第1話「憧れの世界に」(4)
リートが王国の魔法学校に通い始めて、数年が経った。リートが十歳の頃だった。
その間もリートはグレンから剣を教わり、少しずつその強さを増していった。朝から昼は魔法学校の授業、夕方は剣樹の基礎練を行い、夜には自宅で図書館から借りてきた魔導書を読み耽り、剣術・魔法ともに鍛えていった。
ただそれでも、所詮は子供のすることで、まだまだこの国の大人に実力が追いついている訳ではなかった。
「……っていうの、リートはくやしいと思わない?」
早朝、草原で剣を振り基礎練を行っているリートに対して、同い年の幼馴染――ベールが頬杖をつきながらそう呟く。
十歳になったベールは、化粧も少しずつ覚えてきて、綺麗になってきた。まだまだ幼さは残っているが、それは時間の問題だろう。あの”おままごと”の頃よりも少し短くなったボブカットが、首元を艶やかに彩り、彼女の色っぽさを上げている。美少女の幼馴染というものに前世で縁がなかったリートには、ラノベの主人公ってこんな感じだったんだろうなと、ドキドキよりもむしろ感心が勝っていた。
そんな可愛さと美麗さを併せ持ったベールが、眉をひそめながら憤りを出しているのだ。
「どういうこと?」
「分かってないの……? リートは本当にすごいのに、その凄さに誰も見向きをしてないってこと」
「ああ、そういうこと」
リートは剣を振りながら、これまでの大人たちの反応を思い出す。
最初は詠唱をせずに魔法を使うリートの存在に興味を持つ彼らも、リートが使う魔法自体は大人のレベルを超えているわけではなく、結局「自分たちと同じくらい魔法が使えるだけの子供」と認識して飽きてしまい、離れてしまうのだった。もちろん詠唱を行わずに魔法を使うことは前代未聞で、魔法の研究の界隈では大騒ぎものなのだが、だからといって自分たちが詠唱をせずとも魔法を使えるようにはなっていない。
今では魔法学校の学費免除ということもあり、とりあえず研究には協力しているが、リートを取り巻く状況は意外と冷めていた。
「それで、どうして僕が見向きもされていなかったら、ベールは怒るの?」
それでも目の前の幼馴染の怒りは、リートにはよく分からなかった。リートは剣を一度下ろして、
ベールは腰に両手を当てて、ぷんぷんという擬態語を醸しながら憤りをあらわにしていた。”おままごと”をしていたあの頃よりも彼女は背は伸びて、なんとリートよりも高い。同い年で、なんならリートの方が早く産まれているにも関わらず、ベールはまるで姉のような存在感を放っている。
実際に姉のような素振りを見せることも多く、「リートは気が弱いんだから、もっとどんどんいかなきゃ」「けっこん? そんな小さい時の約束なんて”むこう”よ」なんて言い出したりしている。前者はともかく、後者は少しだけリートの心にダメージを与えた。
「だって大人たちってひどいんだもん。リートをもてあそんだだけもてあそんで、あきたらポイって」
「弄ぶって……ベールはどこでそんな言葉覚えたの」
「ともかく!」
ベールは立ち上がってぐんぐんとリートの手を掴み、ぎゅっと握る。女の子の柔肌の中に、少しだけごつごつとした部分があった。
「森に行こう!」
「なんで森?」
そんな京都みたいな、なんてこの世界で絶対に通用しないツッコミをリートは心に留める。
ベールの言っている”森”のことは、彼にはすぐに理解できた。
彼女の父親が王国都市近くの森でモンスターの狩猟をしており、ここ最近ベールも手伝っている。弓の腕を自慢する彼女の様子は、剣では勝てないからと別の場所で戦っているようで、微笑ましく感じていた。実際その手伝いを頑張っていることは、手のごつごつとした部分――マメが潰れて固くなった部分でよくわかる。
でもリートによく分からないのは、大人への憤りを覚えている彼女が突然、そのモンスターが現れる森に自分と一緒に行こうとする、その理由だ。
「私たちだけでも森で狩りができることをしょうめいするの。そして私たちがすごいんだってことを、大人たちにみとめさせるの」
「ベールはどうしても大人に自分たちの認識を改めさせたいんだね、ついでに自分も入れてるし」
「あたりまえでしょ。私だって子供だとなめられてるの。めにもの見せてあげるんだから」
「はいはい……でも危なくなったら逃げるよ」
「だいじょーぶ。いつも行ってるんだし」
ベールは先程まで座っていた場所に置いてあった、弓と矢筒を背負う。そしてリートに向けてピースサイン。幼さはどうしても残るが、それでも父親の仕事を手伝っている事もあり、謎の貫禄は出ていた。
こうなったベールは止められないな……そう心の中で諦めながら、リートも本物の剣を持つ。普段使っている木剣よりも重いものだが、納屋に置いてあったもので、リートは時々拝借して剣の練習をしている。本当はこれくらいの歳の子が扱うものではないのだが、父親やグレン師匠に黙って練習していた。
そういう意味では、ベールと同類だ。彼女の探検心も分からなくはないなと、リートは前向きに考えた。
* * *
王国都市近くの森は、例えば狩人という職業の人間にとっては、初心者が練習する場所としてよく知られていた。
早朝の白っぽい光が木漏れ日も作らずに、この森に住まう生物たちが気持ちの良い朝を迎えられるような空間を創り出している。この時間に活動している狩人もいるにはいるが、少なくともベールの父親はそうではなかったし、そもそも初心者用と言われるだけあって狩猟の効率が良い場所ではない。もっと山の方に行ったほうが、多くの動物やモンスターを狩ることが出来る。
だから子供二人が早朝に入ったとしても、誰にも分からないのだ。
「こんなところで襲われたら、誰も助けに来てくれないね」
リートは森の静けさに耐えられず、先をゆくベールへそう投げかける。
「リートも勇気を出してモンスターと戦ってみたら?」
ベールは得意げにそう語る。どうやら彼女はモンスターと戦った事があるらしい。
モンスターはただの動物ではなく、魔法の力を宿した魔物の総称だ。魔法の力を宿すと言っても様々で、本当に魔法を使ってくるような厄介なモンスターもいれば、単に凶暴になるだけのモンスターもいる。
もちろんリートたちのような子供には、モンスターと戦わないように、こういった森には近寄らないように大人たちが強く言い聞かせている。
「モンスターと戦うのは、型ができてからって師匠がね。本物の剣も持たせてもらってないし」
「でも勝てる自信は、なくはないでしょ?」
「……まあ、それは否定できないけど」
一度、父親がモンスターと戦っている様子を間近で見たことがある。
モンスターと言ってもこの辺りに生息する、弱いモンスターだった。余裕そうに倒す父親は流石だと思ったが、冷静にモンスターの動きを見ても、普段の師匠との訓練の方が何倍も厳しい。
この森にいるモンスターも所詮は王国の都市周辺のモンスターだから、おそらくリートでも倒す事ができるだろう。何だったらリートには魔法もある。負ける気は全然しなかった。
「いざとなったら、私が守ってあげる」
鼻息多めに胸を反らすベールを見て、そういう年頃なのかとリートは納得する。女子の精神年齢は男子よりも上だとかなんとかで、ベールもお姉ちゃんぶりたいのだろう。
「頼んだよ」
リートは投げやりに聞こえない程度に、ベールへ返事する。案の定頼られている実感を得ているのか、彼女は満足げだった。
森の奥へと十分少々進んでいくと、少し開けた場所に出た。
相変わらず早朝独特の白くぼんやりとした日差しは続いたままだが、リートは森の広い場所に出られて少し安堵する。
ここまでは森を知るベールに先導されるまま、ここがどこかも分からない状態だった。ただ開けている場所に出ると、自分たちがどこか”目的地”のような場所にたどり着いた感覚がするのだ。
喩えるなら、電車に不慣れだった自分が、詳しい友人と一緒に電車に乗って、ようやくたどり着いた先が自分の行きたいところだった――そんな時のようだ。
「動物もモンスターも、いないね」
ここまでの道のりを思い出し、リートはそう呟く。この森の事をよく知っている訳では無いが、ベールがいかにもモンスターと戦いたそうにしていたので、てっきりモンスターがいるものだと思っていた。
「おかしいなぁ、全然いない」
ベールは不思議そうに辺りを見渡す。
「モンスターが出ないの、おかしいんだ」
「うん。いつもはこれくらい歩けば、何匹かモンスターと会うよ。弱いモンスターばっかりだけど」
悩んで頭をくるくるさせているベールに対して、リートは腕組みをして考える。
ベールの父親はこの時間に狩りへ行っているわけではない。そうすると、ベールがこの時間のモンスター事情に詳しくないのも頷ける。
悩むベールに、リートは一つため息を吐く。
「うーん、朝早いから、みんな寝てるんじゃない?」
「そっか。この時間にここへ来たことはないから、みんな寝てるのかもしれない。もうちょっと待って――」
「――待って、何か音がする」
リートの声が小さく、真剣さを帯びたものになる。ベールはリートの方へとそろりそろりと近付いた。
リートの耳には、何かがべちょりと地面に落ちる音が聞こえていた。それは地面にプリンを落としたような、中の気泡が潰れるような音だ。決して大きな音ではなかったが、それでも突如聞こえた異質な音に対し、リートは周囲の警戒を一層強めた。
「……私にも聞こえたよ、リート。モンスターかな」
「かもしれない。逃げる?」
「まさか、こいつを倒して大人たちにじまんするんだ」
――べちょり、べちょり。
まるで足音のように聞こえる、ゲル状のものがどこかに落ちる音。二人はお互いの背を預けながら、緊張感の中でその音の正体を探る。
そしてその音の正体を、リートはすぐに見つけた。
「……ベール、あれ」
リートが指差した方向を、ベールも見つめる。そこには泥のような物体が潰れて落ちていた。その上から少しずつ、ぐちょ、ぐちょ、と何か茶色いものが垂れてくる。
やがてその勢いが増していき、二人の前に盛られていった泥は、一つの形を作り出していく。それは地面から生えた大きな頭部と胸部、そして胸部と繋がる巨大な腕。頭部には泥の空洞で作られた顔があり、その大きな口は二人を噛み砕かんと、がしがし音を鳴らして顎を上下させている。腕はまるで巨大なハンマーのように、およそ人間のサイズ感ではないアンバランスな大きさをしている。たとえ泥だとしても、あの重量のものに潰されれば大人でもただで済まないだろう。
「――なに、こいつ。見たことないよ……」
ベールのその一言で、リートは嫌でも理解する。ベールが普段倒しているモンスターは、リートが一度戦いに立ち会った時のモンスターは、
「グオオオオオオオオオオ!!」
二人が出会ってきたモンスターは、目の前の魔物と比べていかに可愛いものなのかを。