第7話「理想を胸に抱け」(8)
業火に包まれる王都の中央広場で対峙するのは、一体の巨大なモンスターと二人の剣士。
牛型のモンスター――ビッグホーンは腹部から流す血液を炎に変えて、まるで焼かれるかのようにその巨体を炎に包んでいる。吐き出す吐息さえも炎を纏い、まるで火を吹いているようだった。
対して剣士二人は共に額から汗を流しながら、炎で茹だるフィールドに視界を揺らしている。
そのうちの一人である大剣を持った男――グレンは、その隣にいる人物に目を向けずに、真っ直ぐにモンスターを見つめていた。
自らは魔法を使うことが出来ない。魔術師としてではなく剣の道を志した時から、既に魔法を使いこなす夢は諦めている。だからこそ自らの剣術を磨き、王国の騎士団長にまで上り詰めたのだった。
その腕は騎士団長を辞してから、衰えるどころか、むしろあの頃よりも熟達したものになっていると感じている。それが先程、隣の弟子に見せたものだ。
(――だがやはり、魔災により凶暴化したモンスターには、限界があるか)
大剣を構え、いつ襲いかかってきても良いように心身ともに準備するグレン。
しかし相手は炎を纏い攻撃を繰り出してくる化け物だ。相手はそれなりの傷は負っているはずだが、それでもまだ致命傷には至っていない。魔法なしで打ち砕いた魔法障壁も、既に回復しているだろう。あのまま追撃を仕掛ける事ができれば良かったのだが、それは暴走したモンスターに付与された能力が許さなかった。
そうなると相手を一発で葬るよりは、少しずつでもダメージを蓄積していき、動きを止める方が良い。そしてそのためには、横にいる弟子――賢者リートの力が必要だった。
(頼むぞ、我が最高の弟子よ)
師匠として情けなさを感じながらも、グレンはこの状況を打破するために、リートの力を頼りにしていた。
だが、何もしないのは師匠として面目が立たない。グレンは大剣を構えて走り出す。決してその走りは速いわけではないが、それでも敵が自分を標的にするためには十分だった。
グレンはモンスターの足元までたどり着く。ビッグホーンは前脚を大きく上げて、グレンを踏み潰そうとしていた。
グレンは大剣を横に構えて、防御の姿勢を作る。質量の暴力がグレンを襲ったが、それを上手く受け流して、むしろビッグホーンのバランスを一瞬崩させた。
モンスターが作った一瞬の隙を見逃さなかったのは、賢者リートだ。彼はバランスを崩して動くことが出来ないビッグホーンの眼前に跳躍し、剣に氷を付与させた。
「はあああああッッ!!」
リートが氷の剣を一振りすると、ビッグホーンを包んでいた魔法障壁が凍てついて粉々になり、そのまま氷の力を宿した刃がその顔に斬撃を与えた。
その傷口から炎が吹き出ようとするが、その動きを妨害するように、ビッグホーンの傷口が凍りついていく。
唸り声を上げるビッグホーンの迫力に気圧されそうになるものの、リートは特に炎へ巻き込まれることなく着地する。やがて氷が解けたのか、傷口から爆発するように炎が吹き出て、また辺りを炎に包んでいく。
続けてリートは攻撃を仕掛けるために、モンスターの背後に回って飛び上がろうとする。
しかしその動きはビッグホーンが自らの身体を振るい暴れ始めたことによって、妨害されてしまった。
(流石に敵だと認識されたのか……?)
先程の攻撃により、ビッグホーンはこちらの方が脅威だと感じたようで、リートの方を睨み明らかに警戒の色を示していた。
このままでは攻撃に転じることが出来ない。長期戦になると、出血で苦しんでいる相手が不利であることは言うまでもないが、炎で体力を奪われているこちらの方も無事では済まないだろう。
何か一つ、決定打が欲しかった。
「リートくん、少しいいか?」
合流したグレンに話しかけられ、リートはこちらを警戒するビッグホーンの攻撃に注意しつつ、はいと頷く。
「長期戦を避けるべきだとは分かっているな?」
「ええ、もちろん」
「リートくんの攻撃では相手を一撃で仕留めることは難しいだろう。だからといって俺の攻撃は魔法障壁に弾かれてほとんど通用しない」
グレンの言う通り、二人のそれぞれの攻撃は、もはや目の前のモンスターには通用しなくなっていた。
もし魔法剣を使えるのがグレンであれば全て解決することだが、それはもしもの話だ。
しかし突破口はあると言わんばかりに、グレンはにやりと笑っていた。
「魔法障壁は、魔法を当てた瞬間であれば剥がれたままなのだろう? だったらその隙をリートくんが作って、俺が攻撃を仕掛ければ良い」
「ですけど、僕の攻撃はかなり警戒されています。近付いた時点で暴れられる可能性も」
「――いいや、むしろ暴れさせよう。奴がバランスを崩すくらいにな」
そう告げるグレンの表情を見て、リートはこの人は苦し紛れで提案しているわけではない事を悟った。
魔法の才能は確かにリートの方が上だ。だがモンスターとの戦闘経験であれば、間違いなくグレンの方が格上である。
グレンは口頭でリートに作戦を詳しく伝え、リートは一旦納得する。だがそれでも一つ、懸念点があった。
「魔法障壁の剥がれている時間はそこまで長くありません。下手すれば師匠が危険な目にあいます」
リートは我が師匠であるグレンの身を案じて、そう告げる。
しかしそんなリートとは対照的に、グレンは笑みを崩さない。
「――リートくんは、師に物言えるほど偉くなったんだな。嬉しいぞ俺は、がっはっは!」
敵を目の前にしてもなお、グレンは豪快に笑う。
グレンを突き動かしていたのは、リートの師としての矜持だった。
確かに自分は魔法という側面ではリートに負けている。あの厄災の魔女と渡り合った事実を踏まえれば、総合的な戦闘能力では負けている可能性も高い。
だが自分は彼の師匠なのだ。彼に背中を見せ続けることが師としての役目であり、プライドだ。
どれだけ剣術を吸収されたとしても、その誇りだけは持っていなければいけない。
それはリートに告げた、「理想を胸に抱け」という言葉のように、師匠として振る舞う自身の理想を、グレンは胸に抱いていたのだ。
リートはグレンの様子に、自分は失礼な事を言ってしまったと反省する。
この人の限界を見たわけではないし、侮ってもいない。だが心のどこかで、前線を退いた師匠を心配していたのだ。
……見せてもらおうじゃないか、という程に、リートの心は熱く燃えたぎっていた。
「じゃあ、作戦通りに頼む」
「……分かりました、お気をつけて」
弟子のその声をスタート音に、グレンはモンスターに向けて走り出す。
グレンでは魔法障壁に到底太刀打ち出来ない。炎を纏っている今であれば余計に、攻撃と炎を回避しながら先程のような強力な一撃を加えることは難しいだろう。
「――師匠、いきます!」
しかし今、グレンの後ろには弟子のリートがいる。彼と協力すれば、あのモンスターを退治することなど、容易いことだろう。
リートは手のひらから魔法を放つ。青白く光るその魔法はビッグホーンの頭部へと照射される。そしてその光がリートのかざした手のひらから、がちがちと、徐々に凍り始めていった。
それがグレンを追い抜き、まず初めにビッグホーンの体を襲いかかる。しかし全身を包む魔法障壁が、その防御能力を代償に、リートの氷魔法をぱらぱらと地面に降らせた。
だが魔法障壁が復活する前に、グレンがモンスターの方へ一気に距離を詰める。大剣を持っているとは思えないほど素早い動作に、ビッグホーンは何も対応することが出来ない。
そしてグレンの剣撃が、ビッグホーンの額へと直撃する。ビッグホーンの額から吹き出す血液は、空気に触れあっという間に炎として燃え上がり、グレンを襲った。
「もう一つ!」
しかしその血液の炎が突然、水蒸気となって消え失せた。
それはリートの素早い水魔法によるもので、この芸当は無詠唱で魔法を使える彼にしかできないものだ。
突如として火炎を失ったビッグホーン。だが魔法障壁が修復されるのが普通は先だ。血液で怯んだグレンの攻撃は、魔法障壁に弾かれてしまうだろう。
「――させるかッッ!!」
しかしそれは、グレンが血液の火炎に怯んでいるという仮定であれば、だ。
リートがその血液に対して何かしら対処するだろうと”確信していた”グレンは、全く怯むことなく次の攻撃を仕掛けようとする。それは十年近く師弟関係を続けている彼らだからこそ出来る、波長の合った連携だった。
ビッグホーンはグレンの剣撃に対して、今度は自らの体を震わせ暴れることで防御しようとする。
しかしその瞬間ビッグホーンの眼には口角を上げるグレンが見えて、そしてそのままその景色はぐるんと反転した。
「狙い通り!」
ビッグホーンの巨大な体が、明らかに重心を自らの体から外れてしまい、転倒する。その姿にリートは喜びの声を上げた。
巨体は為すすべもなく倒れ、頭部を地面に付けたビッグホーンは、己に起こった事態を理解する。
モンスターの足元には、先ほどリートが放った氷魔法、その残骸がそのまま地面を凍らせていたのだ。そして暴れまわったビッグホーンはその摩擦係数の低さに滑り始め、転倒してしまった。
転倒の衝撃で魔法障壁の修復が阻害される。そしてその隙を逃さない剣士が一人。
「見ておけリートくん、これが君の師匠の実力だ」
大剣を振りかざす剣士――グレンはビッグホーンの額へとその大剣の先を突きつけて、弾丸のように飛び出していた。
そしてそのままビッグホーンの巨体を両断するように、魔物の皮を、筋肉を、血管を、内蔵を、そして魂を穿つ。
グレンがビッグホーンの体を貫き、大剣についた血を勢いよく払う。その血飛沫から炎が舞い、その瞬間にビッグホーンの体は一気に業火で包まれてしまった。
(あの巨体を一撃で叩き切る……本当に常人じゃありえない動きだ)
リートも身体能力に関しては負けていないだろう。魔法を駆使すれば彼よりも俊敏に動くことは出来るはずだ。
しかしグレンは”魔法を使わず自らの腕だけで”モンスターの巨体を貫いたのだった。その常識外れな攻撃力に、リートは感動を隠しきれない。
「師匠! 大丈夫ですか!?」
しかし何らかの理由で騎士団を引退しているグレンのことだ、どこか無茶をしているのではないだろうか。
リートは心配になって、モンスターが放った炎が消え去ったことを確認し、グレンに駆け寄る。グレンは、がはは、と笑っていた。
「どうだ、リート。これが剣術というものだ」
「絶対、無茶しましたよね……ああほら、ちょっとよろけてるし、火傷も酷い」
グレンの体は、お世辞にも大丈夫だとは言えない状態だった。
リートはグレンの事をよく知っている。彼は自分の父親と同じく、少し見栄っ張りだ。ゆえに師匠として弟子にいいところを見せようと、明らかに派手な事をしたがる。これまでも沢山そういう事があった。
だがそれでも、やってのけるのがグレンという男で、リートの師匠なのだ。
「……俺のことは心配するな。それより後は残党狩りだ、手伝ってくれるな?」
「ええ、分かりました。――向こうにいるミドルホーンをやっつけてきます、師匠はゆっくり来てくださいね」
リートはグレンの返事も聞かず、大通りから裏路地の方へ入っていったミドルホーンを追いかける。
そんな弟子の姿を見て、グレンは一息、笑った。
「……さて、いつまで俺は師匠面できるんだろうな」
* * *
裏路地に入っていったモンスターを追って、リートも同じように路地へと入っていく。
裏路地、とは言っても王都の住宅地の間は小綺麗なもので、ゴミが落ちているとか、よく分からない虫がはびこっているわけではない。流石王都の裏路地といった感じだ。
しかしそこには、異物がいた。王都のその景色には似つかわしくない、地面に座り込んであぐらをかいているぼろぼろの男が一人いたのだ。
酒を入れているようで顔は赤く、整えられていない髪や髭は伸び切って、浮浪者という言葉をリートに連想させる。彼の所持品だろうか、周りには食い散らかされた食べ物や空き瓶、一冊の魔導書、そして片手剣が転がっていた。
そして彼の目の前には、先程追いかけていたミドルホーンが襲おうと鼻息を粗くしている。男の視線はモンスターを見つめておらず、ただ自分の脚をずっと眺めるように、俯いている。リートはモンスターを目の前にして驚きの一つも見せない男に、少し不気味さを感じていた。
しかしモンスターは男の事情など知ったことではない。食い殺して自らの腹を満たすために、容赦なく男に飛びかかった。
「――危ない!」
リートが叫ぶと同時に、魔法を放とうと手のひらを前にかざす。
しかし彼は目の前で起こった事に動揺し、魔法を放つことができなかった。
「……誰だ」
そのぼろぼろの男は足元にあった剣を一瞬で手に取り、ミドルホーンの体を抜剣で両断したのだ。
座ったままその芸当を行う男に対し、リートは息が詰まってしまう。一体彼は何者なのだと、リートの視線はその男へ釘付けになった。
「リートくん、大丈夫か?」
後を追いかけてきたグレンの声が背後から聞こえる。
しかしその姿を確認することはなく、目の前の男をじっと見つめるリート。
そこまで目の前のボロ雑巾のような男に、どうして視線を離せずにいるのか、リートは明確な答えを出すことは出来ない。
だが彼の存在はリートにとって非常に大切で、彼の運命さえも握っているような、そんな事を彼の第六感が警鐘しているのだ。
「……おそらくトリンフォア村から流れ着いた者だろうな」
グレンは男を注視するリートの横に立ち、自らの推測を伝える。
確かにトリンフォア村の避難民は、あの魔災による崩壊現象以降、王都でよく見かけることになった。キャロシーもその一人だが、彼女は両親が存命であり、王国による避難民への待遇により家を持つことが出来ている。
しかしそれとは別に、トリンフォア村の人々の中でも家を持てない人たちがいることもリートはなんとなく知っていた。王国も全ての村人に土地を貸せるわけではない。怪我の影響で仕事ができず家賃を払えないだとか、引き取り手がいないとか、様々な理由で住居を持たず浮浪者となる者がいるのだ。
そしてこの男性もその一人なのだろう、リートはそのことだけ納得をする。依然、彼に感じる運命的なものに関しては、何も分からないままだ。
リートが何も言わないことを察して、自らが動くべきだと判断したグレンは、一歩前に出て男に話しかける。
「王都は今、モンスターの侵攻により危険な状態だ。早く逃げたほうが――」
グレンの言葉が、突然途切れた。
そのきっかけとなったのは、浮浪者の男がゆっくりと声の主の方へ顔を上げたことだ。彼の顔を見た瞬間、グレンは言葉を打ち止め、険しい顔つきになった。
リートはその顔に、見覚えがあるような、あるいはないような、そんな曖昧なものだけを頭に浮かべている。街ですれ違ったことがある、と言われれば納得してしまうほどの、そんな微かな違和感だ。
しかし横にいるグレンは、明らかにその顔に見覚えがあるようだった。気になったリートは、グレンに対して質問しようと口を開く。
「師匠、この人を――」
「――リート、この男から離れろ」
グレンが低い声でリートを制しながら、背中に差していた大剣を抜き、男の方へと突きつける。
その顔はまるで誰かの仇にでも会ったかのような迫真の表情だ。リートはあのモンスターと戦っている時でさえ見せなかったグレンの様子に、疑問が止まらなかった。
「この人は一体誰なんですか?」
リートは殺気を漂わせている師匠に向けて、勇気を持ってそう尋ねる。
正直この男が驚異的な存在ではないと、リートは感じていた。ミドルホーンを一撃で両断した剣の腕は流石だが、それ以外はまるでほとんど死んでいるような雰囲気で、こちらに対する敵対心も見当たらない。
どうして我が師匠がここまで警戒心を顕わにしているのか。リートは自らが感じた運命的なものを踏まえて、目の前の男の正体が一体何なのか、気になって仕方がなかった。
グレンは大剣を揺らさず、しかし緊張を全く緩めず男から視線を外さずに、リートへと男の正体を告げる。
「……この男の名前はハーデット、厄災の魔女ヴィルフィの父親だ」
第7話「希望を胸に抱け」 (終)




