第4話「女神に背く冒涜者ども」(4)
「――魔女、なのか?」
ヴィルフィは目の前の腰の曲がった、とんがり帽子の老婆を見て、そう呟いた。
ファンタジー小説に明るくないヴィルフィでも、彼女の外見が典型的な魔女らしいことをはわかる。黒いケープに覆い隠されそうな、背骨の曲がった体に、周囲をほのかに照らす橙色のランタン。そのランタンに照らされた細く長い鼻先からようやく見えた眼は、目が開いているかまったく分からないほど薄い。
(この森にこの魔女ありだな……)
ヴィルフィは冷静にそう判断を下し、目の前の女性に警戒心を抱く。
モンスターから自分を助けてくれたのはこの女性だが、これが敵で無いとは限らない。下手すればここで殺されるか、魔法の人体実験に使われるかもしれなかった。
ヴィルフィの絶え間ない鋭い視線に、老婆は口角を少し上げて笑う。
「お嬢ちゃん、どうしてこの森に来たんだい?」
老婆の嗄れた声が、ゆっくりとヴィルフィの耳に届く。
この透き通った森だから鮮明に聞こえるが、そうでなければ霧散してしまいそうなほどに不安定な声だった。
「……別に。ただこの世界が嫌になって来ただけだよ」
「家出か?」
「まあ、そんなとこだ」
老婆は口角を上げて、カッカッカと笑い声を上げた。一声一声をゆっくりと発音するため、劇のようにわざとらしく聞こえる。
「ばあさんはどうしてこんな所に」
「そうさね、まあお嬢ちゃんと同じようなもんさ」
また老婆はわざとらしく笑う。彼女の枯れた声が、静寂の森に響き渡る。ランタンが揺れて、木々が作り出す影がゆらゆらと揺れていた。
よく笑う婆さんだな、とヴィルフィは内心思っていた。最初は本当に冷酷無慈悲な老婆を想像していたが、意外とノリが軽い。ヴィルフィはどこか親しみのようなものを感じていた。
「アタシと同じってことは、婆さんも家出か?」
「お嬢ちゃんと違って数十年の、だけどね」
「マジか……」
「大マジさ」
老婆はこちらの語彙に合わせて、稚拙な表現を使いながら、またカッカッカと笑った。
なんだかこの老婆が悪い人ではない気がしてきた、そうヴィルフィは感じる。年季は違うが、それでも何かしら不満があって家出して、この森で数十年を暮らしているのだ。
確かにこの森に住むのは気持ち悪がられるだろうし、本人から不気味さを感じるのも否めない。しかし彼女はヴィルフィの事をモンスターから助けて、こうやって親しげに話してくれているのだ。人は見かけによらないなと、ヴィルフィは再認識した。
「……それで、お嬢ちゃんはこれからどうする気だい?」
「そうだなぁ……あんま決めてねぇな」
ヴィルフィは腕を組んで、一度老婆から目線を逸らして思考する。実際のところ、これからの行動に迷っていたのだ。
人里離れ、この森に隠れ住んで魔法を研究することばかり考えていた。ある種の逃避行動だったが、ネムとの約束を果たすために自分はあまりにも無知だ。実際に会って話をするためには、自分がこの世界に来て正しかったと、確固たる自信が欲しかった。
でも実際に来てみて、モンスターと戦ってみればこの有り様だ。確かに一体は倒せたが、それでも今この老婆に助けられていなければ、自分はこの森で命を落としていただろう。今自分がここに住むことは、自分とは不釣り合いな気がしてきた。
それに目の前には、先に住んでいた人物がいる。なんだかその島を荒らすようで、申し訳ない気持ちもあった。
ヴィルフィは改めて老婆に向き直り、一度ため息を吐いて口を開く。
「ま、ここ以外の場所に行くかな。村に帰ったって、どうせ嫌がらせを受けるばかりだ」
ヴィルフィの声に対して、老婆はまっすぐ見つめて、何も語らない。場に包まれていた少々和やかな雰囲気が、少し張り詰めた気がした。
何かを考えているのだろうか。自分から更に話した方が良いのか、それとも立ち去った方が良いのか。その場の緊張感がヴィルフィに行動を鈍らせていた。
「……どうしてお嬢ちゃんは、その故郷の村を出ていくことになったんだい?」
ようやく開いた老婆の口から発された言葉は、先程の調子良くしていた時よりも、少し低く、聞く者を脅かすようなものだった。
ただその表情が真剣そのものである事にヴィルフィは気付く。彼女のこの質問には誠実に答えなければいけないと感じていた。
「――世界から、嫌われてんだよ、アタシは」
反抗期の痛いヤツみたいだな、ヴィルフィは内心呆れながらその言葉を発した。
老婆は彼女の言葉に対して、笑わない。ただ実直な様子で、ヴィルフィの言葉に耳を傾けていた。
「婆さんは信じてるかどうか知らねぇけど、この世界には女神がいてさ。アタシはその反対を押し切ってこの世界に産まれた。まあそういう事もあって、母親が家出していなかったり、父親が殴ってきたり、魔法の勉強してたら村の奴らから石投げられて窓を割られたりしたんだよ」
自分でも何を言っているんだろう、ヴィルフィはそう感じた。
でもヴィルフィは、この老婆の質問には誠実に答えたいと思っていたし、女神信仰に厚い王国から隔離されたようなこの森であれば、女神の悪口を言っても良いと感じている。
「……女神の言うことを聞かずに、この世界に産まれた理由はなんだい?」
そして何より、ヴィルフィの直感が、この老婆なら誠実に自分の話を聞いてくれそうな気がしたからだ。
「この世界で会いたい奴がいるんだよ。誰か分かってるくせにまだ会えてねえけど、いつか絶対に会う。理由は、まあそんだけだ」
「尋ね人さね。男かい?」
「ん? ああ、アタシと同い年の男だけど、それがどうかしたか?」
「そうか、そうか」
魔女はいきなり口角を上げて、またゆっくりとカッカッカと笑う。そしてその笑いが止まらず、ヒッヒッヒと引き笑いを響かせる。
ヴィルフィは少しだけ、むっとした。
老婆はひとしきり笑い終えたあと、その口角を下げずに、不気味な笑みをヴィルフィへ向けていた。
「一人の男のために、女神まで裏切ってこの世界に産まれて、過酷な運命の中で生きようとしてるのかい」
「……んだよ、悪いか?」
「いや、――気に入ったんだ。ちょうど弟子が欲しかったところさね」
「……弟子?」
魔女はゆっくりと杖を使って振り返り、ヴィルフィに背中を見せて歩き始めた。
「着いてきな、どうせ行くアテもないんだろ?」
「ちょっと待てよ! アタシは婆さんの世話になるなんか一言も――」
老婆は立ち止まって振り返り、ヴィルフィの言葉を制した。
「――さっきの質問に答えていなかったね。アタシは確かに”魔女”だ。女神に反逆して惚れた男に会えるよう、お嬢ちゃんに魔法を徹底的に教えてやるよ」
老婆はにやりと笑っていて、久しぶりに面白いものを見たように楽しそうだった。
ヴィルフィは考える。正直悪い提案じゃなかった。彼女の魔法の力が本物であることは、ヴィルフィが苦戦したモンスターを一撃で仕留めたところからも分かる。
それに、確かに行くアテが無いことは図星だった。これ以上無い提案だと思い、ヴィルフィは心臓をバクバクさせながら、老婆に対してにやりと笑う。
「お嬢ちゃんじゃなくて、ヴィルフィだ。覚えとけ婆さん」
「婆さんじゃなくて、ガラリエさ。覚えておきな、お嬢ちゃん」
ヴィルフィはこの日、この世界の人生で最も尊敬する、師匠を見つけたのだった。




