第7話「理想を胸に抱け」(5)
グレンとの剣の鍛錬で、自らの心のうちを相談したリートは、その夜自室で一人、デスクに向かって一冊のノートを見つめていた。
『――理想を胸に抱け。どんな現実に直面しても、理想だけは忘れるな』
今朝、グレンから伝えられた言葉が、リートの耳に、頭に残って離れなかった。
自分はまだ答えを出すことが出来ているわけではない。グレンに質問した『もし自分の大事な人が敵になって、自分と戦うことになったら』というものに関しても、自らの中で決断できる状態ではなかった。
ただグレンへの相談で感じたことは、自らが世界とヴィルフィのどちらも助けるという理想を追求していること。そしてグレンから伝えられたことでもあるが、その理想を忘れない事が大事だということだ。
思えば自分は前世から理想的な事ばかりを追求していた気がする。確かに現実では理不尽な事に苛まれたりもしていたが、それでも心のどこかで、自分がどこかで理想を追い求めていた。
その一つが、リートがずっと読んでいたファンタジー小説だ。そこにはリートと同じく理不尽な目にあっていた主人公たちが、何かをきっかけとして――例えばヒロインとの出会いであったり、異世界転生・転位であったり、或いは新しい居場所を見つけることで――自分がこうありたいと思っていた姿になり、叶えたいと思っていた願いを実現していた。リートは彼らに憧れていたのだ。
そんな端から見れば理想的である種陳腐なファンタジー小説を、いつしか自分でも書くようになった。読むのと書くのとは違うから、最初は苦労していたが、それでも筆がどんどん進んでいくのを感じて、リートは自分がいかに自分の理想を持っていたかを知ることになる。
自分は、人に話すには気恥ずかしいが、理想家だと思う。実現可能かどうかはさておいて、理想を追い求めることこそ自分の美徳だと思っていた。
この世界に来てからのリートも、根本的な部分では変わっていなかった。
確かに最初の方は魔法という物語の中だけでしか見ない存在に浮かれている。ベールという美少女な幼馴染や、グレンという師匠がいてくれたことも同様だ。
だがまだ少しだけ幼かった一〇歳の頃、近くの森で凶暴化したモンスターからベールを救ったとき、自分は物語で感情移入していた主人公のような存在に、自分がなっていることを実感した。無限の魔力、そして無詠唱での魔法の発動といったチート能力があったからこそ、ベールを救う事ができたのだ。
あのときベールを助けようとした自分の判断は、自分の理想を求めた結果なのだろう。普通の人間であれば、自分が助かるか相手を助けるかの二者択一に迫られる。
リートはそこで自分の我儘を貫いたのだ。そしてこの能力があったからこそ、自分もベールも助かることが出来た。
だが、大切なものが増えれば増えるほど、リートが思い描く理想を実現することは困難になっていった。
厄災の魔女ヴィルフィがコトノであることを知り、彼女の事を自分は本当に助けたいと思うようになっている。
この世界は自分にとって大切なものであることに変わりはない。ベール、トレイス、キャロシーなどの仲間は言うに及ばず、両親、先生、師匠、町の人々、あるいは預言者や女神も含めて、大切な存在ばかりだ。
だからこそ、ヴィルフィと世界を天秤にかけたとき、水平になってしまう。そして自分は今、二者択一を迫られているのだと、自分の不得意な現実を直視するという状況に悩んでいるのだ。
(……でも、僕が本当にしたいことは)
リートが本当にしたいことは、両方を助けるという、青臭くて我儘な、現実の見えていないことだった。
リートはノートにペンを走らせる。一六年使っていない日本語には不安が残るため、この世界の言語で文章を綴っていく。
『異世界に転生した俺がチート能力で、この世界の不条理をすべて解決していきます(仮)』
稚拙でありきたりな表題に、思わずリートはくすっと笑ってしまう。”(仮)”と付けたのも、なんだか恥ずかしさを紛らわすためのようで、余計に痛々しい。
でもこれこそがリートの”理想”だ。
彼は自らの理想を忘れないために、或いは自らの理想をより深く知っていくために、夜通しノートへ言葉を紡いでいくのだった。
* * *
「……ふぁあ~っ」
幼馴染の大きな欠伸を聞いて、ベールは横に座っていたリートの顔を見つめる。
「そんなに授業が眠かったの? 興味あるって言ってたのに」
ベールは、リートが授業の内容が退屈で眠そうにしているのではないかと疑っていた。
王国の魔法学校の高等部では、授業は基本的に選択制で、時間割は自分が決める事になっている。リートの暮らしていた日本で言うところの、大学のシステムとほとんど一緒だった。
リートは魔女と渡り合えるほどの魔法使いで、詠唱も必要としないことから、必修科目を除き魔法関連の授業は取らないようにしている。必修科目で魔法理論の授業があれば仕方なく受けており、その時には眠そうにしていることも珍しくは無い。
ただ先ほどの授業は歴史学で、リートがむしろ受講したいと前向きに登録したものだ。前回までの講義では興味津々に聞いており、欠伸の一つすらしなかった。
だからこそ授業中も授業後の今も眠そうにしているリートを見て、ベールは何かあったのかと心配に感じている。
「いや、昨日夜更かししててね。別に授業が面白くないとかじゃないよ」
「夜更かし? 珍しいね、何かあったの?」
リートは昨晩小説を書き始めてからペンを置くまで、普段自分が寝る時間を超えていることに気が付かなかった。
きりの良いところ、きりの良いところと探っていたら、大変な時間になってしまっていたのだ。
「まあ、ちょっとね。お話を書いてたんだよ」
「お話?」
眠くて判断能力が鈍っていたのか、それともベールなら話しても大丈夫だと思ったのか、小説を書いている事を目の前の彼女に話した。
意外そうな表情を浮かべるベールに対して、そういえば確かに今まで、そんな素振りを見せたことはなかったなとリートは顧みる。基本的に自分は魔導書を読むか剣術の訓練をしているかの人間で、本や物語が好きだという話は全くしたことがなく、またこの世界に来てからもそこまで読んでいたわけでもない。
まるで自分の好きなものを知らない人にやんわりと布教するオタクのように、自らは本が好きで、少し書きたくなったと話すリート。
ベールはそんな彼に対して、ふーんと呟く。一見すると興味は無さそうだが、彼女の可愛らしい瞳はこちらをじっと見つめていた。
「ね、私も読んでみたい」
幼馴染が書いた小説に興味津々なベールに圧され、一応バッグの中にノートを入れていたリートは、せめて誰もいないところでという条件をつけて、小説を見せることにした。




