第11話「ジュスカヴ村の悲劇」(6)
「……中々良い感じになってきていますね。もうワンセット続けましょうか」
「うん!」
村を散策し、少年から金をすられそうになった翌日のこと。
リートたちが泊まっている宿の近くにある広場で、朝日に照らされながら、キャロシーと一緒に体術の修行に励んでいる人物がいた。
「……どうしてあの子がキャロシーと?」
リートは近くでタオルを持って見ていた、まるで運動部のマネージャーのようなベールに声をかける。
あの子――昨日自分から金を盗ろうとした張本人の少年は、一生懸命にキャロシーと修行へ打ち込んでいた。服装は相変わらずボロボロだったが、昨日は俯き加減であった姿勢は、まっすぐ前を向いて気持ちが明るくなっているように思える。
ベールは栗色の瞳を微笑ましそうに少年たちへ向けながら、リートの言葉に返答する。
「あの子、今朝突然やってきて、あの人の弟子にしてほしいって言い出したんだよ」
「あの人?」
「ほら」
ベールが目配せした方を見ると、そこには紺色のショートカットの女性――アンクが、少し高い塀に、片足だけ三角座りの要領で腕を巻き込むように折り曲げ、キャロシーと少年の方をじっと見ながら座っていた。よく見るとその指には煙草が一本挟まっている。
なるほど、とリートはこの状況を納得した。
少年は昨日自分から金を盗もうとしたが、アンクに見つかり追い詰められる。しかしアンクは自分の事を逃がして、しかも銀貨を数枚与えてくれた。極めつけは盗みに対して教えを施していたのだ。
彼が憧れる理由も少し分かる。自分だって剣術の師匠であるグレンには、ほぼ一目惚れのように弟子入りを志願したのだった。
「イクリくん、っていう名前らしいね。キャロシーちゃんから聞いたよ」
少年――イクリの一生懸命な姿を二人で眺めながら、彼の境遇をリートは推察する。
ただの盗賊という割には幼く、身なりにまだ綺麗な部分がある。両親が亡くなってしまったというのは大きなことだが、それでも周りの大人がなんとかしてくれなかったのだろうか。
この村の事をまだよくは知らないが、決して人情の薄いような村ではないと思う。閉鎖的なコミュニティを築いていくためには、コミュニティ内での協力体制が必要だ。別段金銭的に困っている様子の村人もいない。もし路頭に迷っている少年が一人いれば、普通は誰か助けようとする人がいてもおかしくなかった。
だが実際に彼は誰かに助けられるわけでもなく、盗賊の真似事をしている。それどころかよそ者である自分たちの所へ好き好んでやってきて、こうやって一緒の時間を過ごしているのだ。
「……どうして彼は、村人から助けられないんだろう」
リートの率直な疑問に対し、ベールは視線を彼の方へ向けて、何かを思い出すかのように人差し指の先端を唇につけて、視線を今度は晴天の空へと映した。
「覚えてる? 昨日イクリくんが言ってた言葉。――神様は助けてくれなかった、って」
「うん、覚えてる。……そうか、彼は信じていないんだな、この村の神様を」
リートは再びイクリの方をじっと見つめて、彼の境遇に思いを馳せる。
彼は別にこの村の外の人間というわけではない。元々この村に住んでいたが、不幸にも両親を失い一人ぼっちになってしまった。
この時点ではきっと村人たちも助けてあげようという気持ちだったのだろう。しかし彼はこのジュスカヴ村の神様を否定した。自らの両親を死に追いやった神様を。
そしてそれが表に出てしまったからこそ、この村での居心地が圧倒的に悪くなったのだ。誰も助けてくれる人がいなくなり、盗みに手を染めるしか無かったのだろう。
あくまでリートの想像ではあるが、決して的外れということはないだろう。彼はイクリの残酷な運命に悲しさを覚えつつ、もう一つ気になることが出来ていた。
それは塀の上に座って煙草をふかしている、あの女性のことだ。アンクはイクリの事情をいち早く察して、彼に施しを与えた。
両親を失っているということは、二人に共通していることだ。きっと自分と同じ気持ちを抱いている少年に対して、何かしてあげたいと思うのは分からなくはない。
しかしどうにもアンクの性格を鑑みると、彼女がそのような行動に出た事が意外だった。あくまでイクリは村の人間で、アンクの知ったところではない。仕事人間というイメージがあるアンクについて、リートはまだまだ知らないことだらけだった。
(あの人とちゃんと話したいな……)
リートは塀の上で煙草を吸っているアンクの様子をじっと見つめる。彼女はずっとイクリの方を見ていた。まるで弟か、自分の娘かを見るような、どこか柔らかさを秘めた瞳で。
しかし彼女をじろじろ見すぎたのか、リートとアンクの視線がぶつかってしまった。リートは慌てて目線をイクリの方へと向ける。こういう時になんだか引いてしまうのは、自分の心の弱さの現れである気がして、リート本人は少し嫌だった。
だがアンクは煙草を捨てたあと、塀から飛び降りてリートの方へと向かってくる。そして彼の隣に立ってもう一本、煙草を取り出して吸い始めた。
何も話しかけてこない彼女の奇行に、リートは内心少し怯える。それでも彼女へ抱いている不思議な感情に決着を付けたいという気持ちも強かった。
「アンクさん、お話ししたいことがあるんです」
「なんだ?」
「どうしてあの子を助けてあげたんですか?」
「……個人的な事だな。言ったろ、別にお前と馴れ合うつもりはないと」
「それでも――」
リートはアンクの拒絶に負けないように、彼女の方へ体を向けてまっすぐに向き直り、鋭い眼差しで彼女を見つめた。
「――僕は知りたいです、あなたがあの子を助けた理由を。それがアンクさんを理解することに繋がりますから」
リートの芯の通った声に対して、アンクは少しだけ目を丸くした。彼の前では初めて見せた表情だ。
「……私の事を知って何になる」
「仲間って言ったら嫌がるかもしれません。だけどアンクさんは困ってる人々を救おうと考えてる人で、僕はあなたほどじゃないかもしれないけど同じ気持ちです。あなたの気持ちを知ることができたら、僕はもっと色んな人を救える気がするんです」
リートの言葉を聞いてアンクは、煙草の燃え尽きた灰が自重で落ちることも気にせずに、横目でリートをじっと見つめていた。
アンクはリートの事を信じているわけではない。団長から聞いていた「彼が女神の天啓を受けた人物だ」という言葉も、失礼な考え方だが弟子に対する贔屓が入っているように感じて仕方がなかった。
だが目の前でこちらをまっすぐに見つめる青年の瞳には、決意のようなものがみなぎっている。それは何物も与えられてぬくぬく育っただけの奴ができる瞳ではない。
「気持ちを知れば救える人が増える、か……ザペル様も同じことを言っていた。あの人は偉い人だから中々教会には来なかったけど、私の気持ちに親身に向き合ってくれたよ」
そんな彼に気圧されたのか、アンクは身の上話をぽろっとこぼしてしまう。
アンクが両親を失った時はまだ、ザペルが預言者として教団のトップに立っていた。彼はそんな立場でありながら、王都の教会によく足を運んで、様々な人の悩みを聞いていたのだ。
身寄りを失ったばかりのアンクは心の拠り所がなく、なんとなく居場所を求めて教会へと入ると、怪しい雰囲気の中年男性に話しかけられた。彼がザペルだと知ったのはもう少し先の話になるが、親身になって話を聞いてくれるその男性に、アンクは心の拠り所を見つけられた気がしたのだ。
アンクは一つ、ため息を吐く。それは諦観か、或いは微かな期待を帯びていた。
「……一つ提案がある」
リートに投げかけられた言葉に、その呼びかけられた本人は驚いて目を丸くしてしまう。
これまでこちらからアンクに話しかけることはあっても、アンクの方から話しかけてくる事は無かったからだ。
「なんですか?」
アンクは煙草の煙を遊ばせながら、キャロシーと一緒に修行へ励んでいるイクリの方を眺める。
その視線は鋭さこそあったが、まるでグレンが自分を見るかのような、温かい眼差しだった。
「あの子の体躯なら私の槍術よりも、お前の身軽な剣術の方がきっと向いている。それを教えてあげてほしい」
アンクからの予想外の言葉に、リートは思わず、えっ、と声を上げてしまう。
その動揺が予測できていたのか、アンクは別にこちらを気に留めるまでもなく、イクリの動きを見続けている。
彼はどちらかといえば軽い武器で戦っていく事が今の段階では大事で、アンクのように重い武器を無理に背負う年齢でも筋肉量でもない。リートはそれを感じていた。
だが本当に良いのだろうか。イクリが憧れているのは、呑気に財布を取られた自分ではなく、彼の事情を知ったうえで諌めたアンクなのではないだろうか。
「本当に良いんですか?」
「別に。私はそこまで剣術に明るくなくてな、お前の方が適任だと思ったから指名したまでだ。――だが」
アンクは突然、鋭い視線をリートへ向ける。
「その前に、私がお前の力を測りたい。イクリに観察してもらう意味も込めて、私とお前で模擬戦闘を行いたい」
彼女の瞳には、リートを試すようなニュアンスが込められていた。
リートもそれを察して、まっすぐにアンクへと向き直る。戦いを通じて彼女の事をもっと知ることができるかもしれない。
それに王国騎士と模擬戦闘を行うのは、リートの学びにもなる。彼は魔法こそ他と桁外れの能力を持っているが、武器を用いた近接戦だけに関してはまだまだ伸び盛りだ。
「……わかりました」
リートは快く了承する。そしてイクリとキャロシーの修行が一段落したところで、彼らの訓練が始まった。




