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第7話「理想を胸に抱け」(3)


 預言者ティアルムに報告して彼女の怒りを買いそうになった日、そしてトレイスから魔女と協力するための覚悟を問われた日。

 考え事が止まらず中々寝付けず、ようやく意識を落とすことが出来たリートは、夢の中で見覚えのある光景の中にいた。


「お久しぶりです、ネムさん。いえ、もうリートさんとお呼びした方が宜しいでしょうか」


 リートに話しかけてくる柔らかな女性の声。リートは既に微かな記憶ではあったが、どこか聞いたことのあるその声の正体を突き止めることが出来た。


「……女神様」


 リートの目の前に立っていたのは、自らが異世界ライアッドに転生する前に出会った女性――女神シゼリアードだった。

 古代ギリシャ風のキトーンのような衣装を身に付けて、その艶やかな肢体のラインを醸している。長い銀髪を何度か束ねてまとめており、それを解いてしまえばウェディングドレスのように地面を擦ってしまうようだった。

 景色はあの転生した時と同じく、広大な空を間近に感じさせる広い雲の上だ。あの頃と違うのは、女神と会っているのがネムではなく、ライアッドの賢者リートだということだけだった。

 どこかの宗教画で見たような神様と同じような表情で、女神は慈愛に満ちた表情でリートを見つめている。


「あなたは今、大きな決断を迫られていますね」


 知っているんですかと聞きたくなったが、リートはあえて言わなかった。神様なのだから、この世界で何が起きているか、リートがどのような気持ちなのかくらいは知っていてもおかしくないだろう。


「女神様、災厄の魔女ヴィルフィがコトノであるのは、本当なんですか?」


 リートは女神に聞きたいことが沢山あった。それは主にコトノの転生のこと、そしてこの世界に迫る危機についてだ。


「リートさんの仰る通りです。あなたの親友だったコトノさん――いいえ、魔女ヴィルフィは、貴方を追って自ら命を絶ち、異世界ライアッドへと転生させるよう、わたくしに迫りました」


 シゼリアードの言葉を聞いたリートは、分かっていた事のはずなのに、冷や汗をかくように心の中が冷たくなっていくのを感じた。


「じゃあ、無理に異世界へと来たから、魔女ヴィルフィの存在が世界を滅ぼすというのも……」


 女神は、迷いなく頷く。

 本当は目の前の少年が魔災の原因であることを、一切悟らせないように。


「残念なことですが、これは運命なのです」


「そんな……」


 リートは焦りと悔しさをどうにか発散させようと、握りこぶしを作り、歯を食いしばった。

 だが、そんなことで世界が与えた運命は変わるはずもないことを、リート自身が一番よく知っている。彼が前世でいじめられっ子に対し、どれだけ悔しい想いをしていても、いじめられるという現実は変わらなかった。今回も結局根本の部分は同じなのだ。

 そんなリートの様子に、女神は哀れみの表情を浮かべる。


「これは私が与えたものではなく、世界が与えた運命――本当はあなたを救ってあげたい。でもわたくしには、見守ることしかできません」


「そんな、魔女を殺すしか、もう道はないんですか……?」


「私はそう感じています。だからこそ預言者に、いち早く魔女を討伐するように命じているのです。……世界の秩序を守るためとはいえ、私はリートさんには本当に申し訳ない事をしていますね。ごめんなさい」


「そんな、顔を上げてください!」


 自らの頭を下げる女神に対して、リートが慌ててそれを制止しようとする。

 女神のしおらしい様子を見てリートはふと、これは誰も悪くないんだ、そう感じた。

 コトノは自分ともう一度会いたいという気持ちで、自らの後を追いかけて異世界ライアッドへとやってきた。世界は秩序を守るために、異分子である彼女を排除しようとしている。女神は世界の自衛本能までは制御できず、ただライアッドの民のために行動をしていた。

 誰も悪くない。これは本当に不幸な事故だったのだ。……そう考えるリートは、だからこそ自分が苦しんでいる事に気付く。

 彼が読んでいるファンタジー小説には、あからさまな巨悪が存在した。世界を破滅させようとしている魔王、民を苦しめて自らの懐を潤わせる独裁者、無慈悲に命を奪っていくモンスター、果ては身勝手に仲間を追放した勇者。

 彼らが痛い目を見るのが痛快で、主人公がその目的のために奔走する姿があればとても共感できる。

 勧善懲悪の物語だからこそ、リートはその小説に理想を見出すことが出来たのだ。

 この世界に転生したとき、リートは多少なりとも、小説で活躍する主人公への憧れを思い出していた。自分も彼らのようになれるのではないかと、理想を現実にする能力を手に入れて嬉しい気持ちがあったのは違いない。

 でも今はどうだ。この世界に悪役というものは存在しない。誰も悪くない事故を解決しようとしている自分は、小説に出てきたチート主人公ではないのだ。

 落ち込み悩むリートの姿に、女神は何をしてあげれば良いか分からず、困惑の表情を浮かべていた。だがふとあることに気付いたのか、慈愛のある表情を浮かべながらリートへ近付いていく。


「……わたくしに務まるかわかりませんが」


 女神は、リートの体を抱きしめた。

 リートは突然の女神の行動に驚くが、彼女の柔らかな体と温もりが伝わってきて、ぼおっと顔を赤らめながらその感覚に体を委ねる。


「女神様……」


「かつて理不尽と戦っていたリートさんは、その理不尽に耐えるため、コトノさんに支えてもらっていたのでしょう。その代わりになるかはわかりませんが、いつでもわたくしを頼ってください。そしてライアッドで苦しい思いをしたとき、女神わたくしの加護があることを、思い出してください。きっと貴方は前を向くことができるようになります」


 女神はずっと、リートの体を優しく抱きしめている。リートも女神の慈愛に、心ごと委ねたいと思っていた。

 女神の表情は、リートからは見えない。彼女はリートを愛おしそうに微笑みながら、リートの髪をゆっくりと撫でていた。

 その微笑みに一体どんな意味が隠されていたのだろうか。それを推測するような、女神にとって邪魔な存在は、この雲の上にはどこにもいなかった。


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