第6話「崩壊する魔女の森」(1)
厄災の魔女ヴィルフィの正体が、自分が前世で仲良くなった女の子のコトノだった。
賢者リートは魔災で崩壊した戦場の巨大な穴をじっと見ている。その瞳にもうヴィルフィは映っていないはずなのに、彼の頭の中には光の失われていく彼女の瞳が焼き付いて離れなかった。
「リート、早く逃げよう!」
聞き慣れた幼馴染の声によって、リートはようやく思考の迷宮から抜け出す。声の方を見ると、茶色のボブカットを汗で貼り付かせながら、焦った表情でベールがこちらに訴えかけてきた。
そうだ、魔女の森は今、魔災による崩壊現象が行っている。早く逃げなければ、自分たちも巻き込まれてしまう。
「……うん、分かった。行こう」
そう呟くリートの表情はしかし、暗いものがあった。やはり魔女の――コトノの生死が気になるのだ。
いいや、今は自分が生きることが先決だろう……出来るだけ魔女ヴィルフィに対する思考を振り払って、リートは辺りを見渡した。
今自分と同行しているのは三人だ。幼馴染のベール、魔法学校の先輩であるトレイス、そしてトリンフォア村から助け出した少女キャロシー。幸運にも三人は魔災の崩壊現象に巻き込まれることなく、無事だった。
だがいつ魔災が自分たちに牙を向けるか分からない。ベールとキャロシーと目が合うと、彼女たちはリートと同じ気持ちなのか、強く頷いた。
「この本は、あの魔女の……」
だがリートと目を合わせず、座り込んで何かを手に取っている人物が一人。
トレイスは水色の前髪を少しかき分けて、集中して手に持った物を見ている。それは一冊の本だった。最初は魔女が持っていた魔導書の一つかと思ったが、リートが知っているような魔導書はおおよそハードカバーで、その本は大学ノートのような何かを書き込むための本のように見える。
「トレイス先輩! 早く逃げないと巻き込まれますよ!」
中身をめくり始め集中に入るトレイスに対して、ベールが彼女を現実に引き戻すために叫ぶ。トレイスもはっとしたのか、ベールの方を見つめて申し訳無さそうな表情を浮かべていた。
「ごめん、お待たせ」
トレイスは落ちていた本を手に持ったまま、リートたちの方へと駆け寄ってきた。
どうやらその本がかなり気になっているようだ。確かに魔女の持ち物だとすれば、魔災に関係するものかもしれない。魔災の研究に従事するトレイスにとっては、ここで崩壊に巻き込まれて失うことは避けたいのだろう。
そして一行は退却を始める。トリンフォア村の時と一緒であれば、そこまで時間の猶予があるわけではない。ましてこの魔女の森は中々広く、地理の分かりやすいトリンフォアよりも早めに行動をしておくほうが良いだろう。
崩壊による揺れで転倒しないように、その進みは決して早くない。トリンフォアの時と違って高低差があまりないため、大盾を持ったトレイスが一行の中では一番歩みが遅くなる。その歩調に合わせながらじっくり進む中で、リートはトレイスの横に並んだ。
「何か魔災のことが分かりそうなんですか?」
警戒を怠ってはいけないが、だからといって黙っているのも不安で仕方がない。特にリートはヴィルフィの件があり、どうしても何か話して不安を取り除きたかった。
トレイスは表情を崩さないまま、それでも少し考えているかのように黙る。しばらく歩みを続けた後に、ようやく口を開いた。
「かなり難解な書物。一般に出版されているものじゃなくて、筆で書かれた一冊だけの本だよ。割当はしっかりとされているけど、魔女以外の手に渡るのを恐れてるのかな、見たことのない言語で書いてある。もちろん私は言語学の専門家ではないから、然るべき人に見せれば分かるかもしれないけど」
「トレイスさんでも読めないって、相当難しいんだな……」
「ふふ、魔導書は読み慣れていたから、挑戦のしがいがあるね」
トレイスは歩みを止めることこそ無かったが、とても楽しそうに表情を柔らかくする。やっぱり自分で読むつもりなんだなと、リートは心の中で納得していた。
「だったら、生きてこの森を出ないと――」
――刹那、耳を劈くような低い轟音がリートの言葉を遮った。
トレイスも突然の出来事に対して、一瞬大きく目を見開き、その足を止める。それは他の仲間も同じだったようで、四人は森のどこかから発せられた轟音の正体を探るため、言葉を交わすまでもなく背中合わせで四方を確認した。
揺れの音は今そこまで大きくはない。しかしその崩壊の始まりの音の中に、どん、どん、と何か巨大なものが地面に打ち付けられる音。
そしてもう一つ。ざらざら、ぎぎぎ、と地面を擦り、時に割るような音も聞こえる。
しかもその二つの音は、”別々の”方向から聞こえてきた。
「モンスターは二体いるよ!」
トレイスがそう叫んだ瞬間、ドン、と一層大きく地面を打ち付ける音が聞こえた。そしてその音の正体が姿を現す。
「離れて!」
二足歩行の筋骨隆々で毛むくじゃらの――リートの元いた世界では巨大なゴリラと形容した方が分かりやすい――魔物が、跳躍してこちらに両拳を振りかざしてきた。
咄嗟に敵の正体を掴んだトレイスは、自らの大盾でその攻撃を防ぐ。しかしその体は圧倒的な衝撃には耐えられず、大盾ごと吹き飛ばされてしまう。
そしてそれを心配する暇もなく、もう一体の敵の魔の手が忍び寄っていた。地面を隆起させ近付いてくるそれは、吹き飛ばされたトレイス以外の三人の足元へと向かい。
「下だ!」
リートがそう叫んだ瞬間、彼らの足元から突然、大きな口が円形に揃った牙で食い殺そうとしてきた。
外側に避けたベールとキャロシーはその攻撃をすんでのところで避ける。リートは真上にバク宙の要領で跳躍し、頭が大口の方へと向いていた。
その大口に横向きで剣を差し込むと、モンスターは顎が閉じずに動揺する。その隙を狙ってリートは無詠唱で、炎魔法を叩き込んだ。
芋虫のような体をうねらせて、突然の魔法に動揺するモンスター。吐き出された剣を空中で手に取って、リートは着地する。
「……いや、効いてない!?」
しかしその芋虫のようなモンスターは、体の中から焼かれたにも関わらず、リートたちの方をじっと見つめる。外側からは目が付いていないようにも感じられるが、口の中を見ていたリートは、その奥底に大量の目玉があることに気付いていた。
「トレイス先輩、大丈夫ですか!?」
毛むくじゃらのモンスターに吹き飛ばされたトレイスのもとへ、ベールが駆け寄る。
「ちょっと転んだくらいだから、大丈夫だよ」
トレイスはモンスターたちを交互に観察しながら、この事態をどう切り抜けるかを考えていた。
モンスター二体に挟まれた四人は、背中合わせになってそれぞれのモンスターと対峙する。リートとキャロシーは毛むくじゃらのゴリラのモンスターを、ベールとトレイスは砂にまみれた芋虫のモンスターを。
「リート、キャロシー。背中を預けても良い?」
トレイスが目線を向けることなく、二人にそう話しかける。
リートは毛むくじゃらのモンスターの動向を伺いながら、コクリと頷く。
「分かりました。……ベールも、気をつけてね」
「ふふ、心配しなくたってリートは私のことくらい分かるでしょ。大丈夫よ」
ベールが額の汗を気にせず弓を構え、クイーバーから矢を一本取り出す。芋虫のモンスターにまだ矢先は向けていないが、いつでも発射できるように準備した。
「キャロシーちゃんも戦える?」
魔災の崩壊現象で微かに黒いポニーテールを揺らしながら、キャロシーは左手左足を前に出して、格闘術の構えを取る。その拳にはグローブをつけており、敵に突きが当たる部分に丁度、重い金属が装着されていた。
「御三方には恩義がありますから。それに私だって、魔女を倒すために皆さんへ同行しました。この程度の魔物を相手するくらい、覚悟は決めてあります」
まっすぐな声でベールの言葉に答えるキャロシー。その表情は武術を学んでいる者特有の、心身ともに研ぎ澄まされた集中を宿したものだ。
二足歩行のモンスターが低く吠える。地を這うモンスターが高く叫ぶ。
その声をきっかけに、四人はそれぞれ相手となるモンスターへと駆け出していった。




