第4話「女神に背く冒涜者ども」(7)
ガラリエは日に日に、体調を悪くしていった。
ヴィルフィは一五歳になってしばらく経ったここ数日、ガラリエからの講義を受けることはなく、彼女の世話を行っている。
「……アタシの世話なんてしなくて良いのにさ」
寝室で横になっているガラリエは、近くに座って彼女の様子を見るヴィルフィにそう答える。
窓からは朝に鳴く鳥の姿が、時折目に入った。
「ベッドから起き上がることが出来ない師匠に言われても、説得力ねえよ。弟子の横暴が嫌なら、とっとと起き上がりゃ良いんだ」
「言うじゃないか」
「師匠の弟子だからな、くくくっ」
無声破裂音の笑い声を上げるヴィルフィ。師匠の愛想笑いが少し移ってしまっていた。
笑っているヴィルフィだが、ここ最近の師匠の体調を鑑みれば、自分は笑っていないんだろうなと分析する。
ガラリエは体の節々がどんどんと痛みだしているようで、実際に咳が以前よりも酷くなり、日中の半分以上を寝て過ごすようになった。特に病気というわけではなく、年齢が年齢だから仕方ないという部分もある。ヴィルフィの心は悲しみに暮れていても、納得感だけはずっと心の中に居座っていた。
「ヴィルフィ、本当に良いんだよ。アンタにはやることがあるんだろ? それはこんな所で、老人の世話をすることじゃない」
ガラリエの声は嗄れて、プツプツとエッジボイスが混ざっている。しかしその声色の中には、ヴィルフィの身内びいきを全開にして、優しさが含まれていると感じられるものがあった。
ヴィルフィはまたくっくっくと笑いながら、ガラリエが安心できるように笑みを絶やさないように意識する。
実際、ヴィルフィは気を遣っているわけでもなんでも無く、ガラリエの傍にいたいと思っていた。
彼女はヴィルフィがこの世界に来てから、初めて自分の味方だと思えた人物だ。母親は早々に家を出て、父親は自分に暴力を振るい、トリンフォア村では奇妙な奴だと迫害されていた。ようやく魔の森に来てから、自らの師となって愛情を注いでくれた人物なのだ。
そんな人物の最期を――そうはヴィルフィだって考えたくなかったが――最期を看取るまでは、納得できない自分がいた。
ましてガラリエは、自分など放って自らの目的を果たすようにと言っているのだ。なおさらヴィルフィの心は、ここに留まる事を選んだ。
それにヴィルフィには、目的を果たすための最後のピースが、まだ揃えられていなかった。
「前にも言ったろ、アタシはまだ勇気を出せていないんだ。アイツと会って、話して、――もしかしたら戦う、そんな勇気がさ」
「……だったらこの老いぼれに、詳しい話を聞かせておくれ」
ガラリエは目線だけ弟子の方を向いて、彼女の話に耳を傾ける。
ヴィルフィも、明日には話せないかもしれないという気持ちが相まって、彼女に全てを打ち明ける決心がついた。
「師匠。アタシはな、別の世界から来たんだよ」
ヴィルフィは少しだけ声を震わせながら、ガラリエに告げる。
ガラリエは決して彼女の言葉を笑わず、ただ目を開き、ヴィルフィの瞳を見つめていた。
「その世界じゃ、弱者は強者に従うしか無くってな。魔法なんてモンはねえから、腕っぷしが強いバカが勘違いして自分のことを強者だと思って、そいつらを眺めてるバカたちが自分の事を弱者だと思いこんで、行動を起こせないでいる」
ヴィルフィは前世での出来事を思い出す。
C組のいじめっ子たちは、コトノにとってはなんてことのない存在だった。しかしそれに怯えていたネムは、彼らの横暴を耐え忍ぶしか方法は無いと思っていたのだ。
「そんな世界の勘違い弱者の一人がアタシと、アイツだった。お互いに身を寄せ合って、傷の舐め合いをしてたのさ」
コトノはネムと違って、直接的な被害を受けていたわけではない。でもネムの事を救えなかったのは、自分がC組のいじめっ子たちを怖がっていたからだ。それはヴィルフィの言う、弱者にほかならなかった。
「ただそんな傷の舐め合いでも、深まる絆はあった。あっちはどうか知らねえけど、アタシはアイツの事が、……まあ、好きだったな」
コトノはネムに、恋心を抱いていた。そのきっかけとなった「僕の作品を争いの火種にしないで」という彼の言葉は、未だ鮮明に思い出すことが出来る。
彼の考え方や想いというのは、思春期のコトノに奥深く刺さって、心臓を繋ぎ止められたのだ。
「……でも、傷の舐め合いってのはいつか限界が来る。アイツは自殺しちまった。それを聞いて衝動的になってたんだろうな、ついでアタシも一緒に飛び降りて、一緒の墓に入りたいと思った」
しかしコトノはネムの事を救えなかった。彼との約束を破って不良を殴り、あまつさえ自分も自殺への道を歩んでしまったのだ。
「ただ、アイツは生まれ変わっていた。アイツが読んでた小説に、ちょうどこの世界みたいな、魔法があるような世界へ生まれ変わるって本があってな。それでアタシは、女神のもとまで行って、アイツがいることを確認して、同じこの世界に生まれ変わったってわけさ。師匠には信じられないだろ」
「……そうだねえ、アタシには信じられない」
ヴィルフィの自嘲するような言葉に、少し口角を上げながら率直な感想を述べるガラリエ。
「……んで、こっからが本題。アイツと前世で約束しててな、アイツが書いてる小説を絶対に読むって。アタシはそれを、もとの理不尽な世界で読みてえって思ったんだ」
「この世界じゃ、駄目だったのかい?」
「そうだな。この世界はアイツに理想的すぎる。違うんだよ、アイツの小説は『都合の良い理想を描くことに意味があるクソったれな世界』で読みてえんだよな」
「なんだいそれは、アンタだってこの世界で苦労してきたくせに」
「そりゃそうなんだけどさ。でもな、師匠――」
魔女の寝室から差し込む朝日が、ヴィルフィの柔らかな笑顔を照らした。
「――アイツを綺麗だと思った、愛しく思ったのはな、やっぱあのクソったれな世界なんだよ。アタシはあの世界に戻りてえんだ、アイツと」
彼女を突き動かしているのは、結局あの転生した日と変わらない、恋する乙女の衝動だった。
ガラリエはそのまっすぐな笑みに、やっぱり自分が弟子を取ったのは間違いなかったと、そう確信する。
「……そこまで分かってるのなら、どうしてこんな老いぼれに構う勇気しか無いんだい?」
「いや、女神に聞いたんだけど、アタシって無理やりこの世界に入ったから、世界にとっては敵なんだよな。どうやらアタシがいるだけで、この世界は危機に晒されるらしい。ほら、魔災ってあるだろ? あの原因、多分アタシなんだ」
「……本当なのかい?」
「女神が言ってることが嘘じゃなきゃな。それに初めて起こったとされるのが一五年前だっけか、アタシが産まれた年から始まってる。確証はないけど、そう考えるのが自然だろ。どちらにせよ、アタシはこの世界を壊しかねない。だったらアイツとはおそらく敵対するんだ。こういう世界に憧れていたアイツとは、な」
ヴィルフィは、少しだけ瞳を揺らしていた。
自分の発している事が本当になれば、あれだけ愛しいと思ったネム――賢者リートと敵対することになる。まして自分が生きていれば、ネムにとって理想的なこの世界を壊すことになるのだ。
「だから、実際に会うのが怖い、ということかね」
「その通りだよ。この森に入ることは出来たのに、人と会って話すなんて簡単な事もできないんだ。笑ってもいいぜ師匠」
ヴィルフィは自嘲気味にそう語る。
本当は自分だってこんなことはしたくない。自分の、ネムとともに元の世界へ帰りたいという願いを諦めてしまって、もう一度死んでしまえば、彼にとっては最も良い結末になるだろう。そして彼の幸せは、自分の幸せでもある。
でも、それでも、心のどこかで、魔法のようにめらめらと燃えている自分の想いが、彼女の葛藤を生み出していた。
ガラリエはヴィルフィの揺れる気持ちを察して、次に伝えるべき言葉を探す。弟子の決断を助けられなくて、何が師匠だ。
「……ヴィルフィ、アタシがどうしてアンタを弟子にしたと思う?」
ガラリエからの唐突な質問に、構えていなかったヴィルフィは返答に困ってしまう。
そんな様子を知ってか知らずか、ガラリエは彼女を見つめながら、言葉を紡いでいく。
「魔法ってのはね、人に勇気を与えるもんだ。でも勇気を与えて意味があるのは、強い想いを持っている奴だけさ。アタシは強い想いを持ってる奴を弟子にしたかった。アンタの場合、それは”恋心”だったんだよ」
「恋心、か……」
ヴィルフィはガラリエとの初対面を思い出す。そういえば彼女には、会いたい男がいると言っていた。恋、とまでは説明していなかったはずだが、あの時点で見透かされていたのだろうか。
「アタシはお節介も含めて、アンタを弟子にしたんだ。アンタは強くなることで勇気をつけようとしていた、その恋心を成就させるためにねえ。その時はまだなんとなくの”感じ”だったけど、やっぱりアタシの目は節穴じゃなかったと、アンタの話を聞いて思えたさ。――そうだ」
ガラリエは何かを思い立ったように、それまで横にしていた体を、ゆっくりと起こす。
ヴィルフィが気遣うのを制止し、ベッドの上で上半身だけ起こして、目の前の弟子の方を振り向いた。
「――魔法をかけてあげよう。しかも、賢者サマのような無詠唱で、だ」
ガラリエはいたずらっぽく口角を上げて笑みを浮かべる。ヴィルフィはぽかんとした表情で彼女の行動を見守っていた。
ガラリエは自身のベッドの近くにかけてあった三角帽子を手に取る。それは彼女がずっと付けてきた帽子だった。
「……ほら、これをヴィルフィにやろう」
手に持った三角帽子を、そのままヴィルフィの頭の上に乗せて、ぽんぽんと上から叩いてかぶせた。
「師匠……」
ヴィルフィが帽子の縁先からガラリエの表情を見る。朝日を逆光にしていても、これまでに見たことのない柔らかな笑みだということが、年老いて大量に刻まれたシワの向きでよく分かった。
「……ヴィルフィ、魔女ってのはね、時に我儘でなくちゃならない」
「ワガママ……?」
「そう。自分の理想が普通じゃ叶わないから、魔法を使うんだ。お前が描いている理想はなんだ?」
ヴィルフィが描いている理想。
絶望の中で見えたこの世界に来た理由。生まれから師匠と出会うまで繰り返された理不尽に耐えられた理由。師匠の厳しい指導に真っ向から立ち向かえた理由。
自分がいればこの世界は崩壊するだろう、なんて世界の事情とか。
理想的な世界を脅かすのは自分だという、恋した相手の事情とか。
そういった余計なものを全て取っ払って、なお残るものは――
「――アイツと、もとの世界に戻りたい」
ヴィルフィの理想とは、たかだかそれだけだった。
元の世界へ一緒に帰って、また学校生活をやり直したい。あの辛く苦しい世界でも、もう一度、今度は理不尽に立ち向かう勇気を持って。
そして彼の小説を読みたい。描写が拙くても、欠伸が出るような展開でも、作品に矛盾が生じたていたとしても。
彼が書いた理想的な小説を、自分はずっと読んでいたいと思っているのだ。
ヴィルフィの胸のうちに、何か自己中心的な、誰のことも考えない、クソったれで最高にロックな感情が芽生えるのを感じた。
そしてその感情が表情に滲み出ているのを、ガラリエは見逃さなかった。
「だったら、その男が大好きなこの世界を滅ぼすくらい、我儘を言いなさい。――魔女ヴィルフィ」
ガラリエのいたずらっぽい、魔女のような笑みが、ヴィルフィの瞼の裏から離れなくなった。
* * *
ヴィルフィは一六歳になった。
蔦が絡みついた我が家の裏手にある練習場で、ヴィルフィはしゃがんで目の前の石碑をじっと見つめていた。
ふと、かつてガラリエの使い魔のような存在だった鳥型のモンスターが、石碑の上へと止まる。
彼は王国の情勢を伝えてくれる新聞を咥えていた。ヴィルフィはそれを受け取り、風で読みづらそうにしながら、その一ページに目を配る。
「『最強無欠の賢者、いよいよ厄災の魔女討伐へ』、ねえ……」
ヴィルフィが立ち入った時には”魔の森”と呼ばれていたこの森も、彼女が知らぬうちに”魔女の森”という呼び方に変わっていた。時間が流れるのも、人が変わっていくのも早いなあと、ヴィルフィはしみじみと感じる。
新聞曰くスコラロス王国では、各地で発生する魔災の原因を、魔女の森に住む厄災の魔女だと断定した。そしてその根拠はもちろん、女神の天啓だ。
新聞にはかつてヴィルフィの住んでいたトリンフォア村の崩壊について、避難住民の状況や保障などの続報があった。ヴィルフィにとってトリンフォア村は、決して思い入れがあるわけではないが、どれだけ腐っても故郷の村で、崩壊の原因はおそらく自分。初めて知った時は、かなりショックだった。
そして新聞は厄災の魔女についての続報を告げる。女神の天啓が最強無欠の賢者に伝えられ、仲間と共にここ魔女の森へ向かっているという。賢者を応援するような書き方の新聞に、ヴィルフィは、少しだけ身震いした。
世界が、明確に自分を排除しようとしている。そしてその刺客が他ならぬ、賢者リートなのだ。
「……まあ、最初から分かっていたことだよな」
自らの行動が遅れてしまい、明確に敵へとなってしまった事実には心を痛めていた。現実世界と同じで、もう取り返しがついていないことだ。
でもそれは、どんなルートを辿ってもいずれそうなるのだと、ヴィルフィは思っていた。だから、もっと前向きになる必要があると彼女は感じている。
ヴィルフィは三角帽子から流れる長い赤髪を、朝の気持ち良い風になびかせながら、石碑と、その石碑の上に立っているモンスターを名残惜しそうにじっと見つめた。
「……じゃあそろそろ、家に戻るよ師匠。不甲斐ない弟子だけど、勇気出して、徹底的にワガママに、頑張ってくるぜ」
ヴィルフィは目の前の石碑に白い歯を見せながら、足取り重く朝日の差し込む広場から立ち去った。
新聞を持ってきた鳥型のモンスターは、すぐにその場から飛び去らず、じっとヴィルフィの去った方角を見ている。
彼の足元の石碑に刻まれていたのは、災厄の魔女ヴィルフィの、最高の師匠の名前だった。
第4話「女神に背く冒涜者ども」 (終)




