた後、リートはイクリに剣術を教えていた。剣を持つということについて、基本的な事をイクリに伝えている。かつてグレンに教えてもらったことの真似事ではあったが、イクリは満足そうにリートへ懐いていた。
講義が終わったあと、リートたちはイクリに案内されて、村の調査を行っていく。少し時間はかかったが、村の奥にあった神の体が眠る墓を訪れたのだった。
作物や鉱物などの供え物が置かれていたが、ある種当然のことながら、それは手を付けられず放置されている。無くなった時もあったようだが、いざ調査してみると浮浪者が飢えて手を出したらしい。その浮浪者は殺されて、しばらく首が供物になったそうな。
ここ最近の話だとは聞いていたが、イクリのような子供がショッキングな事を語るギャップに、リートは苦笑いするしかなかった。
そしてその後、イクリと別れリートたちは宿に戻ってくる。そしてアンクと合流し、この村の神様の情報を共有したのだ。
「……この村の神様って、モンスターなんですかね?」
アンクの報告を聞いた瞬間に感じたことを、リートは思い出してそう告げる。
アンクが調べてきたのはこの村の伝承だった。幼い頃に教会で文字を覚えていたアンクは、村の図書を調べて伝承を調べたのだ。
その伝承には、アルケネドと呼ばれる八本脚の神様がこの世界を作ったと書いていたという。その神の脚が一本ずつ生えると、世界に様々なものが創造されるのだとかなんとか。
文献の中に記載されていた、この村に祀られている神の姿も、アンクは模写してくれていた。
その姿は、リートの前世で言うなれば蜘蛛だ。八本脚の巨大な黒い蜘蛛が、この村の神様だった。
「今の言葉、この村の奴に聞かれたら殺されるぞ」
「でも実際、源流はモンスターに近いと思うんです」
「まあ、確かにな」
体裁は気にしながらも、思う所は同じなのだろう。アンクは表情にこそ出さなかったが、この村の歪さを感じている。
だがモンスターといえど、結局はこの村で語られている神話上の姿だ。現在がどう、という話ではないだろう。
「……それで、どうだ賢者様、この村を魔災から救えそうなのか?」
アンクの星空を映していた瞳が、今度はリートの事を映した。その瞳に疑いの気持ちは滲んでいない。
しかし当のリートは、うーん、と声を出すことしかできず、首を傾げる。
「まだ魔災に対する根本的な解決方法が分かっていない以上、この村の崩壊を避ける方法が見つからない。僕らに出来ることは、同時に発生した凶暴化したモンスターを倒して、一人でも多くの村人を救うことくらいですね……」
「……まあ、仕方ないな」
昨日までのアンクであればここでリートの事を笑っていただろうが、今日は彼の言葉を笑わず、ただ目線をまた星空に逸らすだけだった。
村の調査というのは、王国側の課題だ。リートの目的はあくまで来る魔災からこの村の人たちを救うことにある。
しかしリートが分かっているのは、この村で近々魔災による影響が出ることだけだ。魔災を根本的に解決することが出来ない以上、この立派な村を救うことはできない。避難しようと村人に声をかければ、かえって彼らを刺激してしまうことになるだろう。
リートは自分の無力さを噛み締めて、握りこぶしを作る。本当は魔災を止める事ができれば良いが、自分にはそんな能力はないのだ。
そんな彼の様子をちらりと見ていたのは、手すりにもたれかかって煙草をふかしていたアンクだった。
「……そういえば、朝の質問にまだ答えられていなかったな。私の事が知りたいと」
アンクは懐から煙草の入った入れ物を取り出し、今まで吸っていたものをそこに捨てて、容器の別の口から新しい煙草と魔石くずを取り出す。赤い魔石くずで煙草に火をつけたアンクはそれを咥え、口から星空へ白い煙を吐き出した。
「私が幼い頃に、両親は亡くなった。モンスターに襲われたんだったか、それとも人為的に殺されたのか……流石に覚えてない」
「身寄りはなかったんですか?」
「ああ、そうだ。かくして浮浪者が一人出来上がり、私は王都の路地裏でゴミから食べられるものを探し、無ければ誰かから盗むしかなかった」
「それって――」
リートは一人の少年の姿を思い出す。今日、剣の稽古をつけて、村を案内してもらった男の子だ。
「――ああ、イクリと同じだな」
アンクの星空を見つめる瞳が、そのレンズを少しだけ小さくした。
彼女は自分と同じ運命を辿っている少年に対して、施しを与えたのだ。だからこそ盗みを咎めず、むしろそれを磨くための時間敵猶予を彼に差し出した。
「……だが私にも罪悪感があった。”持っている”奴が嫌いなのは今も昔も変わらないが、別にそいつらが悪いことをしたわけじゃない。自分なんか死んでしまえと思ったよ」
アンクはまた一息、星空に向かって白い煙を吐き出す。
きっと今でも彼女の中には、その辛さは残っているのだろう……リートはそう感じていた。
「そこで向かったのが、セネシス教の教会だった。罪の懺悔と言えば教会だろう、って幼心ながら安直に思ってな」
「……それでザペル様と」
彼女の口からザペルという名前が出てきたのを思い出す。それは今朝、模擬戦闘を行う前のことだ。
彼女は今は亡きザペルのことを信頼していた。自身の気持ちに対して親身に向き合ってくれた、と。
アンクはリートの言葉に一つ頷き、空から視線を外すこと無く言葉を続ける。
「ザペル様は私が悪いことをしたと告白しても、許してくれたよ。後悔して償いたい気持ちがあるならば、それを実行すれば世界はもっと良くなると」
「それで、騎士団に」
「ああ。私は戦う才能はそれなりにあったらしい。女が騎士になるなんて笑われたこともあるが、そんな奴は片っ端から負かしていったよ」
リートは彼女の力強さに、苦笑いを浮かべていた。
しかしそれに至るまで多くの努力を積み重ねてきたのだろう。事実、アンクは騎士団の中でも優秀な功績を上げているとグレンから聞いていた。
リートは彼女のことを、改めて見直す。最初は絶対この人とは相容れないだろうと思っていたが、彼女には彼女の素晴らしさがあるのだ。
「まあ私自身も、元盗人が王国の騎士になるなんておこがましいと感じたこともあるさ。でもグレン元隊長に認められた時は、自分はここにいて良いんだと思えたな……」
アンクは表情こそあまり変わらないが、どこか懐かしさを覚えるように、夜空のもっと奥にある自らの記憶を見つめていた。リートも彼女の追憶に対して口を挟むのは野暮だと考え、村の宿の屋上は静寂に支配される。
しかしふとアンクが何か言いたいことを思い出したかのように、リートへと向き直った。
「一つ質問があるんだが。というよりも、確認か」
「なんですか?」
アンクは煙草の煙を口の端からこぼしながら、リートへとまっすぐに向き直る。
「……お前は、預言者になりたいんだろ?」
「えっ?」
アンクの芯を突いた確認に対して、リートは驚嘆の声を上げる。その声が思ったよりも素で出てしまったもので、アンクの確認にはそれが回答になってしまっていた。
女神の言葉を聞いたという話は多くにしているが、自分が預言者になりたいという所までは誰にも話したことがない。ずっと付き添っているベールや、察しの良いトレイスならまだしも、今日ようやくまともに話すことが出来たアンクに気付かれるとは思ってもいなかった。
「……どうしてそれを?」
リートは取り繕うのも今更だと感じ、それを認めるようにアンクへと問いかける。
「王都情勢を鑑みてという側面も一応はあるが、それよりもお前を見てれば分かるさ。セネシス教を信じていて、お前の事が嫌いだった私ならな」
「……なるほど。確かに僕は預言者になろうとしています。アンクさんは反対ですか?」
アンクは少しリートの事を見つめて、腕を組んで悩んでいる素振りを見せる。
少し会話は出来たが、アンクにとってリートは結局、女神の声を聞いたと言っているだけの一人の青年に過ぎないのだ。
「……別に。私には本当に女神の声が聞こえているのかも分からないからな。ただ――」
「ただ?」
アンクはまた一つ、煙を星空に吐き出した。そして短くなった煙草をまた入れ物に入れて、今度は新しいものを取り出さずに、まっすぐリートを見つめる。
「――ただ欲望を言うのなら、私でいうザペル様のような存在になってほしい。まだお前には荷が重いと思うが、民の声を蔑ろにしないような教団の指導者に。だったら私も協力してやるよ」
その瞳は真剣そのもので、しかし敵対心ではなく、信頼の現れのようにリートは感じた。
「ええ。僕もこの世界を平和にする中で絶対に――」
リートは決意を新たに、アンクへと言葉を返そうとした。しかし突如二人を襲った振動が、彼の言葉を途中で止めてしまう。
「これは、魔災――っ!?」
この村全体を飲み込もうとする、巨大な振動。
いよいよ恐れていた魔災が始まったのだ。




