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第6話「崩壊する魔女の森」(2)


 崩壊する魔女の森の中で、トレイスとベールは巨大な芋虫のようなモンスター……エルダーワームと対峙していた。

 エルダーワームの身長は体半分を起こしただけでも、彼女たちの五倍ほどある。ワームの通った道に生えている雑草がことごとく根から抉られており、轍を作っていることから、重量も相当だろうと二人は判断できた。

 巨大ワームは甲高い叫び声を一つ上げて、そこからじっとトレイスたちの方に口を向ける。唾液がだらだらと出ており、円形に生えた牙の向こうには何か喉仏のような構造があり、そこにはいくつもの眼球が張り付いていた。


「うええ、気持ち悪いやつ……」


 ベールはかなり嫌そうな表情でそう呟く。一方のトレイスはこういったモンスターに慣れているのか、表情を変えることなく大盾を構えていた。


「ベールは近寄らなくても良いよ。私が近接で戦うから、後ろから援護をお願い」


「分かりました」


 ベールの声を合図に、トレイスはワームに向けて突進を始める。速度こそ大きくは無いが、大盾の質量がもたらす運動エネルギーにより、全ての物を蹴散らす騎兵隊となることが出来るのだ。

 エルダーワームはその大きな口を開いて、向かってくるトレイスを噛み砕こうとしてくる。しかしトレイスの身長ほどある牙が大盾を砕こうと噛みついた瞬間、ガキン、と音を立てて跳ね返された。


「そんな攻撃じゃ、私の盾を崩すことは出来ないよ。――悪魔の血液よ、魔獣の口内に染み渡れ」


 弾かれ大きく開いた口に、トレイスは手のひらを向けて、氷魔法の詠唱を行なう。

 中規模の氷魔法はそのままトレイスの手のひらから放たれて、口の中から凍てつかせようと伸びていく。


「――なっ!?」


 しかしその魔法は、円形の牙を通り過ぎた直後、大量の瞳の前で弾かれてしまった。

 エルダーワームは何事もなかったかのように、次は体の中心を軸に、体の後ろ半分をぶんと振り回す。その攻撃を盾で受けようとするトレイス。

 だが鞭のように加速し、質量も大きい尻尾の攻撃は、攻撃こそ単純であるものの、衝撃だけは先程の噛み砕き攻撃よりも大きい。トレイスは衝撃で自らの身長の三倍程度の距離を引きずられ、体勢を崩してしまった。


「先輩!」


 ワームの追撃を許さないように、ベールが放った矢が頭部に当たる。

 その矢はワームの頭に刺さることは無かったが、突如飛んできた攻撃に対して、ワームの焦点がトレイスから上手くベールに逸れた。

 しかし逆に言えば、攻撃の相手がトレイスからベールに変わったということである。

 ワームは頭から勢いよく地面へと潜っていく。全身が潜り終えるよりも先に、ベールの方へ地面を砕く音が近づいて生きた。


「ベール、気を付けて!」


 トレイスが叫ぶなか、ベールは先ほどあったこのモンスターの初撃を思い出していた。

 地面から突然現れ、そのまま大口でこちらを飲み込もうとする……今回もそれをするのだろう。ベールは近くの樹木を目だけで確認し、音が一番大きくなったあたりで、その樹木へと跳躍した。

 その刹那、ベールがいた地面が砕け、円形に生えた牙が地面を砕く。

 彼女の跳躍は木の太い枝へと伸びていき、手で枝を掴むと、鉄棒の要領で一回転して枝の上に着地した。

 そして急接近しているワームの口内を貫こうと、ベールは枝の上で器用にバランスを取りながら、防寒のように弓を横にして構える。

 これは彼女は正確性よりも攻撃のスピードを意識している時の構えだ。獲物に逃げられないよう素早さが求められる場合、ベールにとっては弓を縦にするよりも横で構えたほうが速く弓を射ることが出来た。

 ただ今回は獲物に逃げられないため、という理由ではない。大型のモンスターが接近してまず的を外さない場合、最低限勢いよく真っ直ぐ飛べば大丈夫だ。

 それに体の表面は固くても、口内は柔らかいというのが一般的だ。魔法は効かなかったが、物理であれば効くかもしれない。だからこそ、口が閉じる前に口内を射抜いてしまおうと考えている。

 しかしベールはそこで、ここまでの狩人として学んできた事を踏まえた直感が、この状況に危険信号を送るために体を一気に冷たくさせた感覚を覚えた。


(口を閉じないの? ……いや、そうじゃない)


 ベールの茶色の横髪が、少しだけ目の片隅に映る。彼女の髪が、空気の動き方を顕著に伝えていた。


(――吸ってる!?)


 ベールは弓を射る事を諦め、足の力を一気に込めて、その木の枝から飛び降りるように離脱する。

 そして彼女の視界がワームの方を向き直る前に、まるで小さな氷の粒が地面へ一気に落とされたような、そんな大きな音が聞こえた。

 驚いたベールが音の方向である、元々自らがいた場所を振り向く。彼女が立っていた樹木は穴だらけになっており、そこからバラバラと小石が落ちてきていた。そしてメリメリと樹木の内部から割れていく音が続けて聞こえ、樹木は半分から上、ちょうど枝と葉がつき始めた所から、へし折れてしまう。

 ベールはその景色にぞっとする間もなく、背中から地面へと落ちてしまった。一度跳ね返るように叩きつけられたベールの体から空気が吐き出され、息が出来なくなる。

 そしてワームは容赦なくベールの方へと頭を向けて、そのまま食い殺そうと突撃してきた。


「――ッ!!」


 しかしその口の軌道は、横からやってきた青い砲弾によって逸らされる。ワームにとっては体を吹き飛ばされるほどのものではないが、それでもベールへの攻撃を外す程度ではあった。


「危なかった」


 そのまま青い砲弾――トレイスはベールの前に立ち、大盾を構えて次の攻撃に備える。その額に汗が滲んでいるのが、ベールからもよく分かった。


「……ごほっ、ごほっ。すみません助けてもらって」


 ようやく呼吸が戻ってきたベールは、こちらを振り向かず相手の次の攻撃を警戒しているトレイスに、お礼を述べる。


「あの攻撃を避けられたのは上出来、気にしない。それよりも立てる?」


「はい、なんとか」


「一旦距離を取ろう。私が攻撃を引き付ける」


「わかりました」


 トレイスは一度、ワームの噛みつき攻撃を大盾で防いだ。その間にベールは立ち上がり、目立たないようにじりじりとワームと距離を取る。

 ベールはトレイスとエルダーワームの攻防を俯瞰して見ることが出来た。相変わらずその身長差でワームの攻撃を防いでいるトレイス。やはり彼女は戦闘のスペシャリストでもあるのだと、ベールは実感した。

 ワームが再びトレイスを吹き飛ばそうと、体の中心を軸に尻尾を振り回し、彼女へ攻撃を仕掛けようとする。

 しかし待ってましたと言わんばかりにトレイスは腕を前に出す。先ほどとは違い、尻尾の攻撃を防御しようという動きは見当たらない。


「――残虐なる悪魔よ、自らの血をこの大地に染み渡らせよ」


 トレイスがそう詠唱すると、エルダーワームの体の真ん中から地面が氷漬けになり始めた。

 ワームへ直接攻撃を仕掛けていないトレイスに、ベールはその意図を瞬時に汲み取ることが出来ない。しかしその後のワームの挙動を見て、ベールが納得の声を上げた。

 ワームの体が、バランスを崩したのだ。軸にしていた体の中心部と接する地面が凍ったことで、支えるための摩擦がなくなり、ワームの体が回転するようにつるつると滑ってしまう。

 そしてそのバランスが崩れたところを見計らって、トレイスがワームの体の重心へと走り出し、大盾を構えて突進した。

 摩擦が無くなってしまったエルダーワームは為すすべなくその巨体を吹き飛ばされ、周辺にあった何本もの木々をなぎ倒しながら転倒する。

 ここまで攻撃を弾かれていた二人が、初めて目の前の巨大なモンスターに一矢報いた瞬間だった。


「トレイス先輩! すごい!」


 エルダーワームの次の行動に備えて、ゆっくりと距離を取るトレイスのもとに、ベールが嬉しそうな表情で近寄った。


「でしょう。もっと褒めなされ」


 トレイスはピースサインをして少しだけ表情を柔らかくする。ようやくベールの方をちらりと見ることが出来た。

 しかし二人の柔らかな表情は、すぐに警戒した険しい表情へと変わる。甲高く耳をつんざくような叫び声が、二人の鼓膜を刺激したからだ。

 立ち上がったエルダーワームが、叫び声を上げ続けていた。どこまで伸び続けるのか分からないような長い長い悲鳴が、やがて何かものを吐き出すような、こぽこぽとしたエッジボイスが混じり始める。その低いくぐもったような声が叫びを埋め尽くしたと同時に、エルダーワームはごぽっと何か肉塊らしきものを吐き出した。

 そこには大量の眼球が蠢いていた。向いている方向はまちまちで、ぎょろぎょろと狂ったように動き続けている。

 そしてその肉塊はワームの唇に固定され、柔らかな青白い光を滲ませ始めた。


「――ベール! 魔法だ、私に隠れて!」


 ベールはトレイスの言われるがまま、彼女がモンスターに向かって構えている大盾に隠れる。

 そして眼球が大盾で全て隠れてしまったベールが見たものは、雷のようなバチバチとしたものを発している光線が、あちらこちらに放たれている光景だった。


「ぐ――ッ!?」


 衝撃が大きいのか、トレイスは大盾に全ての体重を預けるような前傾姿勢で攻撃をしのぐ。

 やがて乱射されている光線が一度大人しくなり、攻撃の終わりを告げたことがベールにも分かった。

 光線はその雷で森を焼き、地面を抉っている。自分たちが当たればひとたまりもないだろう。このモンスターがそんな隠し玉を持っていた事に、ベールは絶望感を隠せなかった。


「動かないで、もう一回くる!」


 トレイスが叫んだ瞬間に、また光線があちこちに乱射され、大盾がギギギと悲鳴を上げる。


「先輩、大丈夫ですか!?」


「そこからじゃ分かりづらいと思うけど、あの眼球すべてが雷の魔力を宿していて、それを無作為に放ってるだけ。だから大丈夫」


「でも、このままじゃ防戦一方に……」


 光線は、一回目と二回目の感覚が短く、ベールたちに反撃の隙をほとんど与えなかった。

 しかもベールは相手の弱点を掴んでいるわけではない。もし下手に攻撃を仕掛ければ、回避が間に合わず光線の餌食になってしまうかもしれないのだ。

 だが、ベールの目の前にいるトレイスの表情は、苦しそうにはしながらも、どこか笑っているように思えた。


「……違うよベール。今が逆転の時だ」


 得意げな顔をするトレイスの意図が分からず、ベールは言葉を返すことができなかった。


「あの眼球が奴の弱点。魔法が効かなかったのは魔力で守られているからだけど、物理であれば通る可能性が非常に高い。体を倒されて、それでこの攻撃に移行したのがその根拠。それに魔災で凶暴化したモンスターの報告を見ても、物理と魔法の両方が特別強くなったモンスターは、これまでにいない」


 トレイスは攻撃を防ぎながら、ベールに逆転の作戦を伝えている。その表情は必死そうで、あまり時間を長引かせると、彼女の脚が崩れてしまいそうだった。


「……それで本当に倒せるんですか?」


「客観的に確実とは言えないけど、私の勘は確実だと言ってる。……ただ、私はあの高い位置に物理攻撃を仕掛ける事ができない。だからベールの協力が必要不可欠。次の攻撃が止んだら、私の傍から離れて弓で攻撃して。もし駄目なら、また私の盾に隠れれば良い」


 魔災というものにまだ未知なる事実がある以上、確実とは言えなかった。

 しかしトレイスの自信は本物だということを、ベールは分かっている。彼女は自信家ではあるが、その自信は日頃の研究や鍛錬に裏打ちされたものだ。変な先輩ではあるが、仲間としての信用は本当に大きかった。


「……分かりました。先輩を信じますからね」


「ふふ、信じて後悔はさせないよ」


 トレイスが少しだけ口角を上げた瞬間に、光線が止まる。先程のインターバルを考えると、少しの時間でも無駄には出来ない。

 ベールは作戦通りトレイスの陰から現れ、モンスターに向けて弓を引く――


「先輩、私を上に!」


 ――ことはしなかった。

 トレイスは自らの後ろではなく、真上にベールを見る。

 ベールは弓を構えるのではなく、トレイスの後ろから跳躍して、彼女の真上に着地しようとしていた。

 その意図をトレイスは瞬時に理解し、大盾へ力を込めて、真上に持ち上げる。

 大盾を足場にするように着地したベール。そして彼女を飛ばすように、トレイスは大盾を持つ腕にぐっと一層力を込めた。

 ジャンプ台の要領で飛び出したベールは、腰にぶら下げたクイーバーから弓矢を三本取り出す。淡い光を放ち始めた眼球の一つと、ベールの瞳とで視線が交差した。


(一本の矢を飛ばしてあいつを貫くことは難しい。でも、三本の矢をこの手で刺せたら――!)


 ベールは取り出した三本の矢を両手で持ち、ワームの肉塊へ着地しようとする瞬間、その矢の先を力強く、肉塊へ突き出した。

 その攻撃は槍を刺したように肉塊を抉り、肉塊の中心部へ落ちる軌道のベールが、肉塊を貫いてそのまま地面へと着地する。

 ワームはもはや声にもならない、空気の入った悲鳴を上げる。その体が吐き出された肉塊からどろどろと溶け出して、地面に染み渡る形でその姿を消した。

 そして残った巨大な体はボロボロと、まるで乾燥した物体が崩れ落ちるようにその身が剥がれていく。

 まるで木のチップが山積みされているかのような形で、モンスターはこれ以上動かなくなった。


 ベールは申し訳無さそうな表情でトレイスへと近付いていく。

 トレイスは万が一の可能性を考えて、ベールに安全な攻撃方法を提案した。しかし弓矢を使うベールには、あの肉塊を貫くほどの攻撃が与えられない事など、作戦を聞いた段階ですぐに分かっていたのだ。

 何度か繰り返せば、長期戦にはなるだろうがいずれ相手がダメージで力尽きるだろう。しかしそれはトレイスの身が無事であれば、だ。

 彼女を犠牲にして、自分は守られてばかりで良いのだろうか。トレイスを信じることにしたベールは、自らの身を危険に晒してでも、目の前の先輩に恩返しがしたかったのだ。


(私も、先輩とおんなじになっちゃってるなあ)


 トレイスと同じく自己犠牲を働かせた事に申し訳無さを感じながら、ベールは自分たちの勝利に嬉しさを隠せず、謝るような、嬉しいような、微妙な表情を浮かべていた。


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