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第9話「預言者と魔女」(1)


 魔女の森が崩壊してできた大穴から無事に脱出できたヴィルフィは、まだ崩壊していない近辺の森で野宿をしていた。

 自らの魔法で灯した焚き火をじっと見つめながら、ヴィルフィはこれからの事を考える。夜の森は元々住人であったヴィルフィの姿に、無音を貫くしか無かった。

 女神を殺しにいく、と言っても課題は山積みだ。

 神を殺すほどの実力が自分にあるかはさておくとして、そもそも女神とコンタクトを取る方法がわからない。大穴に落ちた時はこちらの呼びかけに応じてくれたが、わざわざこちらの挑発に乗って殺されに来るほど女神も愚かではないだろう。そもそも大穴で対峙した時は、あちらが本当に実体を伴っていたかどうかも疑わしい。

 ヴィルフィが女神シゼリアードと会ったのは、こちらの世界へ転生する直前だ。死ねばもう一度会えるかもしれないが、そんな危険な賭けは正直ご免だった。

 現状、女神にアプローチをする方法がヴィルフィにはない。それが現実だ。ヴィルフィは大きくため息を吐いた。


「悩んでいるようだな、ヴィルフィ」


 低い男性の偉そうな声が、夜の静寂な森によく響き渡る。

 その声の主は、ヴィルフィとともに魔災の大穴から脱出した黒龍、ティアマットのものだった。

 ヴィルフィは目の前の焚き火から目線を少し横に逸らせて、声の方を見やる。

 そこにはあらゆるモンスターが震え上がるほど威圧感のある、巨大な黒龍が鎮座して――


「……しかしなんでアンタ、そんな姿になってんだ?」


 ――いなかった。

 そこにいたのは、黒猫だった。

 毛並みの整った金色の瞳をした黒猫が、ちょこんと焚き火の前に座っている。時々足で顔をかきながら毛づくろいをしている姿は、あの世界の底で出会った黒龍とは似ても似つかない。体と瞳だけ同じ色の猫を持ってきたと言われても、全くおかしくなかった。

 ヴィルフィは一応、この黒猫があの黒龍ティアマットであることに納得している。ここまで共に行動してきたのもあるし、声は大穴の底で聞いたものと全く同じだ。やけに偉そうな口調も彼に間違いない。姿が変わっているだけだった。

 黒猫、もといティアマットはぺろぺろと舌を出して口の周りを舐めながら、ようやくヴィルフィの方へ瞳を向ける。近くで狩ったモンスターの肉を、彼も食べている。狩ったのはヴィルフィだけで、彼は別に手伝っていなかった。


「元々私はあの女神おんなに力を封印されていてな。大穴の底は魔力の温床になっているから、私は本来の姿で居続けることができた。しかし地上ではどうしても魔力量が足りず、女神の封印の影響が現れてしまうのだ」


「……つまり、地上ではあの姿に戻ることができない、と」


「そういうことだ。だが愛玩動物としては申し分ない姿だろう。魔女の使い魔として、私を活かしイメージアップを図るが良い」


 胸を反らせる猫に対して、ヴィルフィは呆れるようにため息をもう一つ。

 まあ確かに魔女の使い魔が黒猫、というのはヴィルフィの読んだ小説か、ネムと一緒にやったゲームでもあった気がする。一応魔女っぽくなるのかと自分を納得させて、これ以上は突っ込まないことにした。

 そして地下の魔力に関して、ヴィルフィはもう一つの疑問点をティアマットへぶつける。


「……アタシの傷が治っていたのも、地下にある魔力の影響なのか?」


 それはヴィルフィが世界の底でずっと抱いていた疑問だった。

 大穴でヘルギガスと戦った時、明らかにヴィルフィは致命傷とも言える傷を負っていた。人の腕ほどある太さの魔石で、腹を貫かれたのだ。

 それが魔石を引っこ抜いた瞬間、炎を上げて傷が回復した。そんな魔法を詠唱した覚えもなく、あの能力は本当に謎のままだ。

 そもそも自分が大穴から落ちて無事だった事すら、意味がわからない。少なくともティアマットに乗って大穴を遡った距離は、ヴィルフィが落ちて助かる高さではなかった。

 ヴィルフィの疑問に、ティアマットは体を可愛らしく揺らしている。どうやら彼も少し悩んでいるようだ。


「……詳しいことは分からない。だがヴィルフィよ、私には一つの仮説がある」


 ようやく体の揺れを止めて、ヴィルフィの方を改めて見つめる。真剣な表情を浮かべる黒猫は、可愛らしさを浮かべながらも、どこか龍の面影を残すような、達観した感情を含んでいるような気がした。


「お前は、魔力暴走の影響を受けたのではないか?」


「……魔力暴走の影響、だって?」


 理解が追いつかず納得できないヴィルフィに対して、ティアマットは可愛らしい口を開きながら推論を続ける。


「お前と戦っていたモンスターを覚えているだろう。奴もこの世のモンスターには珍しい、傷を治癒する力を持っていた。それは魔力の暴走によるものだろう?」


 ティアマットの言っていることは一理あった。

 彼は封印された時期がリートの転生後ということもあり、人類が名付けた”魔災”というものは知らないはずだ。だが自らがモンスターであることから、魔力の暴走についてはよく知っているようで、魔力暴走によってヘルギガスへ付与された能力も、普通ではない事に気が付いていた。

 そして今それをティアマットが言い出すということは――ヴィルフィは彼が言いたい事を察してしまう。


「――アタシもモンスターみたいに、その魔力暴走の影響を受けた、ってことか?」


 そう考えれば自然だった。

 地中で襲ってきたヘルギガスには、再生能力がある。それはヴィルフィも実際に戦ったからよく分かっていた。

 であれば、ヴィルフィも地の底で同じく能力を授かったと考えるのが自然だ。なにせあの能力は、賢者リートの仲間に矢で腹を貫かれた時には無かったものなのだから。

 ヴィルフィは焚き火から一本の枝を取り出す。枝の鋭くなった部分を手首に添えて、すっと横にスライドさせる。するとすぐに傷口から、血が滲んできた。

 しかしその血は、やがて火の粉になり離散する。そして舞った火の粉を見送った頃には、既に傷口は塞がっていた。

 マジか、とヴィルフィは心のなかで、半分自分に引くように驚嘆する。


「どうやらその能力は、地上でも発動するようだな。私はお前が羨ましくてたまらない」


 なぜか勝手にため息を吐くティアマットに対し、ヴィルフィは枝を焚き火へ投げ捨てて、つられるようにため息を吐いた。


「……無敵じゃねえかよ。いよいよ人間やめちまった」


「だが慢心はしないことだ。命を繋ぐからこそ発動する能力やもしれん。あのモンスターも、一撃で葬られれば再生する事はできなかった」


「どっちにしろ痛えから、あんま使いたくねえな」


 ヴィルフィは腕を後ろに下げて、手を雑草の上について夜空を見上げた。

 死にかける思いはしたが、自分は魔力暴走による崩壊によって、特殊な能力――ヴィルフィの語彙で言えば、チート能力を手に入れたのだ。

 ただ彼女は才能に恵まれず努力家だった分、この能力に対してそこまで浮かれ喜ぶことはなかった。苦労して手に入れたものほど喜ばしいと考えるヴィルフィにとって、地下で偶然手に入れた最強クラスの能力よりも、一六年間積み上げてきた自らの魔法の方が、よっぽど大切だ。

 しかし、今のヴィルフィには一つの使命がある。それは女神シゼリアードを殺すことだ。彼女を殺すためには、どれだけチート能力があっても困らない。その点に関して言えば、この再生能力を手に入れたことに何も感じない訳ではなかった。

 だとすれば、今自分がするべきことは。


「……じゃあ結局、後はどうやって女神と会うべきか、だよな」


 結局、ヴィルフィの悩みは元に戻ってしまう。女神に会えなければ、どんなチート能力を持っていたとしても意味がなかった。

 ヴィルフィは再び上体を起こして、黒猫の方へと体を向ける。


「なあティアマット、アンタは元々女神の手下だったんだろ? どうやって会ってたんだ?」


「手下という言い方はいささか気に入らないが……あの頃は、我が翼があるからこそあの女神おんなの元へ飛び立てたのだ」


「つまり、アンタの力を取り戻す事ができれば、女神の元まで行けるってことか?」


「それができればな。だが我が力を封印したのは女神だ、どのように封印を解くべきか、彼奴きゃつにでも聞かねば分からぬ」


「……まあ、そうだよな」


 自分よりも女神の事を知るティアマットがそう言うのだから、まず間違いはないだろう。

 そしてまず間違いなく、女神はあちらからコンタクトを取ってきて、親切に封印の解き方を教えてくれる訳が無い。

 女神のヒントなしでこの龍の封印を解くためには、世界中を探さなければいけないのだろうか。だとすれば途方もない旅になるだろう。

 流石に無理かと諦めた表情のヴィルフィに対して、ティアマットは焚き火が作る火の粉の行方を目で追いながら口を開く。


「……私と同じように女神と繋がっている奴がいれば、そこから何か聞き出せるかもしれないがな」


「そんな都合の良い奴なんているかね……」


 ヴィルフィは諦め口調でそう呟く。

 そもそも女神と繋がっている人物(モンスター?)で初めて会ったのがこのティアマットだ。一六年で一人しか会うことが出来ていないのに、都合よく二人目に会える気が――


「――いや、いたわ」


 思い浮かんだ一人の人物――その姿をヴィルフィは知らないが、とても因縁のあるその人物であれば、女神にコンタクトを取ることが可能かもしれなかった。


「誰だ?」


「――”預言者”だよ。セネシス教の預言者、確か名前はティアルムって言ったか」


 この世界で唯一、今でも女神とコンタクトを取っている人物だった。

 どこまで女神と話せるのか分からない。下手すれば彼女の嘘八百かもしれないが、今自分たちが取れる手段としては最適のようにヴィルフィは感じていた。


「預言者か、なるほどな。試してみる価値はありそうだが、女神を崇拝する教団はお前を追っているのではないか?」


「そうなんだよな。まあでも贅沢は言えねえよ、教団一つ敵に回せないで、女神をぶっ殺そうなんておかしい話だ。――それに」


 ヴィルフィは焚き火から目を逸らして、夜空を見上げる。

 彼女の瞳の方向に何かあるのかと、ティアマットは彼女の視線の先を追っていく。しかし彼女が見つめている先には、一面の星空しか存在しない。

 ヴィルフィは夜空へ手を伸ばしていた。少し指を震わせながら、ぐっと手を伸ばす。そして何も掴めない事が分かると、今度は自らが被っている三角帽子に手を添えた。


「――それに、預言者には因縁があるんだよ」


「因縁?」


「ああ。まあアタシじゃなくて、アタシの師匠が、だけどさ」


 ヴィルフィは夜空によって照らされる瞳に、鼻の長い、しわが多く刻まれた魔女――ガラリエの顔を映していた。

 彼女は預言者が受けた天啓によって、王都を追い出され、森に隠れ住むしかなくなってしまったのだ。これがなければヴィルフィはガラリエと出会うことが出来なかったため、彼女にとって少し複雑ではあった。

 それでも我が敬愛する師匠の日常を奪ったのは、他ならぬ預言者と女神である。どんな形であれ、彼女の唯一にして一番弟子であるヴィルフィは、預言者に問い詰めたいと常々思っていたのだ。

 崩壊した魔女の森には、ガラリエの墓石もあった。もちろんその墓石と肉体は今、大穴を通じて世界の底に落ちてしまっている。世界の中心に魔力とともに流れている彼女の魂と、ガラリエの肉体は出会えたのだろうか。ちっぽけなヴィルフィには、夜空に彼女の姿を映すことしかできなかった。


「……そういうわけでアタシは王都に行って、教団の本部へカチコミに行くよ。アンタはどうするんだ?」


「野暮なことを聞くな、可愛らしいマスコットでイメージアップを狙うのだろう?」


「……ま、確かにアンタも自分の力は取り戻したいだろうしな」


「そういうことだ」


 ヴィルフィは少し優しさを帯びた瞳で、口角を上げてにやりと笑う。ティアマットはそんな彼女の表情に、片目を閉じて胸を反らせる。

 かくして、魔女とその使い魔は女神討伐へ向けて、まずは預言者ティアルムと会うべく、セネシス教の本部へと向かうことを決意したのだった。


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