第3話「もう一つのプロローグ」(5)
「とりあえず名乗っておいた方が良いでしょうか……こんにちは、女神のシゼリアードです」
お辞儀するシゼリアードの銀色の横髪がさらりと揺れた。
コトノよりも数倍ほど長いだろう後ろ髪は、三つ折りするように後ろで束ねられ、それでも残った髪が背中側に流れている。紐で整えられた布の衣装と、整った顔立ちは、ギリシャの古代の偉人のようで、コトノがいた世界とは別の存在であると確証させた。
シゼリアードの言葉に対し、コトノは一つ確信したものを得る。
「……ここに一人、アタシと同じくらいの男が来なかったか?」
女神の神聖さに臆すること無く、コトノは一歩前に出て尋ねる。シゼリアードも顔を上げて、コトノにその宝石のような瞳を向けた。
「確かに来ましたよ。それがどうかしましたか?」
「アタシはアイツに会いてぇんだ。どこに行った?」
「既に下界――ライアッドという世界に転生しました」
やっぱりな、コトノは自身の確信が真実であることに、口角を上げて喜びを浮かべる。
予想通りネムは、コトノが借りた小説と同じで、異世界転生をしていた。重力加速度に身を任せていたあの時、窓に映った二人の姿で予想は出来ていたが、目の前の神様を自称する女性を見た瞬間に確信へと変わったのだ。
であれば、コトノがすることはたった一つ。彼女はシゼリアードにぐいと近づき、その衣装を掴んで引っ張った。
「アタシもその世界に連れてけよ」
コトノの迫真の表情に、シゼリアードは女神ながら「ひええ」と声を上げて怯えた様子を見せる。コトノは一度掴んだ服を離し、少し距離を取って再び女神を見据えた。
シゼリアードは服を整えながら一息入れて、その瞳を再びコトノに合わせる。
「……あなたをライアッドにお連れすることは無理です」
申し訳無さそうな顔つきでシゼリアードはコトノの言葉を否定する。コトノの顔に焦りが滲み出た。
「どうして?」
「ライアッドという世界には、たった今一人の少年が旅立ちました。ですがもうライアッドに存在できる魂は一杯なのです」
「……どういうことだ? まさかこれ以上人口が増やせねえってわけでもないだろ」
女神が首を振る。二人の間にはただ穏やかな風が流れているだけで、他に邪魔するものは無かった。
「人口という概念ではなく、魔力を持った魂の存在です。元々世界には魂を受容できる量が存在し、その容量の中で魂が循環しているのです。そしてその容量を超える魂が世界に入れば、たちまちその世界は壊れてしまうのです」
「……よくわかんねぇけど、アタシが入る隙が無いってことか?」
「簡単に言えばそうですね。貴方が入れば、世界には何かしら不都合が生じます。世界はその不都合を取り除こうと、貴方に残酷な運命をもたらすでしょう」
「残酷な運命だって?」
「ええ。あなたはきっと世界の敵になります。ほら、体内に入った悪いものを排除しようとするのは、人間の体でも同じですよね」
「……なるほどな」
コトノは一度女神から目を逸らし、考える。
自分は今から、ネムが転生した世界――ライアッドやらの悪玉菌になろうとしているのだ。世界の敵になる、という表現はいまいちよく分からないが、目の前の神様曰く、残酷な運命を迎えることが確定しているらしい。
コトノは少しだけ体を震わせる。残酷な運命を、たった今現実世界で味わってきた所だった。そんな運命が待っている中で、自分は押しつぶされてしまうのではないか。
そんなコトノの様子を知ってか知らずか、シゼリアードは安心したようなため息を吐いて、教科書通りの笑顔を浮かべる。
「ご納得いただけましたか?」
シゼリアードの確認に対し、当のコトノは――
「ああ、わかったよ。――つまり世界の敵になるって条件で、その世界に行けるってことだよな」
にやりと笑った。
シゼリアードは自らの言葉を思い返し、その失言を認識する。自分はライアッドに”行けない”と言ったのではなく、”行ったら大変なことになる”と言ったのだ。
それをコトノは見逃さなかった。彼女は何が何でも、ネムに会いたいのだ。ネムに会って、現実世界に連れ戻すのだ。世界を跨ぐ方法など知らないが、こうやってコトノはネムと同じ場所に来れている。後でどうとでもなるだろうとたかをくくっていた。
コトノは再びシゼリアードにぐいぐい近付いていき、先ほどと同じように服を握りしめて、シゼリアードの体をぐいと近づける。
「もう一回言うぜ。アタシもその世界に連れてけ女神野郎、できんだろ?」
おでこがぶつかりそうな距離で、脅すような低い声でコトノは女神へと詰め寄る。
女神は苦いものを食べた時のような苦しい表情を浮かべて、ようやくコトノの方へと目を向けた。
「……後悔しませんね?」
「ああ。ネムと会って、現実世界に連れ戻して、約束を果たせるならな。どんなモンだって乗り越えてやるさ」
「……わかりました」
観念したようにため息を吐くシゼリアード。コトノはようやく胸ぐらから手を離す。
コトノはもう一つ、確証を得ている事がある。先程コトノは「現実世界に連れ戻して」と女神に放った。そしてそれに対して女神は否定をしていない。
(だったら、現実世界へ戻る方法も絶対あるはずだ)
ニヤリと笑うコトノの心中を知ってか知らずか、シゼリアードは憂鬱そうにため息をもう一つ。
「これから貴方が向かう世界は、ライアッド。あなたがいた世界とは全く違う、人を襲うモンスターや、魔法があるような世界です。そして貴方はその世界で、才能もない平々凡々な人間として転生するでしょう。ですが平々凡々でありながら、貴方には残酷な運命が待ち受けています。世界が貴方を排除しようとする、それをお忘れなく」
「ああ、ご忠告どうも」
女神はコトノの胸に手のひらを当てる。彼女の腕を揺らす心臓の音がないことにようやく気付き、コトノはようやく自分が一度死んだということを実感した。
そして突然、自らの心臓がドクンと跳ねる感触を覚える。そのままコトノの体は力なく、後ろへと倒れてしまう。
「……よい人生を」
雲を突き抜けていき、またしても彼女の体は落下していく。
コトノの鼻腔をくすぐる空気が、これまで感じていたものと違うことに、コトノは異世界への到来を感じた。
体が逆さまになり、頭から落ちていく。空が徐々に自分から離れていき、代わりに見上げた先で、一つの集落が目に入った。
「……待ってろよネム、アンタを元の世界に戻して、小説読むっつう約束を守るからな」
コトノの視界いっぱいに、集落が広がっていき、その家屋の一つにコトノの体は落ちていく。
彼女が世界に落ちた時の音は、赤子の泣き声だった。
第3話「もう一つのプロローグ」 (終)




