幕間「研究者たちの謀」
王都がモンスターたちに襲われている頃。
トレイスは王都から少し離れた場所にある、魔災対策機関クスウィズンの研究室の一つに来ていた。
昼の陽光を遮るカーテンで締め切られた研究室には、トレイスの他に、もう一人女性だけしかいない。
濃い緑髪が無造作にウェーブして背中まで伸びており、前髪も少し目にかかるのを、大きな眼鏡が防いでいる。目の下には大きく隈が出来ており、彼女の顔にまるで血液が通っていないような不健康さを醸していた。
女性はずっと魔力の宿した結晶を、眼鏡のレンズを応用した拡大装置でじっと眺めている。その顔は真剣そのもの、というよりは取り憑かれているようだった。
「……王国は今、魔災に犯されたモンスターに荒らされているらしいねえ」
女性にしては低く、ガラガラとした声が研究室に響き渡る。もちろんトレイスの声でも、外から入ってきた誰かの声でもなく、目の前の緑髪の女性から発せられたものだ。
「王都が崩壊する心配は今のところない。それに王都には騎士団も、そしてみんなもいる。心配は無用」
「”みんな”、ねえ。ふふふ」
白衣を着た緑髪の女性は、人によってはかなり気味悪く感じる笑い方で、トレイスの言葉へと反応する。相変わらず魔石から目を離すことはない。
「それよりもリスター、あなたに一つ頼みたいことがある」
トレイスは相変わらず無表情だ。
リスターと呼ばれた女性は、視線こそ魔石から背けることは無かったが、少し驚いた表情を浮かべた。トレイスからの頼みなど、今までに片手の指で数えられるほどしか無かったからだ。
「聞こうか」
きりきりきり、と拡大鏡を操作しながら、リスターはトレイスの言葉に耳をすませる。
リスターはトレイスにとって、クスウィズンで最も信頼できる人物だ。トレイスの女神嫌いも理解して、自分も証拠至上主義なのだと共感してくれている。年齢の差は少しあれど、気のおけない関係性となっていた。
リスターは見た目や性格こそ独特で、まず間違いなく世間には適合できる人物ではない。しかし魔石を観察する彼女の暗い瞳は、魔石に反射する光に照らされて、トレイスには少しだけ輝いて見えていた。
そしてそんなリスターだからこそ、相談して頼める事があるのだ。
「……魔女ヴィルフィの”味方”になって、リスター」
トレイスから出たとんでもない言葉に対して、リスターは流石に魔石の観察を中断し、トレイスの方を見やる。
体躯だけは白衣の上からでも女性らしいが、色々な色が混ざって濁ったようなぐるぐるとした瞳は、やはりどこか彼女を健康的に見せない。肌の白さが隈を引き立てているのもあるだろう。
リスターはトレイスのターコイズブルーの瞳を見つめて、彼女の言葉の意図を探る。彼女は相手から何か合点のいかない言葉を告げられたとき、飲み込みそうな黒い瞳で相手を凝視するのだ。それに耐えられずに彼女から離れていった同期も多数いるという。トレイスは流石に慣れてしまって、小動物的な愛らしささえ感じるようになった。
しかしトレイスの意図をどうしても汲み取れず、リスターはため息を一つ吐く。
「降参だ、教えてくれ」
リスターは椅子から立ち上がり、自らの背丈よりも明らかに長い、ドレスのような白衣を擦りながら、トレイスの横を通り過ぎる。
トレイスよりもかなり背の高い……ヒールも履かずに成人男性の平均身長よりも高い彼女の体が、彼女のお気に入りのソファーへどさっと倒れ込んだ。
「厄災の魔女が魔災に関係している、というのは女神が下した結論だけど、一切の関わりがないわけじゃないことは確実」
「証拠を」
「このノート。まだほんの一部解読できただけ――それも合っているか分からないけど」
リスターは無言でトレイスが差し出したノートを手に取る。それはトレイスが魔女の森から拾ってきた、おそらく魔女の手書きだと思われる本だ。
舌で乾いた唇を潤しながら、リスターはぺらぺらとページをめくっていく。トレイスは解説するまでもなく、じっとリスターの様子を見つめていた。
一通り読み終わったリスターは、唾液で濡れた唇を本を持たない右手の人差し指の腹で優しく撫でながら、ふむと考え込んでいる。
「……おかしな言語だよ」
「信じてもらえる?」
「野暮な事を聞くね。トレイスの言う事など、わたしは最初から信じているのにさ」
「そのつもりで聞いた」
「悪いヤツめ」
リスターは不健康そうな眼をトレイスに向けて、にやりと口角を上げて笑った。
今のノートでリスターが何を理解したのか、トレイスにも計りかねるところがある。彼女はトレイスとはまた違ったタイプの天才だ。彼女の思考を読み取る事は、残念ながらトレイスにも分からない。
しかしだからこそ、トレイスは彼女の事を信用できるのだ。
「それで、トレイスはどうするんだい?」
リスターは魔女のノートをトレイスへ手渡しながら、ニヤニヤとした表情でそう尋ねる。
研究室にはこの二人以外、誰もいない。外の喧騒と無機質に敷かれたカーテンが、彼女たちの、女神を冒涜する研究者たちの謀を包み隠していた。
「……私は、厄災の魔女に会いに行こうと思ってる。彼女はきっと、私たちよりも魔災の事を知っているだろうから」
=== 第2章A「動き出す王国と賢者の葛藤」 完 ===




