第7話「理想を胸に抱け」(6)
高等部の空き教室の一つで、リートは少し気恥ずかしそうにベールへ一冊のノートを渡す。
前世よりも印刷技術が発展していないライアッドでは、一冊のノートも決して安いものではない。ベールはリートが丹精込めて書いた小説ノートを、丁寧に取り扱う。
ひとまず冒頭部分と少しだけ書かれた小説は、主人公が別世界から魔法のあるファンタジー世界にやってきたというプロローグから始まる。そこから魔法やモンスターなど自らの世界にない事を知っていき、そして自らに宿った特殊能力を用いて、誰も対処できなかった一つの問題を解決する……といった感じだ。
ひとしきり読み終えたベールは、ふう、と自らの内にためていた空気を吐き出して、リートへノートを返した。
「私、伝記や寓話には詳しくないけど、読みやすかったよ」
「それは良かったよ」
その言葉を聞いて、リートは安堵の表情を浮かべる。小説を見せる者に付き纏ってくる、自分の作品に対する反応への恐怖を、ひとまずは乗り越える事ができた。
ベールに限って厳しい意見を言うことはないだろうが、こればかりは仕方がない。そもそもリートは前世でも、誰にも自分のしたためた小説を見せたことがないのだ。
一応この世界の言語は一六年使っており、リートも百冊以上は魔導書を読んでいるため、ある程度の表現は心得ていた。しかし実際に読みやすいかどうかは不安で、ベールの「読みやすかった」という率直な感想が、リートにとっては嬉しかった。
ベールは人差し指の関節を唇に当てながら、内容を思い出すかのように教室の天井を見上げる。
「なんだか新鮮だった。ほら、魔法とかモンスターとかって、私たちの世界じゃ当たり前でしょ? それを知らない主人公の反応がなんだか面白くて」
「確かにね。後は、何かこうした方が良いとか、改善点はある?」
「うーん……あ、でも魔法とかモンスターの説明は、少し長かった気がするけど」
リートはベールの指摘に、確かに、と感じた。
リートが元々暮らしていた世界――小説を書いていた前世の世界では、魔法やモンスターが当たり前の存在ではない。対してライアッドではそれらが当たり前の存在なのだ。
ガソリンで動く車というものがないライアッドで喩えるなら、ふつう「銀色の車が走っている」だけで済ませば良いだけの話なのに、「前後方に白と赤の電灯をつけるためのハロゲンランプが装備されており、透明なウィンドウガラスの中には前方に二つ、後方に横長の座席が設えられた、銀色にコーティングされた金属の箱が、車輪を付けて走っている」なんて書かれていたら、流石に冗長だと感じてしまうだろう。
自分はライアッドの外にいた人間だから、どうしても魔法やモンスターに関しては説明を細かくしてしまっていた。リートが今までに蓄えてきた読書経験というものは全て前世の世界のもので、そう書いてしまうのは当然といえば当然のことだ。
流石にこの世界の人たちに読んでもらう事を考えて、説明は簡潔にするべきだろうか……そう考えているリートに、ベールは、でも、と一言挟む。
「このお話の主人公って、私たちとは違う世界から来たんでしょ? だったらこれくらい説明があったほうが、むしろ良いのかもね」
「読みづらくない?」
「脚本とかのことは詳しくわからないけど、その読みづらさがあるから、この人は違う世界の人なんだなってなる気がする」
ベールの意見は贔屓もあるのだろうが、それでもどこか的を得ている気がした。
リートが読んでいたファンタジー小説は、ネットで投稿できる時代ということもあり執筆人口が高く、誰も書いていない新しいものを探そうという風潮が強い。
自分は元々この世界とは違う住人で、もしその視点でこの世界を描くことができれば、なんだか面白くなりそうな気がしていた。
元々は理想を突き詰めるために書いた小説だったが、なんだか面白い方向性にシフトしてきて、思わずリートはくすっと笑う。
「リート、楽しそう」
そんな彼の様子を見ていたベールは、つられて笑みを浮かべる。
彼が思い詰めているのを知っていたから、安心した部分もあっただろう。
「ベールがもし狩人じゃなかったら、校閲――本を出す前に確認して、著者にアドバイスする仕事が向いてそうだね」
「そうなのかな。褒められてる気がして、ベールさんは嬉しいぞ」
ベールは教室の椅子から立ち上がって、リートの方へと振り向く。
そろそろ撤収の時間だろう、リートもノートをカバンに入れて、ベールの後に続いた。
高等部の廊下は決して人が多いわけではない。放課後は所属する研究室に引きこもったり、外に出て活動を行っている事が多いためだ。
そういえばそろそろ研究室の配属希望を決めないといけない時期だったな、リートは魔災や魔女の件で精一杯になっていた自分が、一応は魔法学校の学生であることを再認識した。
「……リート、ちょっと外が騒がしくない?」
しかしその思考を遮るように、ベールがそう呟く。
彼女は耳が良い。狩人として獲物を狩るためには、その足音にすら敏感にならなければいけない。だからこそベールは幼い頃からその鍛錬を積んでおり、それはリートに真似できない代物だ。
リートもベールに合わせ、じっと耳をすます。高等部の廊下を歩く足音を意識から排除すると、確かに校庭の方から人の声がしていた。そして校庭を超えた先では、もっと大きな、まるで爆発音のような――
「――リートさん! ベールさんも!」
突然声をかけられ、リートはびっくりして体を跳ねさせる。その声の方を振り向くと、そこには白衣の女子生徒がいた。
リートとベールは慌てた様子の女子生徒をじっと観察する。二人はその女子生徒に、どこか見覚えがあった。
「……確か、トレイスさんの研究室の」
「はい。トレイスさんの、同級生で、マリンって、言います」
マリンは気候に似合わず額から汗を流しながら、息をなんとか整えようとする。研究室にいて運動不足なんだろうなと、リートは失礼ながら感じてしまった。
「どうしたの?」
「それが……王都にモンスターが出てきたんです!」
「なんだって!?」
リートはマリンの言葉に驚きながら、思考を働かせる。
基本的に王都内にモンスターが入り込んだ歴史は、スコラロス王国が全盛期を迎えてからは存在しない。都市を囲む防壁と王国の騎士団によってモンスターは侵入を許されておらず、空を飛ぶモンスターも基本的には魔法障壁に阻まれて王都に入ることができないのだ。そもそも、都市近くの街道にはそこまで強いモンスターが現れることがない。幼いリートとベールが少し都市を離れても大丈夫だったのは、そういった理由によるものだ。
しかしマリンの言葉を信用するならば、王国は都市へモンスターの侵入を許したということになる。
まさか、魔災により凶暴化したモンスターなのだろうか。だとしたら王国が魔力崩壊に巻き込まれる可能性も否定できなくなる。
「リート!」
ベールが幼馴染を呼ぶ声が聞こえる。彼女の声の意図を理解していたリートは、うん、と頷いてマリンの方を見つめる。
「僕たちはモンスター討伐に協力してくる。マリンはトレイスを呼んでくれないか?」
トレイスならば力になってくれるのはもちろん、もしこの騒動に魔災が関わっているとすれば、適切なヒントを与えてくれるはずだ。
しかしマリンは残念そうに首を横に振っていた。
「トレイスさんは今、クスウィズンの本部に出向していて王都にいないんです。少なくとも今日は帰ってきません」
「そっか……」
本当はこの場にいてほしかったが、贅沢は言ってられない。
リートはマリンにお礼を言いながら、ベールとともに王都市街地へと急いだ。




