第10話「不器用な関係」(2)
元騎士団長グレンの前に立ち塞がっている男は、ヴィルフィの父親であるハーデットだった。
彼はヴィルフィにとって因縁の相手だ。トリンフォアで生まれた彼女へ満足に食料を与えず、口を開けば拳が飛んできて、開かなければ一切のコミュニケーションがないネグレクト状態。
それがヴィルフィにとっての、ハーデットという男だった。
トリンフォア村を出る時には、正直そのまま死んでいても良いとさえ思っていたのだ。元々あの時世界から嫌われていると思っていたヴィルフィは、そのまず始めがトリンフォアの村民たちと、我が父親ハーデットだった。
彼は、ヴィルフィが前世で感じていた理不尽そのものだ。
だがトリンフォア村を抜け出して、魔女の森で最高の師匠と出会ったヴィルフィにとって、もはやハーデットは脅威ではない。おそらく自分が魔法を使えば、ハーデットは簡単にこちらを恐れる事になるだろう。
だが、ヴィルフィの心のうちには、なぜか憎しみだけではない――もちろん憎しみもあるが、それ以上のどこか、縁の切れない絆のような何かを感じていた。
(……腐っても、父親ってとこか)
ヴィルフィは目の前で今にも剣を交えようとしている二人を眺める。
かたや王国が誇る元騎士団長、かたやみすぼらしい浮浪者のような男。
民衆がどちらを応援しているかは一目瞭然だった。
王国の民たちの声援を受けながら、グレンはハーデットへと鋭く視線を向ける。
「……トリンフォア村が崩壊して残念だったな。あの凄惨な事故さえなければ、お前も家を失うことは無かった」
「…………」
ハーデットはその眼こそグレンに向けているが、まるで生気のない灰色で濁りきった瞳を、ただ向けているだけに過ぎなかった。
何も返さないハーデットに対して、グレンは眉をひそめて、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべる。だが彼の生気の無さから無返答なのはある程度想像していたのか、そのまま話を続けるために口を開く。
「お前の娘は厄災の魔女ヴィルフィ、トリンフォアを滅ぼした張本人だ。生まれ育った故郷の村に対して、どうしてそんな事をするんだろうな」
「……俺が、知るかよ」
ようやくハーデットは口を開いて、その消え入りそうな声でグレンの言葉へ反発する。
ハーデットの言っている事は一理ある、そうヴィルフィは感じた。彼はただ自分という子供が生まれてしばらく育てていただけで、家出した後の事など知らないはずだ。とばっちりも良いところだろう。
だが、世間の風当たりは厄災の魔女ヴィルフィの代わりに、その父親である彼が背負っていた。クソッタレな父親なのに、いっちょ前に迷惑をかけてしまって申し訳ないとヴィルフィは感じている。
そんなヴィルフィの想いなどつゆ知らず、ハーデットはグレンの言葉をじっと聞いていた。
しかし当のグレンは内にこもった怒りを発散させるように、口を大きく開く。
「ふざけるな! お前は厄災の魔女を生み出した張本人だ! 王国からお前に懸賞金がかけられている。お前は大罪人なんだよ!!」
グレンの言葉に含まれていた怒りの中に、少しだけ悲しみが乗せられていたのは、ヴィルフィの気のせいではなかった。
彼は悲痛そうに瞳を揺らしている。まるで二人の間に何か事情があるような素振りに、聴衆たちは少し動揺していた。
グレンの悲しみがハーデットにも届いたのか、彼は先程よりも少し大きく目を開いて、ゆっくりと口を開く。
「……何年前の話をしているんだ、グレン」
「俺にとってはお前が、ハーデットが一生の相棒なんだ、それがどうしてこんなことに……!」
相棒、というグレンの言葉に、更に民衆たちはざわざわと動揺を露わにしていく。
ヴィルフィも彼の言葉は気になっていた。もちろんグレンがどういった人物なのか、ということではない。自らの父であるハーデットが、華の元騎士団長グレンとどのような関係性で、彼の過去はどのようなものだったのかを。
そもそもヴィルフィは彼の過去を全く知らなかった。生まれてからすぐに虐待が始まり、彼の話を聞くことなど一切無かったのだ。賢者と戦う日まで毎日つけていた日記にも、もちろんその記載はない。
「……そういえば聞いたことがあるな」
ヴィルフィの隣にいた王都の男が、ぽつりとこぼす。
「あの男のことを、知っているのか?」
ヴィルフィはティアマットの偉そうな顔を思い浮かべながら、声を低くして尋ねた。
「確かグレン団長が現役だった二〇年前くらいだったか、団長の傍にはもう一人、頼りになる相棒がいたらしい」
「それがあの男、ってことか?」
「ああ、グレン団長の様子を見るに、それは間違いないだろう」
ヴィルフィは改めてフード越しに、ハーデットの事を見つめる。
この王都民の言っていることが真実だとすれば、自らの父親は元々騎士団に所属しており、何らかの理由で退団、そしてトリンフォア村にやってきてヴィルフィを育てていたのだ。
見た目や振る舞いからは全く想像のつかないハーデットの過去に、ヴィルフィは疑問符が頭の中を埋め尽くした。
だが彼女の混乱を無視して、グレンとハーデットの会話は続いていく。ヴィルフィは一旦、そちらへ集中することにした。
「……ハーデット。お前、本当に変わってしまったな」
グレンが寂しそうな表情でそう告げる。やはり彼の中でハーデットは何か特別な存在のようだ。
対してハーデットは何も返さない。ただ剣を構えることもなく、飄々としているだけだ。
「お前が騎士団にいた頃は、俺も楽しかったよ。お前とならどんなモンスターからだって、どんな侵略者からだって王国を守れる気がしていた」
どうやらハーデットが騎士団所属だったというのは、本当らしかった。
そしてこのグレンという男の、唯一無二の相棒だったことも。
「……お前が結婚して騎士団を辞める事になった時、俺は寂しくて仕方がなかった。寂寞の心を埋めるのは、お前と一緒に守ってきた王国のために働いている時だけだったよ。それは今でも変わらない」
そしてその後、ハーデットは結婚する。騎士団を辞めてトリンフォア村に移住し、ヴィルフィが生まれたのだ。
このグレンという男は、相当ハーデットに入れ込んでいるようだった。確かに彼は騎士団を辞めていながらも、王国のためにその命を賭けてモンスターを倒したともヴィルフィは聞いている。彼の熱量は本物だろう。
「……だがトリンフォア村でお前は変わってしまった。妻に逃げられ、子供に虐待をしていたそうだな。そしてその子供に魔導書を与えて魔女へと育成させた。――そしてその魔女は、世界を滅ぼそうとしているのだ」
前半は真実、後半は半分だけ真実だった。
こんなグレンの相棒だった男だ。ヴィルフィにとってにわかに信じられないが、ハーデットは元々こんな性格ではなく、グレンと気が合うような正義感に溢れた男だったのだろう。
そして妻に逃げられた事はヴィルフィも知っている。かつてハーデットが告げた「てめぇが産んだんじゃねぇか!」という言葉は、ヴィルフィの知る限り最初で最後の、両親の会話だった。あの時にヴィルフィの母親は逃げたのだろう。
それから自分に対して虐待をしていたのも事実だ。あの頃のヴィルフィは彼の事が心底嫌いだった。その環状を差し引いても、彼は我が子に暴力を振るうなどの虐待行為をしていたのだ。
だが、後半は少し違う。確かに自分はハーデットが持ってきた魔導書を読んで、この世界の言語を、そして魔法を学んだ。しかしそれは魔女として世界を滅ぼすためではなく、残酷な運命が迫ってきたとしても、それに立ち向かう力を得るためである。例えば、ハーデットに反抗するためという理由だ。結局それは実現する事はなく家出したのだが。
そして家出して魔女の森でガラリエと出会い、自らは魔女として強力な力を手に入れた。もちろん魔災の原因がヴィルフィでないことを彼らが知らないことは承知の上で、それでもグレンの言っていることは間違っている。
だがここで違いますと声を上げれば、目立ってしまう。ヴィルフィは訂正したくなる気持ちをぐっとこらえた。
一方のハーデットは、未だ飄々としている。彼だって自らの娘がこの世界を滅ぼす厄災の魔女になるなど、思ってもいないことだ。グレンの言葉が間違っていることに気付いているに違いない。
何も言わないハーデットに対して、またしてもグレンは苛々をつのらせる。ヴィルフィが最初に抱いていた武人の姿ではなく、ただ親友だった男に対して怒りを露わにしているようにしか見えなかった。
「お前は、どうして魔女をあんな風に育てた! この世界を滅ぼそうとするような畜生の娘に育て上げて――」
「――黙れ」
ヒートアップするグレンの口調に対して、ハーデットは一言でそれを制する。
誰もが、彼はもう何も言わないのだろうと信じ切っていたからこそ、彼の低い声は国民たちの心臓を縮ませた。
ハーデットの瞳は、先程までと明らかに変わっている。生気のない濁った瞳の色は変わらないものの、その薄く靄がかった眼が一本の棘を形作りそうなほど鋭く、グレンを見据えていた。
そして剣を片手で持ち上げ、その剣先をグレンへと突きつける。その剣の延長線上に、ハーデットの鋭い眼光が放たれていた。
「――俺の娘をこれ以上馬鹿にするなら、グレンであれど容赦はしない」
ヴィルフィはフードの奥底で、自らの父親の、今までに見たことのない姿に目を見開く。
その枯れた声から発せられたのは、紛れもなく一人の父親の言葉だった。




