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第1話「憧れの世界に」(1)


「――大変申し訳ありません、わたくしの手違いであなたを死なせてしまいました」


 生きていて絶対に聞くことのない言葉を、生きていて絶対に会えない女性から言われた。

 自分たちが雲の上に立っている事実があったにも関わらず、音陸ネムは、自分はどうやら死んでしまったらしいと、そこで初めて実感した。


「顔を上げてください、謝られても僕が困ってしまうだけなので……」


 目の前で頭を少し下げる女性のことを、ネムは心から綺麗だなと感じた。

 透き通った銀色の髪を後ろで束ね、白く衣装に身を包んでいる。薄い布を紐で整えたような衣装は、ネムのファンタジー知識で表現すれば古代ギリシャのキトーンにアレンジが施されたもので、女性の艷やかな肢体を隠しきれていなかった。

 顔立ちにしても現実離れしたほどに綺麗で、教科書で見たミロのヴィーナスを描いた絵画にも負けず劣らず、少しうつむいた時の鼻筋が美術品のように整っている。彼女と出会った経験があれば、可憐なアイドルを間近で見ても感動は薄れてしまうだろう。

 ありきたりな言葉で形容すれば、目の前の彼女は”女神”だ。


「本当にすみません。女神としての仕事が失敗してしまって、あなたを巻き込んでしまって……」


 そして彼女は実際に、”女神”らしかった。


「……まあ、生きていた時は本当に大変だったので。そこまで気を落とさないでください、大丈夫ですよ」


 ネムがそう慰めると、女神と名乗る女性はようやく頭を上げて、こちらと目を合わせてくれた。

 大人びた顔立ちではあるのだが、どこか子供のような可憐さを醸しているのは、エメラルド色の瞳が綺麗だからなのか、それとも口調や仕草が子供らしいのか。唇はふっくらして瑞々しく、睫毛も整っていた。個々の要素で見ればアンバランスなのに、全体を見ると何か整っているように感じる彼女の風貌は、確かに彼女は女神だとネムに感じさせる。

 いずれにしても、怒ることが出来ない申し訳無さが彼女からは滲み出ていた。なんで自分の事を殺したんだと、クレーマーらしく怒るに怒れない。お使いに行ってビニール袋を開けてみたら卵が割れていたのを見た子供のようだ、とネムは思った。


「……それで、僕はどうしたら良いんでしょう。死んだんですよね。天国か地獄かで暮らす感じですか?」


「いいえ。生まれ変わって別の人生を歩んでもらいます。別の世界で」


「別の世界……?」


 西洋丸出しの女神から輪廻転生じみた答えが出てきたのも気にはなったが、むしろネムは”別の世界”という点が引っかかった。これではまるで、自分がよく読んでいるファンタジー小説のようだと思ったからだ。

 そのファンタジー小説では、主人公が何かしらの事故で命を失い、異世界に転生することになる。多くは実世界で嫌な人生を送っており、異世界に来てから第二の人生を謳歌するというものだ。

 そしてそれは、今のネムの状況にもほぼ合致していた。その手の小説になぜか多いトラックとの接触事故ではなかったが、自分は命を落として、目の前の女神から第二の人生を授かろうとしている。そして現実世界に嫌な事が無かったかと言われれば嘘になる。まさにネムの好きな小説のプロローグと同じだった。


(異世界転生って、本当にあったんだなぁ)


 ネムはここまで典型的な流れが自分の身に起きている事に感動を覚えつつ、目の前の女神をもう一度見つめる。綺麗に切りそろえられた銀色の横髪が、女神が首をかしげてさらさらと彼女の頬を撫でていた。


「僕が向かう別の世界って、どんな世界なんですか?」


「世界の名前はライアッド。あなたがいた世界よりも文明レベルはかなり低いですが、代わりにいわゆる魔法やモンスターといった概念があります」


 つまり中世ファンタジーということだろうか、ネムは自分の知っている言葉で置き換える。

 ゲームでよくある設定だと、ネムは感じた。モンスターがいて、魔法があって、村や町、国があって。ダンジョンを旅する冒険者のような存在もいるのだろうか。ゲームの中に入ると考えれば、ワクワクしないわけではなかった。

 女神はこちらに手のひらを差し出して、言葉を続ける。


「あなたはリートという名前で生まれ変わります。女神である私の加護により、あなたは類稀な魔法の才能を開花させるでしょう。わたくしの言うべきことでは無いかもしれませんが、その力を用いて次の世界での暮らしをより良いものにしていただけたらと思います」


「チート能力も貰えるんですか?」


 ザ・テンプレが詰まった福袋に、ネムは反射的にそう呟いてしまった。


「ちーと? というのはよく分かりませんが……私の加護は、このような事態になってしまったことへのささやかなお詫びです。もちろん、そんな事で私のしたことが許されるとは思わないのですが……」


 目をうるうるさせながら、泣きそうになっている女神。うつむいた女神の衣装の隙間から見える肌が、ネムの顔を赤らめさせた。ネムはそんなことないですよと手のひらをぶんぶんと振る。


「なんだかよくしていただいて、ありがとうございます。僕、女神様のくれたチャンスを使って、もう一度頑張ってみます!」


「……ではネムさん、新たな生命の旅路へ」


 女神がネムの方に近づいて、彼の心臓にゆっくりと手のひらをを添える。胸が温かくなり、女神にも体温があるんだなと感動する一方で、自分が緊張して心拍が早くなっているのではないかと感じて、恥ずかしくなった。

 しかしネムの心臓が突然、自分にも分かるほどにドクンと跳ねたことで、先程まで感じていた気恥ずかしさも霧散した。ああ、自分はこの律動を失っていたのだと、理解したからだ。

 そして自分はまた、命を始めるのだと。


「――良い人生たびを」


 いつの間にかネムの体は、後ろに倒れていた。手を振っている女神の姿が視界からどんどん離れていく事で、ネムは自分が雲を突き破って、落ちているのを実感した。


(異世界転生、か)


 ネムは小説の中で夢見ていた世界への期待に胸を膨らませ、意識を閉ざしていった。


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