第5話「魔女の本懐」(4)
魔女は世界の底へと、自由落下する。
それはかつて彼女が――コトノが校舎の屋上から頭から飛び降りた感覚が永遠に続いているようだった。
真紅の髪をなびかせながら、ヴィルフィは自らの体が終端速度に達しているのを感じる。それは彼女が前世で飛び降り自殺をしたからこそ分かる感覚だ。
月明かりが徐々に無くなっていくと、代わりに地の底から、緑色のほのかな光がヴィルフィを照らした。
そしてヴィルフィの視界に入ってきたのは、一冊の本。それは彼女がかつて師匠と読んだ魔導書の一冊だ。辺りを見渡すとそれは他にも、何冊も一緒に落ちていることがわかる。彼女が読んだ十万冊の魔導書が、世界の奥底に飲み込まれている事を知り、ヴィルフィは魔女の森が魔災によって崩壊を始めている事を実感した。
この世界の地の底はどこなのだろう、ヴィルフィは疑問に思う。いつ自らの頭から肉塊の花弁を散らしてもおかしくない状態だったが、終端速度に達しても一向にそれは訪れることが無かった。まるで永遠に続いているかのような世界が、ヴィルフィの頭脳に思考する時間を与えた。
ヴィルフィがリートに敗北し、そしてリートから得た”彼が自殺ではなく、女神の手違いによって死んでしまった”という事実。そこから導き出される最悪の可能性が、世界の底に落下していくヴィルフィに、一つの勇気を与えた。
「……聞こえるだろ、女神サマよ」
ヴィルフィは何もない空間、ただ自分が落ちていく景色が流れる視界に、そう問いかける。
すると彼女の目の前に光が集まっていき、その光が人間のシルエットを作り出す。そしてそのシルエットが徐々に光を自らの内に溜め込んでいき、一人の女性が現れた。
それはヴィルフィが一度出会ったことのある、長い銀髪を後頭部でまとめた女性……女神シゼリアードの姿だ。
「……残念ながら、あなたの負けですね」
女神は残念そうに困り眉をしながら、ヴィルフィへ話しかける。ヴィルフィと共に逆さまに落下しており、その銀髪が空気抵抗でなびいていた。
「……ですが安心してください。彼の大好きなこの世界は、あなたの消滅によって崩壊が止まり安全に――」
「――ウソつけ」
ヴィルフィは女神を突き刺すように睨む。
その瞳はまるで仇を見るようなもので、シゼリアードは彼女の穏やかでない様子に、その薄目を開いた。
「私がどんな嘘を付いているというのでしょうか」
「ずっと違和感だったんだよ、魔力の暴走によって引き起こされる魔災って名前がさ」
「どういうことですか?」
シゼリアードの宝石のような瞳がヴィルフィに向けられる。しかしその宝石は自ら光り輝くことはなく、輝きを少しずつ闇に染めていった。
ヴィルフィは目の前の女神を睨みながら、この世界に来てからずっと感じていたものを頭で整理する。
彼女は魔災の全てを分かっているわけではない。王国にある研究機関に比べれば、メカニズムについて門外漢にも程があるだろう。
しかしそんなヴィルフィでも、”多少なりとも”魔法に心得のある人間だ。師匠が使い魔を用いて外の情報を拾ってくる中で、魔災がなぜ起こるのかという事は分かっていた。
魔災は基本的に魔力の暴走で起こる現象だ。魔力とはこの世界のあらゆる場所に潜んでおり、その欠片を人間が宿して魔法を使うことが出来る。
その魔力が暴走するからこそ、モンスターの凶暴化から崩壊現象に至るまで、様々な厄災を引き起こしているのだ。
そしてヴィルフィには、女神から聞いていた”自らがこの世界に対して異質な存在で、世界は自分を消しに来るだろう”という言葉がある。自らの出生と魔災の発生時期が一致していることもあり、だからこそ魔災の原因が自分であると自然に納得できた。
だが、もしこのシゼリアードがヴィルフィの思っていた神様で無ければ――いいや、ヴィルフィが既に確信しているような奴であるとするならば。
魔力の暴走によって引き起こされる魔災は――
「――原因が本当にアタシだったのかってな」
ヴィルフィはその視線の鋭さだけは変わらず、口角を上げて得意げな表情を浮かべる。
目の前の女神は、何も言わず、何の素振りも見せず、ただヴィルフィの次の言葉を待っていた。動揺が見えない女神に対して少し苛立ちながら、ヴィルフィは推理を続けるために口を開く。
「アタシは平凡な生まれだし、この魔力だって大したことねぇ。世界を揺るがすほどのモンでもないさ。そんなアタシが存在しているから世界が崩壊? まあ元々無理やり入ってきた人間だしな、分からなくはねぇさ」
ヴィルフィは確かにこの世界へ、無理やりに入ってきた人物だ。女神の言う通り、世界への負荷というものはあるのかもしれない。
しかし彼女は決して、世界を揺るがすほどの魔力を持っている訳ではなかった。彼女の生まれはなんてことのない平凡な村であるし、両親が特別という話も聞いたことがない。賢者を追い詰めるまで至った魔法やその魔力だって、彼女が師匠と特訓して得られたものだ。
そもそも自分は世界に嫌われていると感じていたが、本当にそうだっただろうか。トリンフォア村での日常は苦痛以外の何物でも無かったが、その後は自らが尊敬する師匠ガラリエと出会うことが出来ている。自分がこの世界に嫌われており、排除されようとしているとは、確実に言うことがもう出来なくなっていた。
であれば、自分は魔災の原因ではないという仮定を置くと、様々な仮説が生まれる。
そしてその最も恐るべき一つが、ヴィルフィの脳を支配していた。
「……他の世界から入ってきて強大な魔力を持っているって言やぁ、アタシよりももっと”異分子”なヤツがいるんだよな」
「ほう、誰でしょう」
「とぼけんなアマ、てめぇがうっかり殺しちまった奴だよ」
女神は魔女の暴言を聞いても、顔色を一つも変えなかった。
自分と同じ出生の時期で、自分と同じ別世界から来た人物と言えばもう一人いる。
それは紛れもなく、ヴィルフィがずっと会いたくて仕方がなかった人物、賢者リート――すなわちネムだった。
彼は何の因果か、彼がよく読んでいた小説と同じく、魔法の無詠唱というチート能力を授かってこの世界にやってきている。戦ってみて分かったことだが、彼には無尽蔵の魔力があり、そしてその力でこの世界での生活を豊かにしていた。
では、その魔力とはどこから来ているのか? どうして無詠唱で魔法を放つことが出来るのか?
外の世界からやってきた自分でさえ、詠唱と魔力の枷は付けられているのに、どうして彼はその枷が外れているのか?
――そしてそんな存在を、世界はどう感じているのか?
決して根拠はない。文字通り、神のみぞ知るというものだ。しかしヴィルフィには、自らの仮説が正しいものだと、自信を持って主張することが出来た。
「……魔災の原因がネムってことなら、納得がいくんだよ。強大な魔力を持った世界にとっての異分子が、一六年前に生まれ、少しずつ世界は崩壊を始めている。時期もちょうど合ってるぜ」
「面白い推理ですね。確かにリートさんが魔災の原因なら、私が力を授けた事が原因です。彼に特別な力を授けたのは私ですから、私が悪いでしょう」
女神は怖いほど表情を崩さず、笑みを浮かべながら淡々と語る。
「でも貴方の意図が分かりません。私が二度もドジをしたので、説教をしようってことですか?」
「説教なんてガラじゃねぇよ。それよりもここから大事だ。根拠なんてモンはねぇんだけどよ、アンタに一番聞かせたいんだ」
「ほう、聞きましょう」
ヴィルフィは余裕そうな女神に、一つ舌打ちを入れる。しかし心臓は炎のように燃えたぎっており、既に矢が刺さって血が滲んだ腹部の痛みなど、忘れてしまっていた。
魔女は女神をより一層鋭く睨む。女神の変わらない表情が崩れることを、ヴィルフィは本心から願っていた。
「神様がドジをして転生、ってのはアタシの読んだ小説でもあった。でもな、アタシはそれが納得いかなかった。人生に絶望して、神様が偶然間違えて人を殺しちまって、生まれ変わらせてくれて、んでチートスキルを持って転生って都合が良すぎるだろってな」
「人間はそういうものが好きなんでしょうね」
「さて。一冊読んでアンチ気取りのアタシは考えた。事実は小説より奇なりなんてよく言うが、現実にそんな事が本当に起こるもんかってな。ましてや神様がそんなミスするかね。アタシたちの世界じゃよく言うんだ、神はサイコロを振らない、ってな」
この女神が天然でドジばかりで、本当にうっかりネムを死なせて、本当にうっかり大変な能力を持たせてしまったのなら、ヴィルフィの理屈は残念ながら崩れてしまうことになる。本当のバカに振り回されていたんだと、大きな後悔に苛まれることにはなるだろうが、それだけだ。
だが、本当にこの女神はそんな奴なんだろうか。少なくとも目の前の女神の瞳は、ヴィルフィには内側に闇を秘めているように見えて、目の前の彼女の事が映っていないようにも思えてしまう。
「そこでアタシのたどり着いた、根拠のねぇ結論はこうだ。――全ては意図されたものだったと」
だからこそ、女神が起こしたことが、偶然でないのだとしたら。
それはこの女神の手のひらで自分たちが踊らされていたという、残酷な事実が導かれてしまうのだ。
「お前はわざとネムを殺した。そしてネムに対して、この世界が崩壊する事を知りながら、女神の力を授けた。どうせアタシが来ることも織り込み済みだろ、悪役に仕立てるにはちょうど良かっただろうな」
「私にそれをして何の得が?」
「知らねぇよそんなもん。言ったろ、根拠のない推理だって。でもよ――」
女神の表情はまだ覆らない。
ヴィルフィは銃弾を一発込める。それは女神の貼り付けられた笑みを打ち砕くための、言葉の弾丸だった。
「――それよりどうだ、この推理。人間ごときに当てられた気分はどうだ、カミサマ?」
そしてその弾丸が魔女の笑みによって、放たれる。
それはちっぽけな人類風情が、神に銃口を向けて喧嘩を売ったということであり。
ヴィルフィはその笑みによって、あろうことかこの神を冒涜したのだ。
「――最高ですね」
そしてその銃弾が、女神の表情を打ち崩した。
女神はほほえみだけは崩さぬまま、ただ口角を上げるだけだ。しかしその表情は女神というよりも悪魔で、瞳は宝石と呼ぶのさえ躊躇われるほど、真っ黒に塗りつぶされていた。
「嘘か真か、それを根拠のない今伝えることが野暮だということは分かっています。ですが冥土の土産にこれだけは教えてあげましょう。――あなたの推理は全くもって正しい。これから死ぬのが惜しいくらいに」
女神の声色が、先程の柔らかく淡々としたものから、内なる興奮という感情が乗ったものに変わっていた。
女神は既にヴィルフィが死ぬものだと確信している。ヴィルフィも魔災の崩壊現象に巻き込まれた人間の生死が尽く不明である――要は死んでしまったと結論づけられるのはよく知っていた。
「――死なねぇよ。この世界でやらなきゃいけねぇことが出来たんだ」
だが、それでもヴィルフィの魂は俄然、炎を絶やさない。それは敬愛する師匠から教えてもらった魔法だ。
魔女として彼女は、まだ生きることを諦めていなかった。
「ほう、なんでしょう?」
ヴィルフィは笑みを一瞬で消して、腕を前に出し、自らの視界で女神の心臓を握りつぶす所作をする。
「――テメェを殺してやることだよ。アタシの大切な人の命を奪った、憎きカミサマをな」
ヴィルフィは燃えさかるような激動の表情で、女神を睨む。
ネムはきっと前世で、生きようとしていたのだ。コトノの言葉がどこまで刺さったのかは知らないが、理想的な小説を読んで、自分でも書いて、少しでも希望を忘れないように心を強くもって、過酷な現実を生き抜いていこうと思っていた。
それはコトノの思い込みなだけかもしれない。しかし少なくとも自分たちは、暴力という理不尽によって自らの可能性を捨てようとはしていなかったはずだ。
そしてそれを何の理由か知らないが、妨害したのはこの女だ。ヴィルフィは神様に、お前を殺すと宣戦布告した。
それはお前を殺すという、至極単純でチンケな売り文句だったが、神様に向けてならば最高にロックだと思っている。
彼女はこの世界で、未だ我儘を貫こうとしていた。この世界からネムと一緒に元の世界へ戻り、彼の小説を読む。そして一緒に生きていく。それをずっと願っていた。
なぜなら、彼女は”魔女”だから。魔法は”神をも殺す奇跡”だって叶えられるはずだから。
「やはり面白いですね、どうあがいても助からないというのに」
ヴィルフィをあざ笑う女神に対して、当のヴィルフィは再び口角を上げて返す。
「安心しろよ、これからもなってやる。アンタが創り出したこの世界の敵に。テメェの命を追いかける厄災の魔女にな!」
ヴィルフィの体が落ちていく。緑色の光に包まれて、奈落の底へと。
世界の中心に一滴の魔女が落ち、世界の心に炎が灯った。
第5話「魔女の本懐」 (終)




