第7話「理想を胸に抱け」(1)
「みなさん、お疲れ様でした!」
魔女の森から無事に脱出した賢者リートたちは、預言者ティアルムからの招集により、再びセネシス教の本部へと来ていた。
ティアルムは魔女討伐前に会った時と同じように、満面の笑みでこちらを迎えてくれている。ミルク色の穢れなき長髪が絹糸のようにさらりとなびき、豊満な体つきがぽよんと揺れて、トレイスは無表情だが明らかに不機嫌そうな素振りをしていた。
リートは魔女の森での出来事をティアルムに直接報告している。魔女の森の奥地には厄災の魔女ヴィルフィが住んでおり、彼女から自らが魔災を引き起こしていること、そして魔災の影響によって魔女ヴィルフィは崩壊に飲み込まれ生死不明であること。
報告の後ティアルムは、リートたちが魔女ヴィルフィを直接討てなかった事を何ら責めず、上機嫌で劇のようにくるくると回っていた。やがて少し疲れたのか息を荒げ、よっこいしょと椅子に座り、今に至る。
「魔力崩壊に巻き込まれて帰ってきた人はいない……魔女ヴィルフィは、死んだのでしょうか?」
ベールは緊張した面持ちで、ティアルムにそう尋ねる。どこか人間味はあるが、それでも教団の最高権力者と言っても差し支えがない人物だ。緊張するのも無理はない。
しかしリートはこの預言者について、どこか底知れない恐ろしさを秘めているような気がして、ベールとは違った意味で緊張をしていた。
ティアルムはようやく息が整ってきたのか、高級そうな椅子に座りながら、首を横に振る。
「……ちょうど魔女の森が崩壊を始めた頃ですね、女神様から私に再び啓示が下りました」
こほん、と一つ咳払いをするティアルム。その表情は先程よりキリッとしている。
ただそれは教団の最高権力者としてのオーラを漂わせているわけではない。どこか演者じみた、わざとらしいものだ。
「厄災の魔女ヴィルフィは、生きています」
ティアルムがそう告げると、ベールとキャロシーは驚愕の反応を示す。魔災に巻き込まれた上に、ベールの矢を受けて怪我もしている状態で、どうやって生き延びているのか……リートも抱く当たり前の疑問だった。
対してトレイスはそれが当然だと言わんばかりに表情を崩さない。その真意をリートは推し量ることができなかった。
そしてリートは内心でどこか安堵していた。厄災の魔女ヴィルフィが――コトノが生きているという事実に。この世界を崩壊へと導こうとする魔女が生きている事に安心する……この世界では明らかに異質だったが、前世で同じ時を過ごしたリートならではの反応だ。
ティアルムは各々の反応を眺めながら、言葉を続ける。
「セネシス教は全力を挙げて厄災の魔女の討伐に向かいます。これは私のお父様にも既に了承済みです」
ティアルムはわざとらしく見える使命感を声色に込めながら、四人にそう告げた。
ティアルムの父親はセネシス教の最高権力者であり、女神の予言を聞くことこそ娘のティアルムに譲与されているものの、教団の方針や運営を取り締まっているのは彼である。
そして彼が了承しているということは、即ち教団本部の統一意志でもある。分派からの反発もなくはないだろうが、スコラロス王国がバックについている以上、その反発を行動に移すことは少ないだろう。何より世界の共通敵になっている厄災の魔女を殺す、という方針に対して異を唱えれば、魔女の味方だとみなされかねない。
そしてセネシス教の方針について、スコラロス王国はまず間違いなく協力を申し出るだろう。王国と教団には歴史的にも太い繋がりがあり、そもそもトリンフォア村の崩壊によって王国にも、明日は我が身という風潮が漂っているのだ。協力しないはずはない。
リートは状況を整理する。ヴィルフィは王国と教団に命を狙われることになるのだ。
彼女の強さは実際に戦った自分が一番よくわかっている。確かにヴィルフィは強い。無詠唱、無限の魔力というチート能力を持っている、そんな自分を凌駕するくらいには。
だが王国と教団を敵に回してなお勝てるような実力なのだろうか。王国には騎士団をはじめとして、敵国の侵略を牽制するための武力が数多く備わっている。
強いとはいえ一介の魔法使いが逃げ切れるはずはない。リートだって同じ立場になったら、逃げ切るような自信はないだろう。
ヴィルフィの真意はわからない。だがリートは彼女がコトノであることを知っている、この世界で唯一の人物だ。彼女の存在が世界を滅ぼすのだとしても、何か打開策はないだろうかと探したくなる。
「……ティアルム様、本当に魔女ヴィルフィを殺すしか、方法は無いのでしょうか」
――だからこそ、リートは目の前のティアルムの言葉に意義を申し立てる勇気を持つことが出来た。
「……どういうことですか、賢者さま?」
ティアルムは珍しく驚いた表情で、リートの方をじっと見つめる。その声には少しだけ、怒りが混ざっているように聞こえた。
「確かに魔女ヴィルフィは自らを魔災の原因だと言いました。女神様の御言葉にも間違いはないと思います。でも、だから殺すというのは納得がいきません」
「厄災の魔女を討つ事までが、女神様の啓示なんです。私たちはそれに従ってさえいれば良いのです。それに世界を滅ぼそうとしている大罪人は殺すべきです、あなたは死罪さえも否定するのですか?」
「違う! 魔女ヴィルフィは自らが存在する限り世界の崩壊は免れないと言っていました。僕たちは彼女を苦しみから救うため――」
「――黙りなさい」
リートの精一杯の言葉を塗りつぶすように、ティアルムの低く、沸々と怒りのこみ上げてきているような声色が、広い部屋にこだました。
ティアルムのこれまで見せたことのない怒りに、リートは腰が砕けてしまいそうになる。
それは教団の最高権力者としてのある種の器とも言える、女神に盲信する者の姿だった。
「女神様が仰られた事を否定するということは、貴方は女神様から見捨てられたことになります。女神様を愚弄した愚かな大罪人を、教団も、王国も、許さないでしょう」
ティアルムは椅子から立ち上がり、コツ、コツと足音をゆっくりと鳴らしながら、リートの方へふらふらと近付いていく。
その表情は決して歪んでいるわけではない。怒りに満ちた者はもっと眉頭にしわをよせ、突き刺すような視線で相手を睨み、怒りに任せて飛びかかってきそうな素振りになるはずだ。
ティアルムはそのどれでも無かった。端正な顔立ちは崩れることがなく、視線の強さも先程と大きくは変わらず、足取りは病人のようにおぼついていない。
だが、彼女は怒りに震えていた。瞳の奥底が全く見えない。すべてを暴力的に飲み込んでしまいそうな漆黒が、自らの敬愛する女神を愚弄した相手だけに向けられていた。
リートは立っているのがやっとで、彼女の顔が近付いてきて、まるでこれからキスでもするのかという距離になるまで、息さえもできなくなっている。
リートよりも少し背の低いティアルムは、髪から男を誘惑するようなアロマの香りを漂わせながら、リートの胸の部分にそっと手のひらを当てた。
そして見上げる形でリートに大きな黒い眼を向け、消え入るような小さな声で呟く。
「――もちろん私も、貴方の事を許しません」
その声を発した瞬間、ティアルムの口角が一気に上がる。黒い瞳に不気味な笑みを浮かべた彼女の姿は、まさに”狂信者”という言葉が似合うほど、狂気に満ち溢れていた。
リートが恐怖で何も反応できない、そんな様子を見てティアルムは、リートの体から手を離し、くるんと半回転する。そして少しだけ距離をとって、もう一度半回転。
彼女の表情が、先程と同じように柔らかい、神聖さの中にどこか人間味を帯びたものに変わる。
「……トレイスの顔に免じて、先程の女神様への冒涜は許してあげましょう。なぜなら私は、女神様からの天啓を受けて、それを皆さんに伝える預言者なんですから」
ティアルムは先程の変様が悪い夢だったと思わせるような、明るい笑顔で言葉を発した。




