幕間「預言者不在の王都にて」
ここ最近の王都は翻弄されている、ザペルは常々そう思っていた。
厄災の魔女という世界を脅かす存在が現れているのはもちろん、魔災により凶暴化したモンスターの襲撃、厄災の魔女による教団本部の襲撃と預言者の誘拐、そして魔女の父親を発見したが逃げられたという事実。
ザペルは預言者の間にある高級な椅子に座りながら、大きなため息を吐いた。元々、ティアルムが座っているはずの椅子だ。
厄災の魔女に拉致された我が娘は帰ってこない。一度は王都の路地裏で拘束されているのを助けたという報告があったが、謎の襲撃者によって再び連れ去られたという。魔女本人か、それとも別の協力者か、それすらも判明していない。
王国と教団は大きな力によって、振り回されていた。
そしてその中心にいるのは、あの魔女ヴィルフィだ。
(だが、本当に奴はこの世界の敵なのだろうか……?)
ザペルは教団が襲撃された時の、あの魔女の様子を思い出す。
聖龍ティアマットの存在を知っているのは、ザペルと、その話を聞かせたティアルムだけだ。彼は神話の存在ではないため、文書で存在が記録されているものではない。もしかしたら何かしら口伝されているものはあるかもしれないが、ザペルの長い人生でそのような話は聞いたことが無かった。
しかも彼女が聖龍の名を叫んだ瞬間、一匹の黒猫が教団の壁を壊すほどの攻撃を放ったのだ。龍と姿は違えど、あれがもし本当に聖龍なのだとしたら……
「……奴は本当に聖龍ティアマットと出会い、そして女神と会おうとしている、のか?」
そしてザペルが行き着いた先は、女神への不信感だ。
ティアルムは女神の事が大好きで、女神の天啓を疑わずに信じている。もちろん自分だって女神という超常的な存在に対し、畏怖の念が消えることはない。
だが、もし女神が我々人類を手玉に取って、何かを成し遂げようとしているのであれば……ザペルとティアルムが目指している世界平和に繋がらない可能性があるのではないか?
(……女神様に歯向かう魔女、か)
もちろん普通の悪人であれば、ザペルはここまで心を揺さぶられることはなかっただろう。教団の元預言者であり、今でも教団の指揮を取っている自分であれば、なおさらだ。
それでもあの魔女の言葉が気がかりなのは、彼女があの魔女の弟子だからだろう。
ガラリエ。ザペルが愛した魔法使いの名前。
彼女はただひたむきに魔法を愛していた。研究者として活躍した場面は数しれず、王都の上空に魔法の結界を張って、王都の守りをより強固にしたのも、ガラリエの功績が大きい。
もちろん彼女は教育者としても素晴らしかった。魔法学校で講師をしていた彼女の教え方は、学園のこれまでの指導方針とは異なっていたが、それはそれで人気があったのだ。ザペルはかつて一度講義を見学したことがあったが、今まで自分が学んできた魔法の浅はかさを思い知ることになった。
そんな人物が、女神の天啓一つで命を狙われることになったのだ。もちろん自分が女神の天啓を伝えなければ良かったのだが、流石にザペルのような人間風情が女神に逆らうという暴挙は出来なかった。
なぜ女神様はガラリエを殺すように指示したのだろうか。魔法の研究に余念がなかったガラリエは、世界の構造についてもよく調べていた。あれが女神にとって都合の悪いものだったのだろうか。
「……もしあの魔女が女神に会えたら、ガラリエの事も尋ねてくれるのだろうな」
魔女ヴィルフィと会って、一つ分かったことがある。彼女は師匠であるガラリエの事が本当に好きだったのだ。
だから自分に対して、どうして追放したかと尋ねてきた。彼女が理不尽にあった、その悔しさに報いるために。
ザペルは今、女神よりも、魔女の方を信頼している気がしてならなかった。表向きそんな事は言えるはずもないが、それでも心の奥底では、あの魔女に賭けてみても良いと思っていたのだ。
「……聖龍ティアマットの力を復活させる方法か。調べるには骨が折れるな」
ザペルはまた一つ、大きなため息を吐く。
別にあの魔女の味方をするわけではない、ただ自分が知りたいだけだ。この世界について。
それはザペルとティアルムが目指す、世界平和というものに通じているはずだから。
ザペルは教団の図書から調べようと、ティアルムが普段座っている椅子から立ち上がろうと――
――突然、預言者の間の扉が勢いよく開き、教団兵が一人、棒立ちをしている姿が目に入った。
「……おい、神聖な部屋であるぞ。身の程を弁えよ」
ザペルが低い声で教団兵を睨む。そもそも預言者の間は一般の教団兵が立ち入って良い場所ではない。どれだけ緊急時でも、普通であれば一声かけてから部屋に入るべきだ。
しかし目の前の教団兵は何も反応しない。ただ俯いたまま、体だけこちらを向いているだけだ。
「おいお前、返事を――」
ザペルの苛立ちが突如、驚愕へと変わり、その言葉が失われる。
教団兵が力なく倒れてしまい、その背後に立っていた謎の人物の姿がザペルの目に入った。
白い外套が、謎の侵入者の顔をも隠し、性別も年齢もわからなくさせている。
「止まれ!」
ザペルの言葉に怯むことなく、ゆっくりとザペルの方へと近付いていく、白い外套の人物。あの魔女とは違い、どこか神聖な雰囲気を漂わせている。
ザペルは魔法を詠唱し、光で作られた眩しい矢を一つ、相手の方へと放った。
「――な!?」
しかしその矢は侵入者の目の前で弾かれて、消え失せてしまった。
相手は何も魔法の詠唱を発していなかったはず。防御魔法を来る前から張っていたにしては、自分の攻撃は簡単に弾かれすぎている。
だが攻撃を止める訳にはいかない。相手から殺気を向けられていることには、ザペルは気が付いていた。ザペルは次の攻撃をしようと手を相手の方へとかざそうとする。
「――ぐッ!?」
しかし侵入者が手をザペルの方にかざすと、彼の体はまるで強い力で拘束されたように動かなくなった。
体の重心が呆気なく後ろにもっていかれ、椅子に倒れ込んでしまうザペル。
侵入者がゆっくりと近付き、ザペルの目の前で彼を見下ろすまで、何も出来なかった。
そして侵入者は魔法を使うまでもなく、懐から白いナイフを取り出し、それを振り上げた。
「――き、貴様は、何者だ!?」
ザペルが拘束された体でなんとか言葉を発する。
外套の人物は彼の質問に反応して、振り上げた腕を一度止める。そしてザペルの怯える眼をひと目見て、ふっ、と一息だけ吐いた。
その瞬間、侵入者の背中から広げられる、純白の翼。抜け落ちた羽が一気に舞い、預言者の間をより神聖な景色へと作り変えた。
ザペルは知っている、この翼を持つ者のことを。それは彼が何度も読んだ神話で出てきた、女神の遣い――
「――天使、だ、と」
白き外套を着た天使は、そのナイフを振り下ろした。
純白のナイフ、外套、そして翼が、飛び跳ねた赤で染まっていく。ナイフは体に刺したまま、ザペルが絶命したのを天使は確認した。
「……女神シゼリアード様、元預言者ザペルはいなくなりました。現在の預言者であるティアルムも魔女に拉致されています。これで――」
男性とも女性とも取れる中性的な声が、静かになった預言者の間に響く。
そして天使は、天井を、その先に広がる空、そして女神のいる場所を見上げながら、淡々とした声色で呟いた。
「――これで、賢者リートが預言者となる準備が整いました」
=== 第2章B「交錯する思惑と真相を知る者」 完 ===




