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第5話「魔女の本懐」(3)


 魔女ヴィルフィは、腹を弓矢で打たれて、そのまま血を流しながら倒れていた。

 ヴィルフィの視界には夕焼けで少しだけ少しずつ茜色に染まった空が広がっている。そういえばこの世界の空をゆっくりと見たのは、いつぶりだろうか。


「魔女ヴィルフィ、あなたは……」


 その視界に入ってきたのは、心配そうな面持ちの賢者リートだった。

 先程までこちらを殺そうと全力で立ち向かってきてたくせに、今は自分の身を案じている……そんな状況にヴィルフィは面白くなって、くっくっくと笑い声を上げる。


「……お前”ら”の勝ちだよ。アタシを殺せ、そうすりゃ魔災は止まる」


 ヴィルフィは自らの感情を突き放すように、そう吐き捨てる。

 ヴィルフィは自分の敗因を、やっぱりこの世界に嫌われているということだと感じていた。

 リートには、彼を信頼する仲間がたくさんいる。彼がこの世界で育んできたものは、あまりにも強大なものだった。

 対してヴィルフィには、仲間と呼べるような人物がいない。唯一彼女の身を案じてくれた師匠は既に他界している。彼女は一人ぼっちでこの理想的な世界に立ち向かっていたのだ。

 そして抗った結果が、これだった。どれだけ努力をしようとも、世界は容赦なくヴィルフィを殺すように仕向けてきたのだ。


「僕は、迷っています。本当にあなたを殺すべきか」


 だがそんなヴィルフィに対して、リートは今にも泣きそうな表情を浮かべている。

 そんなに嫌なら無理に戦わなきゃ良いのに、とヴィルフィは思ったが、そういえばこの戦いは自分からふっかけたものだった。

 そのワガママの結末が、リートに殺されるというものであれば、それもまあ魔女らしくて一興かなとヴィルフィは感じている。


「情けをかけてるつもりか? お前の好きな世界を守るために、アタシを殺すんだよ」


「僕にはあなたが悪い人に思えません」


 リートは真っ直ぐにこちらを見つめながら、瞳を水面のように揺らしている。

 どこまでも優しい奴だ、ヴィルフィは呆れていた。流石アタシが惚れた男だ、とも。

 でもヴィルフィは、リートに自分を殺してほしかった。この世界で自分を殺すのは彼以外にいない。

 確かに他の仲間に殺させたり、王国で断罪されたり、そういった形で命を絶つこともできる。嫌がっている彼に自分を殺させるのは、それはそれで心が痛んだ。

 でも、そうだとしても、リート以外に殺されることを、ヴィルフィは認めることができない。それは彼女の最後の、魔女らしいワガママの一つだ。


「……いいや、悪い奴だよ。なんたってアタシは、お前の大好きな世界を壊そうとしてるんだから。それよりも――」


 ヴィルフィはゆっくりと手を伸ばす。その手のひらには何も触れていない。ただ自分の視界には、彼の顔を自分の手のひらが包むように映っていた。

 そしてヴィルフィは、にやりと笑う。彼女にはもう一つ、叶えたいワガママがあった。


「――最後にお前の小説を読みたかったよ、ネム」


「えっ……?」


 リートはヴィルフィの言葉に動揺しながら、その場に崩折れた。ヴィルフィの手のひらが、リートの頬に届き、血まみれの手が彼の柔らかな頬を包む。

 ヴィルフィが叶えたい、もう一つの最後のワガママは、コトノとして賢者リート――ネムと話したいということだった。

 ヴィルフィだって、できれば彼の小説を読むために、一緒に元の世界へ戻りたい。その夢を叶えるために、この世界にやってきて一六歳まで魔法の訓練をしていたのだ。

 でも自分は戦って負けた。だったら既に理想を叶える手段はない。でも、それでも最後に、コトノとしてネムと話したかった。突然やってきたネムの最期を取り戻すように。

 リートは何か思い出したかのように目を見開いた。その瞬間、彼の頬に一筋の涙が伝う。


「コトノ……?」


「へへ、ようやく気付いたかよ」


 賢者リート、彼が魔女ヴィルフィに向けてその名前を呼んだことで、ここにいる人物がコトノとネムだと確定した。

 ネムの口から自分の名前が出てきて、コトノの心は幸せでいっぱいになる。自らは死に向かっているはずなのに、心臓の鼓動が大きくなり、頭がきゅうっと絞められるような心地よさを覚えた。

 コトノは一つ、いたずらをしているような笑みを入れながら、ネムの表情を伺う。彼の頭はコトノの現実を理解しきれていないようだった。


「……どうしてコトノがこの世界に」


「……着いてきちまった。お前と一緒だよ、アタシも死んだんだ」


「そんな!」


「死ねば、お前と一緒の世界にいけるかもしれないって思ってな。アタシもバカだけど、来ちまったものはしょうがねぇ……それよりも悪いな、お前の大好きな世界を滅ぼそうなんてしちまって」


「……でも、どうしてコトノは、この世界を滅ぼそうとしたの?」


「本当は滅ぼすつもりなんて無かったんだ。お前さえ元の世界へ連れ帰ることができたらな。……でも、アタシはこの世界に来るために、その運命を背負うことになった。お前も女神に会っただろ、あの女に言われたんだ」


 ネムはこの世界に来る前の事を思い出す。

 自分が世界に転生することになる直前、自分は確かに女神と会っていた。そしてそこで、こちらが申し訳なくなるほど謝罪されたことも覚えている。


「でも、どうしてそんな運命を背負うことに……」


「アタシはアンタを追って無理やりこの世界に来ちまった。だからこの世界にとっては異分子なんだよ。いるだけで迷惑かけちまうんだ」


「そんなことが……」


 信じられないという表情で困惑するネム。

 コトノはこれ以上の説明のしようがなく、それでも視線だけはネムを離すまいと、向き続ける。

 そして自らの転生の話をしたコトノは、一つ、彼に伝えなければいけない事を思い出した。


「……一つ謝らないといけない事がある。アタシはアンタとの約束を破っちまった」


「約束ですか……?」


 見当がつかない、というような表情でネムはじっとコトノの紫色の瞳を見つめる。少しずつその瞳が濁っていることが、ネムにも、コトノにもわかった。


「お前をいじめてた不良、アタシ殴っちまった。テメェらのせいでネムが自殺しちまったんだって」


 それは、コトノがこの世界に来てネムに会いづらかった理由の一つだった。

 ネムは、小説をバカにされた彼を見て怒るコトノを、「僕の作品を争いの火種にしないで」という理由で彼女の行動を止めている。コトノが彼への恋心を芽生えたのはこの瞬間で、彼の裏切ってはいけない大事な信念だと思っていた。

 しかしコトノは、作品をバカにして、挙げ句の果てにネムを自殺にまで追いやった彼らの事を許せず、彼らが怯えるまで殴り倒してしまったのだ。直接的に作品をバカにした瞬間ではなかったが、彼らのこれまでの行動がネムの自殺に結びついたのならば、ネムの作品を争いの火種にしてしまったことに変わりはない。

 コトノはこの世界に来る直前も、来てからも、その事をずっと後悔していた。だから彼の大事な信念を傷つけてしまった事に対して、謝りたいと思っていたのだ。

 別にどんな言葉をかけられても良い。優しいネムであれば許してくれると思うが、彼の大事な信念を穢したのだ、少しくらい罵倒された方がかえって気持ちがすっきりするような気がした。

 ネムは驚いたように目を見開いて、そして困惑したように眉をひそめる。どんな言葉でも、彼からの言葉であれば自分は受け入れるだろう。コトノは彼の言葉を待った。


「……自殺?」


 ――しかしコトノが予想だにしていなかった疑問符が、ネムから聞こえた。


「……あ?」


「あの、僕は自殺なんてしていないです……」


「……なんだって?」


 コトノの息が止まった。

 夕焼けが少しずつ黒を帯び始めて、ネムの表情が段々と見えづらくなる。黒い鳥たちが一斉に飛び立って木々を揺らした。

 コトノの頭に困惑と疑念が泡のように湧いて出て、ぶくぶくと膨れ上がり、思考の景色を覆い尽くして見えなくしている。

 どういうことだ?

 ネムは自分で死を選んだのではなく、誰かに死を突きつけられた?

 誰だ?

 誰がネムを殺した?


「この世界に来たのは、女神様の手違いで僕が死んでしまって、そのお詫びだって……」


 女神の手違い?

 女神が、ネムを殺したのか?

 神様が間違えて、ネムをうっかり殺してしまった?

 うっかりだと?


「……本当に、自殺じゃないのか?」


「……はい。僕は自殺をするつもりは無かったです」


 確かなのは、ネムが自殺ではなかったこと。そしてそれを自分が自殺だと勘違いしていたこと。

 自分の早とちりでこの世界に来たのならわかる。それは自分の責任だし、結局こうやって最終的には死んでしまうのだから、世界にもこれ以上迷惑はかけない。

 女神が何かしらの手違いで偶然死んでしまったのがネムだった、もしそれが真実であるなら、まだ頷ける。

 だがコトノはそれよりも恐ろしい仮説を立てていた。それは――


「ネム、お前が女神と話したとき――」


 ――地鳴りのような、低く、傷跡に響く音。


「魔災だよ、気をつけて!」


 リートの仲間の一人、トレイスが叫んだ。

 狙ったような突然の轟音。その”意図的に思える”厄災の到来に、コトノの仮説はますます彼女の中で確信を得ていく。

 それはまるで、この世界の”作者”とやらが、ネムとコトノの会話を邪魔するかのようだった。

 コトノは自らが倒れている地面の悲鳴を感じる。魔力が暴走して、地面が砕け散り、コトノは一人、落下していた。

 目の前にはこちらに手を差し伸べている、自らも仲間によって引っ張られているネムの姿。

 残念ながら彼の手は、コトノにはもう遠かった。

 世界がネムとコトノを、彼らの意志を無視して、強引に突き放していた。


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