第8話「世界の底からの脱出」(1)
瞼の裏にほんの少しの明るさが見えて、ヴィルフィは気を失ってしばらく開いていなかった瞼を開く。
暗闇の中に、ほんのり灯っている緑から白色の光。それは点々と星空を作り出すかのように位置している。
「――っつう、どこだ、ここ」
ヴィルフィは仰向けになっていた自らの体を起こし、辺りを見渡した。
緑色に発光していたものは宙に浮かんでいる魔石だ。ヴィルフィの周りにもいくつか浮かんでおり、ちょうど近くにあったものを手に取ると、それは砂のようにさらさらと砕けてしまった。
宙に浮かぶ魔石など、この世界では見たことがない。魔石というものは人が誰でも魔法を使うために加工されたものがほとんどで、魔法を使えるヴィルフィのような存在にとってはそこまで必要性の高いものではなかった。宙に浮かぶ魔石が改良されれば、この世界で飛行機でも作れてしまうほど産業革命が起こるだろう。
ヴィルフィは更に辺りを観察する。鍾乳洞のように垂れたような岩石の中に、魔石となる原石が光り輝いて、光源になっていた。ヴィルフィのいた空間は面積的にそこまで広くはないが、それでも奥に行けばどこまで続くか分からないくらいには、道が続いている。
対して鉛直方向には無限のように広がっている闇。ここでようやくヴィルフィは、自分が魔災による崩壊に巻き込まれたことを思い出す。
かなり奥深くまで落ちてきたのだろう。魔女の森から見える空は、魔石の発光に隠されてどうにも見えなかった。
(死ぬつもりなんてねえけど、我ながらよくあんな高さから落ちて無事だったよ――あれ?)
ヴィルフィが自らの体の丈夫さに感動していると、ふと違和感を抱いた。
その違和感の正体を探るべく、ヴィルフィは自らの腹部に手を当てる。手に柔らかい肌の感触と人肌の温かさが伝わった。
しかしそれこそがヴィルフィの違和感の正体だ。
「――怪我が、治ってる」
ヴィルフィはリートとの戦いの際に、彼の仲間が放った矢によって腹部を刺されていた。
その攻撃のダメージが魔法を中断させ、ヴィルフィは賢者リートに敗北してしまったのだ。
だが意識を失う前、女神に自らの推理を告げている最中までは感じていた傷とその痛みは、意識を取り戻したヴィルフィの体には既に無くなっていた。
まるでその傷が夢だったかのような錯覚に陥るヴィルフィは、腕を組んで考え始める。
(傷が治るほど相当意識を失ってた、ここにいる誰かが治療してくれた、魔力の力が勝手に作用して傷が回復した……色々可能性は考えられるな)
ヴィルフィはいくつか推測を立てるが、しかしそのどれもが確信を持てるようなものではない。ついでに言えば、あの距離を落下して無事だったという理屈にも説明がつかなかった。
ヴィルフィはため息を一つ吐く。そもそも彼女は、まだ自らの置かれた立場というものがよく分かっていなかった。とりあえず地中深くに落ちたのだと想像は出来るが、魔災の崩壊現象で生じた大穴に落ちてしまったのだ、本当にただ地中に落ちてしまったかどうかも疑わしい。
「……ま、とりあえず歩けることだし、探索でもするか」
ヴィルフィは背中から地面に着ける形で痛くなったお尻を上げ、そのまま腕と反動を利用して飛び跳ねるように足から立ち上がる。
そして鍾乳洞のような世界の底を探索するために、歩き出したのだった。
* * *
「……しっかし、本当に何もねえなあ」
しばらく歩いてみたヴィルフィだが、同じような景色が続くだけで、これという収穫物を見つける事ができなかった。
足取りが少し重くなってきた事をきっかけに、ヴィルフィは少し休むことを決める。少し開けた場所で、もし周りから何かが襲いかかってきても対応できそうだ。
「……ふう」
ヴィルフィは近くに生えている平らな魔石に腰を落ち着ける。もちろん椅子ではないため座り心地は良くないが、仕方ない。
ふわふわと浮かんでいる魔石を見ながら。ヴィルフィはこれからの事を考える。
魔災の原因は自分ではなく、賢者リートの存在だった。その推理を突きつけた時の女神の様子から、それは間違いないだろう。
そしてリートを――ネムを殺したのは、紛れもなく女神だ。リートの証言も合わせればこちらはより確実。女神がどうしてネムを殺してこの世界に転生させ、あろうことか世界を崩壊に導こうとしているのかは分からない。
だがそれが事実である以上、ヴィルフィにはネムの仇討ちという理由が出来てしまった。神を殺すなんて大層な事を言ったものだが、ヴィルフィは魔女であり、そして恋する乙女だ。神くらい殺せなければ。
ひとまず女神にこちらからアプローチをすることは、現状不可能だと言える。だとすれば女神に会って話すこと……場合によってはぶっ殺す方法を探すことが必要だった。
(……本当にアタシにはやることが多いなあ)
ガラリエとの修行は忙しかったが、目の前の課題が分かりやすかった分、今と比べれば気は楽だった。
今ヴィルフィには目的だけがある状態で、その方法がわからない。何をするべきか分からないことほど、辛いことはなかった。
ヴィルフィは座り込んだ場所の近くに浮いている、手鏡くらいの大きさの魔石を見つめる。そこに映っているのは、赤髪の魔女だ。厄災の魔女、なんて言えば聞こえは良いが、結局はちょっと魔法が沢山使えるだけの、平凡な人間。全てをスマートに解決するチート主人公ではなかった。
「……なあヴィルフィさんよ、アタシは本当にカミサマに勝って、ネムと一緒に元の世界へ帰れるのかな」
ヴィルフィは弱音とともに、ため息を一つ吐く。
彼女の目的はあくまで、ネムと一緒に元の世界へ帰ることだ。でもそのためにはきっと、女神の力が必要だろう。なにせこの世界に転生できたのは、紛れもなく女神の力だったのだから。
ヴィルフィの不安に対して、答えるものは誰もいない。彼女を励ます師匠も、仲間も、この世界の底にはいないのだ。
『――今のお前では不可能だろうな』
――答えるものは誰もいない、はずだった。
「誰だ!?」
ヴィルフィは反射的に立ち上がり、辺りを見渡す。
広い空間だから、誰かが近付いてきたら分かるはずだった。だが彼女が辺りを見渡しても、人やモンスターの姿を見つけることができない。
『今のお前は無力だ。女神に仇なす愚者である』
どこからともなく聞こえてくるその声は、ヴィルフィの様子を知ってか知らずか、淡々としている。
ヴィルフィはその声に聞き覚えがある――というよりも知らなければおかしい声だった。
それは自分の声だ。自らの声色が、発声の方法だけを変えて頭の中に直接響いている。普段の自分よりも低い声は、まるで現実を冷酷に突きつけているようで、気味が悪かった。
そしてヴィルフィは、”自分の声色”という事に対し、一つの可能性に思い至る。先程まで何となく見つめていた、宙に浮かぶ魔石。そこに映っている自分は、自らの声に驚いている表情ではなく、こちらを値踏みするような、冷徹な表情をしていた。
魔石に映る自分の口が開く。もちろん本物のヴィルフィの口は動いていない。
『女神に仇なす愚者よ、今のお前では女神を討ち取れまい』
「うるせえ、勝手に決めるな!」
ヴィルフィはようやくその自分であり自分でない淡々とした声に、巻き舌を加えた自らのがなり声で反論した。
自分の力不足はヴィルフィもよく分かっている。賢者リートとその仲間に敗北してしまったことはもちろん、この世界の底から抜け出すことすらままなっていない。確かに今の自分は女神を倒すことはできないだろう。
だが、それをよく知らない、自分の声を勝手に使った奴が言ってくるのだけは、気に入らない。
ヴィルフィは魔石に映る自分の姿を睨んでやろう、そう決心した。
しかしその瞬間、何か大きなものがごろごろと転がってくる音が届く。その音の方を振り返ると、砂煙を上げながら一体の人型――ヴィルフィの世界で言うところの毛むくじゃらのゴリラのようなモンスターが転がってきた。
ヴィルフィも森で見たことのある、確かヘルギガスと呼ばれているモンスターだ。おそらく崩壊に巻き込まれてここに落ちてきたのだろう。
ヴィルフィが言うと説得力はないが、この高さから落ちてしまえば、本当ならばひとたまりもないだろう。だがヘルギガスは呻き声を上げながら、ゆっくりと立ち上がり、目の前にいた人間――ヴィルフィに対してその眼をぎろりと向ける。
『ではその力、見せてもらおうか?』
魔石から発せられる自らの声は、彼女自身を挑発している。
「――ったく、ちゃんと見とけよ?」
ヴィルフィは魔石の自分に目を向けることもなく、戦闘態勢を取ってヘルギガスと対峙した。




