第4話「女神に背く冒涜者ども」(2)
初めて魔導書を手に取った四歳の頃から、ヴィルフィはおよそ2千冊の魔導書を読んだ。
十歳となったヴィルフィは、まだ幼く魔力は人並みであるとはいえ、魔法に関する知識面では、それなりの力を付けていた。少なくとも魔法学校に通っている王国の子どもたちよりは魔導書を読んでおり、魔法を使いこなすことが出来る。
しかしその毎日一冊の専門書を読み、時には魔法の練習をするという行為は、少なくともトリンフォア村の住民には理解されなかった。ヴィルフィは元々忌避されていた事に加え、夜な夜な魔法の練習を行う頭のおかしい奴だと感じられている。
そして嫌がらせのように、家の窓を割られたり、家に「この村から出ていけ魔女」と貼紙をされたりするなど、村での居心地がどんどんと悪いものになっていった。
(……潮時か)
まだ朝日が大地を直接照らさない暁の頃、人気のない村の入口へヴィルフィは振り返る。
空間を司る高次の魔法はまだ使えないため、仕方なく肩には大荷物を背負っている。その鞄の中には数週間分の食料と十分な金、父親から初めて貰った炎の魔導書、そして毎日つけていた日記が入っていた。
「……思い出も何もねぇけど、ずっと暮らしてきた村を出る時は、ちょっと悲しくなるモンなんだな」
ヴィルフィはこの日、村を去ろうとしていた。
彼女がこの村へハーデットと共に暮らしていたのは、これまで彼女自身が自立できるような立場では無かったからだ。外に出ればモンスターが出て命の危険があり、そうでなくても金も食料もなく飢え死にしてしまう。少なくとも十歳の少女に家出は難しいことだった。
しかしヴィルフィは今、人並み以上に魔法を使うことが出来る。金も周辺の街道に現れるモンスターを退治して、価値のあるものを剥ぎ取れば、それなりの金で売ることが出来る。
もちろん最初は十歳の少女に物の売買をさせる店などありはしなかった。お使いなら微笑ましいが、少なくともモンスターの毛皮を売って金にしようとする十歳の女の子を、王国民は今でも訝しげに思っている。
しかし彼女は様々な店を巡り、なんとか売買のルートを見つける事ができた。それも決して怪しい場所ではなく、正当な店である。なぜこの十歳の少女を相手として認めたかというと、王国内で一人の少年の存在が噂になっていたからだ。
その頃王国では、ヴィルフィと同年代の少年が天才的な魔法の才覚を表し、評判になっていた。彼は人類がまだ成し遂げていない、無詠唱での魔法の発動を行うことが出来る。
ヴィルフィも魔導書は沢山読んできたが、魔法の発動には詠唱が絶対に必要だ。どれだけ魔法について理解し特訓を積んだとしても、魔法の発動条件である詠唱なしでは魔法を使うことができない。
そしてその少年は、近隣の森で凶暴化したモンスターと戦い、見事に勝利したという。以後、子供でも侮れないという思想が少しずつ広まっていき、ヴィルフィはなんとかその隙をついて金を集める事ができた。
(……そしてそのチートみてえな男は、”賢者”なんて呼ばれてるワケだ)
ヴィルフィはその賢者と呼ばれる少年に、興味があった。というよりも、ほとんど確信に近い何かを感じていた。
彼女の前世での記憶では、ネムのことを自分は賢者と呼んだことがある。やがてネムは亡くなり、この異世界ライアッドに転生することになった。
そしてヴィルフィがネムから借りた小説には、異世界転生と言えばお決まりらしい”チート能力”という存在がある。主人公が何かしらのきっかけでチート能力を手に入れ、世界の中で無双するのだ。
ヴィルフィは都合の良い展開だと思っていたが、ネムにとってはそうでなかった。彼はその理想的な能力や展開を良しと考えている。
……これらの情報をかけて考えられることは、一つ。
「賢者リート、お前がネムなんだよな……」
誰もいない寂しげな空に、ヴィルフィは複雑な想いを発散するように呟いた。
ヴィルフィは少し前から、その可能性に気付いている。少なくともこの家出の準備を始めた頃には、感じていたことだ。
だがヴィルフィは、すぐにネム――賢者リートへ会いに行こうとは思っていなかった。もちろんこちらが「自分はコトノである」と名乗れば、記憶でも失っていない限りまず間違いなく分かってくれるだろう。
しかしヴィルフィは今なお臆病になっていた。一度自殺した彼の目の前に、本当に自分が現れて良いんだろうか。こちらの世界で充実しているリートを、自分がもとの世界へ連れ戻そうとしていたら、彼はどう思うだろうか。
そもそも、自らの存在は世界に認められていない存在……つまりこの世界を滅ぼそうとする張本人だ。
世界が滅ぶという兆候も掴んでいる。ヴィルフィが生まれてから、各地で魔力異常が発生しており、魔災と呼ばれる厄災が何度も王国を襲っていた。その原因は自分であると、ヴィルフィは考えている。
『元々世界には魂を受容できる量が存在し、その容量の中で魂が循環しているのです。そしてその容量を超える魂が世界に入れば、たちまちその世界は壊れてしまうのです』
ヴィルフィは、十年前に話した女神の言葉を思い出す。
魔災の理屈はヴィルフィには分かるはずがない。しかし女神からその言葉を聞いている彼女には、少なくとも世界の異変が自分自身にあることは明白だった。
つまりは自分がこの世界の敵だということで、対して賢者リートはこの世界に愛されているような才覚を持っている。どうせ彼のことだから、この世界を素晴らしいものだと感じているだろう。そんな彼の前に自分が現れたら――
様々な葛藤を抱えている状態で、ヴィルフィは素直に行動へ移すことができなかった。この世界に来た時点で今更何をと、自分でもバカだなと感じてはいたものの、結局は踏ん切りがつかない。彼の世界を壊したくなくて、死んでしまいたくなる夜もあった。魔法は彼女に、彼の世界を壊す勇気を与えてはくれなかったのだ。
だからこそ彼女は、強くなることしか考えられなかった。進路を決められない学生が現実逃避をするように、ヴィルフィはこの人生でずっと続けてきた魔法の鍛錬を積むしか無い。
そしてその過程でもし、リートとヴィルフィが元の世界へ円満に戻れる理想的な方法があれば、それで良いと思っていた。
(……我ながら逃げ腰なんだよな。くそったれ)
ヴィルフィは歩幅を大きく、歩き始める。村から離れ、自らの運命を認められる強さを得るために。
* * *
ヴィルフィは鬱蒼とした森の中を歩いていた。
靄がかかり、周辺を広く見ることが出来ないこの森は、トリンフォア村の人々からは”魔の森”という呼ばれ方をしている。凶暴なモンスターが住み着いているせいで、熟練した狩人も手を出さない場所だ。
そんな危険な場所を、ヴィルフィはたった一人で、歩いている。理由はいくつかあるが、大きなもので言えば”実力試し”がしたかったからだ。
賢者リートは、森にいた凶暴なモンスターと戦い、見事勝利したという。もし自分が同じことができれば、自分の努力がこの世界に対して通用しているという確信を得ることが出来るだろうと考えていた。
もちろん王国民からの隠れ蓑として、この森の悪名高さを活用することも考えている。集中して魔法の鍛錬が積めるところがあれば、自分の目的の達成に一歩近付くだろう。
ヴィルフィは淡々と森の中を歩いていく。中は思ったよりも静かだった。
「――誰だ、アタシを狙ってやがるのは」
しかしヴィルフィはその静けさこそが、この森の違和感であることに気付いていた。彼女が振り向くとともに、一体の巨大なモンスターがヴィルフィの命を刈り取ろうと襲撃を仕掛けてくる。
ヴィルフィはそのモンスターの攻撃を避けて、右手を前にかざす。
「赤子の心臓に眠る炎、襲撃者にその欠片を焚べろ!」
刹那、彼女の右手から巨大な火炎球が発生する。その炎はモンスターの体にぶつかると、中規模の爆発を起こした。ヴィルフィは衝撃を流すようにバックステップをする。彼女の焔色の髪が、衝撃でなびいていた。
やがて、炎が晴れると、モンスターの全体像が分かった。細い六本足で自立する赤い瞳のモンスターには、口の左右端に牙のような尖った部位が付いている。その牙がガシガシとぶつかりあっており、まるで巨大な蜘蛛のようだと、ヴィルフィは気持ち悪さを覚えた。
「……けっ、アタシの力を試すのにはうってつけの相手だな」
ヴィルフィはモンスターの赤い瞳を睨み、無理矢理に口角を上げて対峙した。




