第10話「不器用な関係」(3)
「――俺の娘をこれ以上馬鹿にするなら、グレンであれど容赦はしない」
それが紛れもなく”父親としての言葉”であることに、ヴィルフィは開いた口が塞がらなかった。
ハーデットの瞳は確かに濁っている。生気のない眼窩に泥水が混ざったような、お世辞にも綺麗だとは言えない眼だ。
それでもその濁りが目の前の男グレンの鋭い瞳でさえも飲み込もうとするような、大海のような力強さを彼は秘めていた。
(……あのクソ親父、あんな目が出来たのか)
ヴィルフィが見ていたハーデットは、彼女の呼称通り、腐りに腐った男の顔をしていた。
自宅では廊下に座り込み、酒を浴びるようにして飲んでいる。ヴィルフィを見かけると明らかに顔を歪ませ、まるで害虫を退治するようにその頬を拳で殴り、腹を蹴っていた。
そんな彼の瞳は、無気力感、或いは何かに恐れているかのような臆病さを秘めていたのだ。
それはヴィルフィがトリンフォア村から出ていった六年前から先ほどまで、変わっていなかったはず。
だが今、彼の表情はれっきとした剣士なのだ。騎士団のように真っ直ぐな光を宿している訳では無い。しかしかつて頂にまで上り詰めた武人の瞳をしていた。
そんなハーデットと対峙していたグレンの瞳は、揺れている。それは彼の豹変によるものか、或いはかつての相棒の再来によるものか。
「――娘をそこまで想うのであれば、どうしてお前は自分の娘に虐待をしたんだ」
グレンは既にハーデットが抱いている娘への愛に、疑いを持ってはいなかった。
彼の様子を見ればその説得力は感じられるし、かつて最も信頼していた相棒の言うことでもある。
だからグレンのその質問は、半ば確認だった。自らの知るハーデットがどんな男であるか、それを確かめるための。
「……もうお前は俺の敵なんだろう。話してやる義理はない」
ハーデットの返答は、グレンを拒絶するものだった。彼は”己が敵”を見る眼で、グレンに向けた刃へ神経を研ぎ澄ませる。
(そうか、そうだな……!)
だが彼の返答に対して、グレンはにやりと笑う。
これがハーデットという男だ。自らにどんな者が差し出されようとも、仇なす者は容赦なく敵とみなす。それがかつての仲間であったとしてもだ。
それこそが、かつて自分の相棒であった男の矜持。
「どうやら、俺たちは戦うしか無いようだな」
グレンはハーデットに向ける視線を、自らが握る大剣が切り裂く力よりも、更に鋭利にする。
彼は先日、我が愛弟子である賢者リートに向けて語った言葉を思い出していた。
大事なのは”自分がどうしたいか”ということ。そして自分が選んだものは、この王国の安寧であると。
己が今背負っているのは、王国の未来。それは騎士団を抜けたとしても変わらない。王国を脅かす者は、自らの敵だ。
グレンは自らの顔の高さまで持ち上げた大剣を握る指へ、さらに力を込める。彼の戦いの決意を込めて。
「――いくぞッ!」
大剣の重量を加味すると明らかにおかしい速度で、グレンはハーデットへと突撃していく。
ハーデットはグレンの突撃に動じる様子もなく、迎え撃とうとしていた。その細身の剣は、グレンの斬撃を受けてしまえば簡単に折れてしまいそうだ。
グレンが大剣を地面に擦らせ、火花が迸る。その火花がグレンの全身を切り裂くように軌道を描いた。
だがハーデットは斬撃の直前、体の重心を明らかに外へ持っていくことで全身を倒し、グレンの攻撃を回避する。
そして構えていた剣をくるんと反転させ、逆手で持つ。そしてその刃をグレンへ、回し蹴りの要領で体を回転させながら向けた。
細身の斬撃がグレンを襲おうとする。しかしそれが分かっていたかのように、グレンは次の行動へ移っていく。
大剣は既にハーデットの斬撃の方へと向けられ、彼の剣撃を受け止めた。
両手剣のブレイドの広さは簡易的な盾にもなる。攻撃を防いだグレンは逆に、ハーデットの剣へ衝撃を加えた。
ハーデットの体が数歩、ノックバックする。その隙を逃さず、グレンは次にハーデットの方へ広く大剣を横薙ぎした。
その斬撃を、バランスを後ろに崩したまま、ハーデットは体勢を低くし、自らの胸と顔がもう少しで剣撃の餌食になる距離で避ける。
そして逆に言えば、ハーデットはグレンの懐へ入り込む事ができた。後ろに倒れる自らの体を、剣を持っていない左腕で支えて、その反動を利用し右脚で蹴りを加える。
その蹴りが直撃し一瞬の隙がグレンに生まれ、ハーデットは地面についた左腕を軸に、前へと重心を一気に持っていく。そしてそのまま右手の剣を順手で持ち替えて、グレンの喉元へ刺突を試みる。
だがグレンは体をずらすことでそれを回避。浮き上がった左脚の膝でハーデットの腹を蹴り上げると、彼は避けきれずに口から息と唾液を吐き出した。
グレンは敵の動揺の隙をついて一歩離れ大剣を構え、今度は彼の体を真っ二つにする軌道で一撃。
しかし意識がぼやける中、本能的に剣を斬撃に這わせるような形で軌道をずらし、なんとか斬撃を回避するハーデット。二人の間に火花が散った。
グレンは更に脇腹から大剣で追撃。三日月を描くように飛び上がり回避したハーデットは、空中で片手剣を構えて、景色が逆さまから元に戻るタイミングで、グレンへもう一発の斬撃を与えようとする。もちろんグレンはその攻撃を大剣で防いだ。
弾かれることもなく鍔迫り合いの形となったグレンとハーデットの剣。二人はようやくお互いの瞳が炎を帯びている事に気が付いた。
「やはり剣を持つための筋肉が出来ていないなハーデット! お前はここ十数年で変わってしまった!」
「……お前こそ、俺の速度についてくる余裕が無くなってるがな」
「ふふ、お前以上の奴は中々現れないものでな。それよりも話してくれる気になったか?」
「何のことだ」
「とぼけるな、お前が変わってしまった理由――いいや、お前が厄災の魔女をあんな風に育てていた理由だよ」
剣をぶつける力を弱めず、グレンはまるでこの戦いを楽しんでいるかのように、そう尋ねる。
彼はハーデットが”何も変わっていない”ことに気付いていた。挑発こそしたものの、彼の剣の腕は紛れもなく本物だ。だからこそ分かる、彼は根本的な部分を何一つ変えてはいない。
ハーデットは体格差もあるグレンの力に負けないよう、歯を食いしばりながらその猛攻に耐える。彼の表情はグレンに対して、少し苦しそうだ。
だがハーデットは心の奥底から、蝋燭に火が灯っていたのを感じていた。何年かぶりについた灯火、既に蝋は溶けて無くなっていたと思っていたのに。
瞳の濁りの中で渦巻く炎が、より勢いを増していく。その火炎がハーデットの弱りきった体を、蘇らせている感覚だった。
「――さあな、別れた女にでも聞いてみろッ!」
ハーデットはぐっと地面を押す脚の力を強め、地に根ざして生まれた力の支柱を腕に、剣に込める。
体格でも剣の質量でも負けているはずのグレンを、一瞬、その底力で押し返した。
一瞬だけ宙を浮いたグレンは動揺を顔色に浮かべ、自分と距離を取るハーデットを眺める。
彼はまさしく、かつて自分の相棒であった騎士団の男だった。
(……こちらも玉砕覚悟の本気を出さなければいけないな)
グレンはこれまで両手で支えていた大剣から左腕を離し、右手だけで剣を構える。剣は地面にその先端を着けていた。
しかしグレンの右腕の筋肉がより一層隆起する。常人では片手で支える事など出来るはずもない大剣が、徐々に持ち上がっていく。そして彼は相手を威圧するように、その大剣を自らの目の前で一薙ぎする。その風圧が、少し離れたハーデットの眼を細めさせた。
グレンは垂れて頬にたどり着いた汗を、左手の甲で拭う。拭った瞬間にハーデットが見たのは、口角を上げて楽しそうに、獲物を殺す狂気をその内に秘めたグレンの笑みだった。




