第4話「女神に背く冒涜者ども」(5)
ガラリエと名乗る老婆に連れられて森の奥にたどり着いたヴィルフィは、そこでややこじんまりとした小屋を見つける。
「……ここがアンタの家なのか?」
ヴィルフィが住んでいたトリンフォアにある家よりも、より一層小さい木造家屋だった。
大木の近くに、まるで寄り添うように建てられている住居は、蔓が伸びて巻き付かれている。自然豊かな家だと言えば聞こえは良いが、雑草があちこちに生えているのも相まって、打ち捨てられた廃屋のように見えた。
ヴィルフィの訝しげな表情に、ガラリエは笑みを浮かべる。
「思ったよりも質素かい?」
「まあ、そうだな。老人の一人暮らしには向いてるかもしれねえけど、アタシが一緒に住んでも大丈夫なのか?」
「ひっひっひ、まあ入れば分かるさ」
にやけるガラリエに促されて、ヴィルフィは家屋の玄関扉を開ける。ギイイと音は立っているが、思ったよりも開けるのに力はいらなかった。
ヴィルフィは自分の目の前に広がった光景をじっくりと眺める。家屋の中はなかなか小綺麗で、埃を被っている様子も無ければ、整理整頓が行き届いているようにも見えた。
「足腰の悪そうな婆さんの家にしては、綺麗すぎるな。これも魔法なのか?」
目を丸くして驚くヴィルフィの様子に、ガラリエはその反応が予測できていたのか、淡々とした足取りで部屋の中へと入る。そのまま部屋の中央にあるテーブルに腰掛けて、ヴィルフィの方を向いた。
「そうさね、これも魔法さ。――客人をもてなせ、勤勉な精霊たち」
ガラリエは腕をゆっくりと上げ、人差し指を上向きに伸ばしながら、そう唱えた。指先は年齢なのか、細かく震えている。
食器棚からティーカップが二つ浮いて出てきて、空中でどこからか生成されたポットがティーカップに紅茶を注ぐ。そのままティーカップはテーブルへコトンと器用に落ちていった。
「一人暮らしだから、椅子はないからね」
「別に良いよ」
ヴィルフィはテーブルに置かれたティーカップを手に取り、唇につけて口にほんの少し紅茶を流し込む。湯気を見たりティーカップの表面を触れば簡単に分かることなのだが、丁度よい感じで温まっていた。
(婆さん、改めて考えるとバケモンだな)
紅茶を啜りながら、ヴィルフィはガラリエをじっと見つめる。
先程の詠唱は至ってシンプルなものだった。だが魔法とは、”詠唱”対”効果”の割合が高いものほど高い技術を持っていると言える。
先程この老人は、二〇音の詠唱だけで、ティーカップを二つ取り出し、どこにも作られていなかったはずの紅茶を注ぎ、丁寧にテーブルへ置いたのだ。ヴィルフィであれば紅茶を作るための火を起こすところで、彼女の詠唱よりも長くなってしまうだろう。
淡々とその魔法をこなしたガラリエに、改めてハイレベルな魔法を見せられた感動と、そして逆にこの人は何者なのかという疑念が混ざり、ヴィルフィの頭に渦巻いた。
「ヴィルフィの部屋は、そこの階段を下ったところにある」
ガラリエがぷるぷると指差した方には、奥まっていて分かりづらかったが、確かに地下へと続きそうな階段があった。
「この家、地下室があるのか」
「ああ、行ってみな」
ヴィルフィは飲みかけの紅茶を一度テーブルに置き、階段の方へと向かう。
階段は数段ほど降りたあと直角に曲がり、それがもう二回、螺旋階段のような構造をしていた。
それを降りた先、ちょうどガラリエとヴィルフィがお茶を飲んでいた部屋の下の位置に扉がある。ヴィルフィがその扉を押し開くと、彼女は感嘆の声を上げた。
「……これ、全部魔導書なのか?」
扉が開くと同時に点灯した橙の明かり――ちょうど先ほどガラリエが持っていたランタンと同じ色をしていた明かりが、部屋全体を照らしている。その部屋は先程の部屋よりも、というより家屋の外見よりも遥かに広かった。
そしてその壁を埋め尽くすように本棚が設置されて、大量のハードカバーの本が並べられている。あの魔女の物であれば、まず間違いなく魔導書だろう。その数は概算するのでさえ億劫になるほどだった。
「そうさね」
突然ヴィルフィの意識に入ってくる、ガラリエの枯れた声。ヴィルフィは後ろを振り向くと、ガラリエがゆっくりと階段を降りて、部屋に入ってきている姿を見つけた。
「アタシが生涯集めた魔導書を全てこの書庫に保管してある。おおよそ十万冊くらいかね。中には王国から禁書扱いされているものもあるよ」
「こんな空間、どうやって」
「これも魔法さ。アンタもこれから出来るようになる」
ガラリエはゆっくりと部屋の奥へと進んでいく。まるで一つの図書館のような光景に、ヴィルフィは息を呑んだ。
やがてガラリエは立ち止まると、ヴィルフィの方へと振り向く。その表情は先程までの魔法を自慢する様子と違い、真剣そのものだった。
「さて、ヴィルフィにはここで魔導書と共に暮らしてもらう。ここにある本を全て読んでもらうから、暇があれば読んでおくことだ」
「ちょっと待て、こんだけ全部読むのか!?」
ヴィルフィはまるで冗談のように聞こえるガラリエの言葉に、思わず声を大きくしてしまう。
先ほどガラリエは、ここにはおよそ十万冊の魔導書があると言っていた。この世界の一年の日数は現代と変わらないため、単純計算すれば一日一冊で約二七三年、頑張って三冊読んでも約九一年かかる。
「もちろんさ。一日五〇冊なら、ちゃんと数年で読み終わる」
ヴィルフィはげんなりした表情を浮かべる。
ハーデットが毎日買っていた魔導書を一日で読破していたヴィルフィだが、一日五〇冊などは当然無理だ。その十分の一すら不可能である。
それに魔法というのは魔導書を読めば終わりではない。その知識を活かし、実際に魔法として使えるようになるまで鍛錬をしなければいけないのだ。
事実、ヴィルフィは読むことが出来ても、結局使えない魔法も多くあった。
「婆さん、本気か?」
「まあこれだけ聞けば無理な話だね。でも聞け、ヴィルフィ。アンタは誰の下で修行をすることになったんだい?」
「……そりゃ、ガラリエ婆さんだけど」
「なら問題ないだろう」
絶対的な自信を持つ目の前の老人に、ヴィルフィはやはり納得できない様子だ。師がどれだけ優れていても、吸収量には限界がある。この魔女が本当に優秀なのは分かっているのだが、そもそも自分にそこまでの吸収力があるとは思えなかった。
「……納得出来てないね? じゃあ今日は導入の講義をしてやろう。本当は明日から行う予定だったが、サービスだ」
ガラリエはゆっくりと歩み始め、本棚から一冊の魔導書を取り出す。これまでも沢山の魔導書を読んできたヴィルフィは、その表紙に見覚えがあった。
「ヴィルフィ、魔法を使うとは、何を理解しておかなければいけない?」
「……詠唱に必要な言葉と、魔法の効果か?」
「違う。魔法を使う上で理解しておかなければいけないのは、その魔法の”核”となるものだ」
「……核?」
誰からも魔導書を読む講義を受けていなかったヴィルフィは、ガラリエの言葉が一般的なものか、それとも彼女特有の考え方によるものか、分からなかった。
「例えば炎。炎は、赤子に命の灯火が宿ること、それが”核”になる。ゆえに――」
ガラリエが本を置いて、シワだらけの右手を胸の高さまで上げ、手のひらを上に向けた。
「――啼泣せよ赤子共」
そしてその手のひらの上に、頭ほどの大きさの炎が舞い上がった。
炎に照らされたガラリエの表情は、淡々として無表情。自慢でもなんでもない、師がするべき表情だ。
ヴィルフィは彼女の実演講義に聞き惚れて、何も喋ることができなくなっていた。
「まあこんなもんさ。もちろん核を教えただけでは正しい詠唱などできはしないが、そのための魔導書だ。核を知れば、後はその核に沿って魔導書を一読すれば、その読書自体が創造力を養うことになる。アタシはその核をヴィルフィに伝える。それに魔法とは根幹の部分で共通しているものも多いから、慣れればぺらぺらとめくって読むだけで良くなる。そこまで時間はかからなくなるさ」
「……なるほどな」
ヴィルフィはガラリエの言葉に、一旦納得を示す。彼女の言っていることを全て理解できた訳では無いが、おおよそ言いたいことはわかった。
これまでヴィルフィは、魔導書を頭から読んで、自分の中でイメージを作り、魔導書以上の事はしてこなかった。詠唱に関しても、長くても魔導書にそう書いてあるから仕方ないと、詠唱を短縮するためにそこまでは考えていない。もちろん彼女には魔法を教えてくれる存在が一人もいなかったから、そういった発想に至るのはは仕方のないことだ。
しかし魔導書をハウツー本だと思っているうちは、その魔導書以上のことは出来ない……ヴィルフィはガラリエの講義を聞いて、そう感じた。
講義を咀嚼しようと考え込んでいるヴィルフィに、ガラリエは口角を上げて笑い始める。
「ひっひっひ、まあ今日はサービスだ。一度、全力でやってみようかね」
「ああ、分かった。お手柔らかに、なんて言わねえからな」
ヴィルフィは強気な表情でガラリエに向き直る。
その日、ヴィルフィは生まれて初めて、一日に一五冊の魔導書を読み終えることに成功した。




