第9話「預言者と魔女」(4)
預言者の間にて、呆れたような表情を浮かべる魔女ヴィルフィと、黒い眼でこちらを飲み込もうとしている預言者ティアルムが対峙していた。
預言者ティアルムの実力は、ずっと魔女の森に住んでいたヴィルフィはもちろん未知数だ。そもそも彼女は前線で戦うことが無かったため、この国の誰もが彼女の実力を知らないでいる。それはティアルムの父親も同様だった。温室育ちで、いつも守られてばかりの自分が、影で民を守るために魔法の練習をしていたなどと、誰が気付くだろう。
ティアルムは胸のうちに燃え滾る使命感を感じていた。目の前にいるのは厄災の魔女ヴィルフィ。魔災を引き起こし世界を破滅へと誘おうとする、憎き自分の敵だ。
もし彼女をティアルムが倒すことができれば。それができれば、自分は自分の力で世界を救ったといえる。あの守られてばかりの存在ではなく、女神の忠実なる下僕として立派に役目を果たしたことになるのだ。
別に名声が欲しいわけではない。ティアルムの使命はいつだって世界平和だ。女神に選ばれた自分がその一助になれたのであれば、この上ない幸せを感じる。
そして目の前にいる魔女ヴィルフィ、彼女はそんな自分の理想を脅かす敵だ。本気で世界平和を願っているティアルムにとっては、敵以外の何者でもなかった。
「――女神に祝福されし天使たち、女神に仇なす敵の襲撃に備えなさい!」
ティアルムは声を荒げて詠唱を行った。すると彼女の周りに現れたのは、光で出来た眩しい矢。それは全てヴィルフィの方を向いて、今にも襲いかかってきそうだった。
そしてその魔法の使い方は、数多の魔法をガラリエから学んできたヴィルフィにとって、見慣れたものだった。
(設置型の魔法か。アタシもリートとの戦いで使ったな)
設置型の魔法は高度で、かなり魔力消費が激しい。だが実質詠唱のタイムラグなしで発動できる分、いざという時の保険はもちろん、魔法を詠唱よりも速く連続で放つ事にも使うことが出来る。賢者の猛攻を凌ぎきったのも、この設置型の魔法の恩恵が大きかった。
ヴィルフィはティアルムの方へ箒を突きつけたまま、にやりと笑う。
「我が生命に宿る輪廻の炎よ、一騎当千の決意を顕現させよ!」
ヴィルフィがそう詠唱した瞬間、箒の末端から炎が舞い上がる。木製であるはずの箒は燃え尽きることなく、その原型をとどめたまま全身を燃え上がらせた。
ヴィルフィの聞き慣れない魔法に対して、ティアルムは警戒心を強める。相手は魔女だ、どんな魔法を使ってくるか分からないのは、ティアルムも同じだった。
「聳え立つ強固な牢獄よ――」
ティアルムが詠唱を始めた瞬間、それが防御魔法であることに気が付いたヴィルフィは、中断させようと距離を近付ける。
しかしヴィルフィの妨害を、設置型の光の矢がじっと見ていた。彼女の行動を阻害するべく、矢は数本、ヴィルフィのもとへと飛んでいく。
「――っ!?」
そしてその矢を回避してティアルムへ接近しようとするヴィルフィだが、突如、ぐっと後ろに引っ張られる感覚を覚えた。
矢の攻撃を避けきれず、少し傷跡を残していたヴィルフィの左腕が、その空間から左腕を逃そうとしない。
(チッ、攻撃じゃなくて拘束用かよ!)
光の矢というものだから、ヴィルフィに致命傷を与える攻撃用の魔法だと思っていた。実際、ヴィルフィの左腕には傷跡が残っている。
しかし本当の意図はむしろこちらなのだろう。相手を拘束し、自らの体勢を整え、無抵抗に相手へとどめをさす。これがヴィルフィの推測したティアルムの戦い方だった。
「――我にその守りの力を貸し与え給え!」
そしてその間にもティアルムの詠唱は続いており、それがたった今完成した。彼女の周りに一瞬、緑色の壁のようなものが現れる。それはまさしく防御魔法が完成した証だった。
続けてティアルムはヴィルフィへと杖を向けて、詠唱を始める。それは先程ヴィルフィに初撃として放った光の矢のものだ。あれに貫かれれば、致命傷になりかねない。自分の能力があれば回復は可能かもしれないが、未だ未知数な部分も多く、あの地下での戦闘のように、致命傷でも回復するとは限らなかった。
チッ、と一つ舌打ちを入れて、ヴィルフィは打開策を考える。拘束されている以上、何かしらの手段であの攻撃を受け止めなければいけない。防御魔法を唱えている時間はなかった。回避をするにも左腕が捕らわれているため、満足に動くことも出来ない。
どうする、どうする、と頭の中で思考を巡らせ続けるヴィルフィ。自らの体で受ける事以外、選択肢が思いつかなかった。
「――な」
しかしその危機は、ティアルムの驚嘆の声によって杞憂へと変わる。
ヴィルフィの左手の拘束が無くなったのだ。ヴィルフィ自身も驚いていたが、自分の視界に映った火の粉を見て、どんな事が起こったのか納得する。
ティアルムへ攻撃を仕掛けるためにヴィルフィは、箒を持った右腕を体から引き、反動をつけるために左腕を前に出す。先程まで傷がついていたヴィルフィの柔肌には、既に傷の跡すら見えなくなっていた。
ヴィルフィはそのまま火炎を宿した箒をティアルムへと振りかざす。ティアルムは詠唱の中断によって攻撃を受け止めようとするが、既にもうヴィルフィの箒は攻撃を開始していた。
「ぐっ――!」
燃え盛る箒の一撃がティアルムを襲い、防御魔法がそれを代わりに受ける。しかし防御魔法は魔法を宿したその攻撃に耐えられず、ぎちぎち、とひび割れて呆気なく崩壊してしまった。
ティアルムは防御魔法が作ってくれた相手の隙を利用し、自らが持つ両手杖を勢いよく振りかぶる。その両手杖の攻撃はヴィルフィの杖に直撃し、防御魔法によって勢いを殺されていた箒が、ヴィルフィごと弾き飛ばされてしまった。
二人は戦闘開始時と同様に、ある程度距離の空いた状態で対峙する。息を切らしているティアルムに対して、ヴィルフィは少しだけ呼吸が乱れていたものの余裕そうな表情を浮かべていた。
二人の間に静寂が訪れる。ティアルムは目の前の魔女に対して一つ、聞いておきたいことがあった。
「……なんですか、その力は」
「力?」
「とぼけないでください、貴方のその傷を治す力のことです!」
ティアルムの攻撃は至って順調だった。
設置型の光の矢は、もちろんそれで致命傷を与えられれば別に良い。だが相手は賢者を圧倒したあの魔女ヴィルフィ、そんな攻撃一つで致命傷を食らうような存在ではないはずだ。
であれば、ティアルムの意図はその付与効果にあった。彼女のこの魔法は、傷がついた部位をその空間に留めるという拘束の効果がある。こちらの魔力と呼応するがそれは傷がある限り続くもので、自分の魔力が続くうちはずっと拘束の効果が続く――すなわちこの戦いに決着がつくまでは、解除されないはずだった。
だがこの魔女の左腕についた傷は、突如回復し、ティアルムの拘束をいともたやすく抜け出したのだ。
傷口が回復した瞬間も、ティアルムは少しだけ見ている。傷口から溢れ出る血液が、蒸発するように火の粉となって飛んでいき、そして火の粉がなくなると傷口が塞がっていた。
そんな魔法は、ティアルムでさえも知らない。仮に魔女だけが知っている魔法だったとして、詠唱の一つもなかった。まるでそれが元来彼女に備わっている特性、例えば魔災で強化されたモンスターのような能力で――
「――再生能力」
その思い至った特性を、ティアルムは震えた声で呟いた。
完全に動揺しきっているティアルムに対して、ヴィルフィは一度箒を下ろす。炎はまだ燃え続けているが、既に攻撃の意志はヴィルフィになかった。
「……さて、預言者サマよ。これはアタシが世界の底で手に入れた能力なんだ。アンタに勝てる見込みはないぜ」
「くっ……」
「さっきも言ったけどよ、別にアタシは喧嘩を売りにきたわけじゃねえ。ただアンタに少し、聞きたいことがあるだけなんだ。世界平和のために」
ヴィルフィは相手をたしなめるような声色で、ティアルムにそう語りかける。
もちろん今から女神をぶっ殺しに行く、なんて言えばティアルムが反発するのは目に見えるため、その部分だけはぼかしている。あくまで、世界平和のためだ。
ヴィルフィの赤紫の瞳が、ティアルムを見つめる。ティアルムの瞳に、彩度が戻ってきているような感じがしていた。
「――黙れ」
しかしその瞳は、小さく呟いたティアルムの言葉によって、また彩度を落として黒一色にしていく。
ティアルムは俯いたまま、ふらふらと両手杖を構える。杖の先端に施された装飾が、高く心地よい音色を鳴らす。
ティアルムはこの音が好きだった。これは確かに人間が作ったものだが、女神の天啓を唯一聴くことの出来る自分に作られた特注品だ。ゆえに作者の女神に対する想いが溢れている、そんな一品。だからティアルムはこの杖の音を聴くだけで、自らの使命を思い出すことが出来るのだ。
「私は女神に選ばれし預言者であり、この世界に秩序をもたらす者。この世界の平和を脅かす貴様に、私の心は折られるものか――ッ!!」
ティアルムは両手杖をヴィルフィの方へ再び向けて、詠唱を始める。それは先程と同じく、設置型の拘束矢を顕現させるためのものだった。
ヴィルフィはその詠唱を止めるために再びティアルムの方へと走り出す。しかし残っていた光の矢がヴィルフィの方へと飛んでいき、かすり傷さえも許されない彼女の進路は大きくずらされる。
ティアルムは、自分がもうここで死んでも良いと感じていた。
これまで自分の代わりに死んでいった者たちがいる。いつだったか教団兵になるためティアルムに直接志願した若者がいて、他の教団兵からは打首になるのではないかというくらい怒られていた。しかし彼はたった一度会えた自分に、ティアルム様のためであれば命さえ惜しくないと、熱い言葉をかけてくれたのだ。
ティアルムはその若者に対して、いつもの調子で、めっ、と叱った。自らが望む正解平和には確かに犠牲がつきものかもしれないが、だからといって死ぬことが前提のような言葉は許せなかったのだ。
そしてそんな若い彼が魔災により凶暴化したモンスターに殺された事を受けて、自分はなんて愚かなんだと責めずにはいられなかった。
だからこそ自分は、そんな人達のために”命を賭けて”戦いたい。世界平和に犠牲がつきものなのであれば、本当は自分だけで良いのだ。
これではあの兵士と同じではないですか、なんて女神様はきっと叱るだろう。だがその若者の気持ちは、今のティアルムに痛いほど分かったのだ。死んだ後に女神様からお叱りを受けよう、そしてよく頑張ったねと抱きしめてもらおう。
――だから、この魔女は自分と刺し違えても、殺さねばならない。
「女神の慈愛に満ちた天使よ――」
設置型の光魔法の詠唱を終えて、とめどなくヴィルフィに光の矢が飛ぶ中、さらにティアルムは攻撃を仕掛けるため詠唱を続ける。
今度は設置型の魔法ではない。自身の魔力を直接相手にぶつける、拘束の効果さえもない、ただ致命傷を与えるための攻撃魔法だ。
ヴィルフィは、彼女の思わぬ猛攻により、回避行動で精一杯だった。
既にティアルムと戦闘してしばらくの時間が経っている。これ以上長引けば、ティアルムから必要な情報を聞き出す間もなく追手が来て、ティアマットの封印について聞くどころではなくなるのだ。
相手も既にこの攻撃で決めようとしている。ヴィルフィは拘束効果のある矢を避けるので精一杯で、攻撃に移ることが出来ていない。今から放たれるあの矢についても、避けること自体は出来るが、前に進んで距離を詰めることは流石に不可能だろう。
ヴィルフィは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、一つの決意をする。最後に唱えているあの魔法が殺傷能力の塊であることをヴィルフィは分かっていたが、逆に言えば”あれで決める”ための能力しか持っていないということだ。
「――その弓矢で悪しき心の持ち主を浄化せよッ!」
放たれた光の巨大な矢が、真っ直ぐにヴィルフィへと飛んでくる。
そしてその矢をヴィルフィは回避――せずに、左の手のひらで受け止めようとした。
もちろん矢は左手を貫こうと進み、ヴィルフィの胸を狙う形で進もうとしている。しかしその矢は突如ヴィルフィに握りしめられ、その刹那、光で作られた矢が炎に包まれた。
貫かれた手のひらから流れる血液が、更にその光の矢へ炎を焚べていく。ヴィルフィの皮膚と握力と炎によって完全に勢いを止められた矢は、彼女の手のひらに突き刺さったまま、光の粒となって霧散した。
そしてその矢が決定打になると思っていたティアルムには、こちらとの間合いを詰めようとしているヴィルフィには対処できない。
ヴィルフィが苦悶の表情を浮かべながらも、こちらをまっすぐに睨んで、炎を纏う箒を振りかざそうとする――その光景を見てティアルムは、自らの無力さに対し心の中で慟哭を上げながら、自らの命がこれから消え去ることを悟った。




