第9話「預言者と魔女」(3)
セネシス教の本部にある、預言者の間。そこに鎮座されている高尚な椅子に座りながら、ティアルムは祈りを捧げている。
昨日、魔災によって凶暴化したモンスターが王都を襲うという、痛ましい事件があった。賢者と騎士団の活躍によりなんとか被害は最小限に食い止められたものの、美しきスコラロス王国の街は崩れ、人的被害も少なからず出ている。
王都がモンスターにここまで侵入を許したのは、これが初めてだった。今までは騎士団が周辺地域の警戒に当たってくれており、また王都を囲むように設置された防壁、および上空に設置された魔法による結界が、スコラロス王国をモンスターから守っていたのだ。
王国を襲おうとするモンスターが現れたのは、もちろん初めてではない。しかし我が頼もしきスコラロス王国の精鋭たちが、王都へ迫るモンスターを退けていたのだ。
だからこそ今回王都に被害が出てしまったことに対し、ティアルムは胸を痛めていた。
もちろん今回の件に関して、騎士団を責めるつもりは毛頭ない。彼らは全力でこの王国を守ろうとした。死人の報告を受けて、ティアルムは亡くなった者たちにどうか女神の祝福があらんことをと、祈りを欠かさない。
では、誰が悪いのか。騎士団を率いている王国だろうか。それとも女神の天啓を受けている教団だろうか。
(違います。本当に悪いのはこの魔災を引き起こしている張本人――厄災の魔女ヴィルフィ!)
ティアルムは祈りのために組んだ自らの指に力が入り、痛みを感じる。しかしその痛みよりも、ティアルムの心の痛み、いいやこの世界に生きている者たちが感じる痛みの方が大きいはずだと感じていた。
女神は厄災の魔女ヴィルフィこそが魔災を引き起こす犯人だと告げている。自分が直接ヴィルフィを葬れないことに対して、自らの無力感を感じていた。
(……昨日だってそうです。私は迫りくるモンスターに、ただ逃げ隠れていたのみ)
歯を食いしばりながらティアルムは、父親であるザペルから昨日自分に告げられた言葉を思い出す。
『私たちは預言者であり、この国の、この世界の希望なのだ。自ら戦場に出て命を落とすことがあってはならない。私たちの戦場はここではないのだよ』
そう言われてティアルムは納得した。してしまったのだ。
確かに自分たちは替えが効かない存在だろう。女神から天啓を受けることが出来るのは、ティアルムと父親であるザペルのみ。現実として天啓を受けているのは自分ただ一人であり、自分が死んでしまったら女神の声を聴くものはいなくなってしまう。
(確かに父上の言う通りかもしれません。――ですが)
だがティアルムの博愛精神は、自らが戦場から逃げていた事を責め立てる。
死者の報告を聞いたとき、彼女の心はずたずたに引き裂かれるようだった。自分が隠れたせいで、死人が増えたのだ。もし自分が戦場に出ていれば、魔災に対してもっと対抗できたのではないかと感じている。
しかしそれは夢物語だということも、ティアルムは重々承知していた。では、自分が出ていったところで何になるのだろう。そのような問いを突きつけられれば、たちまち答えに困ってしまうのだ。
だからこそ、この手で魔女を屠る事ができないのが悔しかった。普段は軽い調子で話す彼女にも、預言者としての矜持というものがあったのだ。
ティアルムは、すう、と息をゆっくりと吸って、ふう、と時間をかけて吐き出す。閉じていた瞼を開き、まっすぐに天井を見上げた。
――ふと、外が騒がしい事に気付く。
太陽が高く上るこの時間においては、教団兵の交代などがあり、音が立つことは決して珍しいことではない。
しかしその音は休憩時間に喜ぶ賑やかなものではなく、もっと殺気を帯びたような……
「何事でしょ、――っ!?」
ティアルムが立ち上がった瞬間に、預言者の間にある唯一の扉が、勢いよく開かれた。
そして教団兵が一人、預言者の間にある絨毯へと叩きつけられる。教団兵は着地の衝撃で跳ね返った後は、気を失っているのか動かなくなった。
「何者ですか!?」
ティアルムは椅子の傍においてあった、自らの身長ほどある両手杖を手に取り、開けられた扉の前に立つ侵入者へと向けた。豪華な装飾が施された杖が、しゃらんと耳を撫でるような音を奏でる。
ティアルムの目の前にいたのは、頭をフードの形で覆う灰色の外套を着た、一人の人物だった。
体型から女性だということはすぐ分かったが、その正体は分からない。モンスターによる混乱に乗じた賊だろうか。それにしては教団兵を相手に単独でここまで来れる訳が無い。
ティアルムが悩むも虚しく、襲撃者はフードを脱ぎ、頭をこちらに晒す。
赤く艷やかな長髪に、少し紫の入った挑発的な瞳、そして何よりこちらをあざ笑うような口角の上がった笑み。
「――貴方は、厄災の魔女ヴィルフィ!」
報告にあった通りの姿に、ティアルムはいつも以上に声を荒げて、目の前の敵を睨む。
ヴィルフィはティアルムの反応に対して、案の定と言わんばかりに呆れたような笑いを一つ。
そしてヴィルフィは簡単な詠唱で空間から三角帽子と箒を取り出す。帽子は落ちないようにしっかりと被り、箒は少しウォーミングアップに棒術の要領で回しながら、箒の末端、先が穂ではなく棒になっている方をティアルムに突きつけた。
「突然の訪問になって悪いな、預言者ティアルムさんよ」
お互いに武器を相手へ構える姿勢を崩さず、二人は睨み合う。
一歩でも動けば戦いが始まってしまうのかという緊迫感に、一声を投じたのはヴィルフィだった。
「なあ、別に喧嘩を売りにきたわけじゃねえんだ。ちょっと聞きたいことがあってな」
「……貴方に話すことなどありませんよ」
「それはアタシが女神の敵だからか?」
「もちろんです。それに貴方は世界を滅ぼそうとしている存在でしょう、私はそんな者と話すつもりはございません」
「アタシが世界を滅ぼそうとしているっていうのは、女神の天啓によるものだろ? もしアタシがそうじゃないとしたら?」
「女神様の御言葉に間違いなどありません」
ティアルムの瞳が、徐々に暗闇を帯び始めてくる。
彼女の口調やミルク色の髪は、女神を模倣しただろう。二度も女神と会ったことのあるヴィルフィならすぐに分かった。
だが瞳から光が失われていく事がそこまでそっくりではなかったことに、ヴィルフィは少し驚愕している。女神と預言者では、決定的に違うのだ。女神は曇りのあるもやもやとした、奥底が見えなくて思考が読めない瞳。対して預言者ティアルムは、むしろ透き通った黒き眼になるのだ。
おそらくこの預言者ティアルムは、本当に女神を崇拝していて、幻聴か本当に聞こえているかは知らないが、嘘をついているような人物ではないのだろう。
だからこそここまで盲信した瞳ができる。だからこそ自分を敵だと信じて疑わない。
だが、そんな預言者ティアルムにも、自分と通ずる部分が無くはなかった。ヴィルフィは真っ直ぐにティアルムを見つめる。
「なあ預言者。アンタが望んでいるのは、世界の平和だろ?」
「……ええ、そうです。私は世界の秩序を守るために、魔災の原因である貴方を殺したくてたまらない」
「なるほどな。だったら言わせてもらうぜ。――アタシがもし、魔災を止める本当の方法を知っているとすれば、アンタは女神とアタシ、どっちにつく?」
「――な」
ヴィルフィの突然の問いに対して、ティアルムは初めて動揺を顕わにする。
ティアルムが望んでいるのは、最終的には世界平和だ。女神の啓示が聴こえる唯一の存在だとしても、願っているのは世界の秩序を守ることである。あくまでその”手段”が、女神の天啓というだけなのだ。
しかし、女神は人類には知らない事を俯瞰して見ているはず。この魔女が知ったような口ぶりで解決策を語ろうとしても、それが女神の与える絶対的な真実とは異なる可能性があるのだ。
(――そうですか、この魔女の意図がよく分かりました)
ティアルムは再び両手杖を強く握り直し、漆黒の目を大きく見開いて、ヴィルフィと対峙した。
「……なるほど、貴方は私を取り込んで、この世界の秩序を脅かそうとしているのですね。女神様の声を聴くことができる私さえ取り込めば、教団もろとも自分の手駒に出来ると」
「ちょ、ちょっと待て。誰もそんなこと――」
「――黙れ! 女神の慈愛に満ちた天使よ、その弓矢で悪しき心の持ち主を浄化せよッ!」
向けられた杖から、弾丸のように光がヴィルフィを襲う。
詠唱だと気付いて回避行動を取ったヴィルフィだが、それさえも逆算していたのか、ティアルムの放った光魔法はヴィルフィの頬をもう少しで掠めるところまで迫ってきていた。
「チッ、やっぱやるしかねえのか!」
舌打ちをしながら箒を構え直すヴィルフィ。
ティアルムは両手杖と冷たい眼差しを彼女から離さない。その姿に油断はなく、ヴィルフィは相手が相当の魔法の使い手であることを察していた。
ティアルムは歯を食いしばりながら、怒りをなんとか鎮めようとする。しかし敬愛する女神を侮辱された罪を、彼女は許すことはできなかった。
「女神様を冒涜した罪は重い。私が女神様に代わり、貴方に天罰を与えましょう!」
黒く透き通った瞳が、全てを飲み込むようにヴィルフィを見つめていた。




