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第3話「もう一つのプロローグ」(3)


「……相変わらず暗ぇ顔してんな」


 コトノがいつものように本館屋上への階段を上っていくと、いつものようにネムが座り込んでいた。

 梅雨に入ってはいるが、窓から差し込む光は眩しく、湿度と相まって暑いくらいだ。コトノはネムの隣に座り、自販機で買った飲み物の蓋を開けて口をつける。階段の段差は日差しから離れ影になっており、比較的ひんやりとしており気持ちよさを感じさせた。


「あはは、今日も小説のこと言われちゃってね」


「そっか。まあ難しいだろうけど気にすんな。お前は良い作家になれるから、その時に見返せば良いんだよ」


「良い作家って……コトノは僕の小説を読んだことないでしょ」


 苦笑するネム。昨日とは少し違って、その表情は柔らかい。

 その笑顔を見るだけで、コトノは心の奥底が温かくなっていくのを感じていた。


「いや、アタシにはわかる。ロックバンドのインタビューとか見てたら分かるけどよ、良い創作を作れる奴ってのは大体、世の中で満足できない、何かしら鬱屈してるものを持ってるんだよ」


「まあ確かに、有名な文豪にもそういう人は多い気がする」


「だろ? だからまあ、なんていうか、ネタ集めと思って今を耐えれば良いんじゃねぇか?」


「なにそれ」


 ネムはコトノの言葉に笑い出した。そういえばこうやってネムが笑っているのを、まじまじと眺めた事は無かったなと思う。

 ネムの家に行って一緒にテレビゲームをした時よりも、今この瞬間のネムの表情は明るくて、コトノは窓から差し込む陽光が霞んでみえた。


「あ、そういえばお前から借りた本、読んだぜ」


「もう読み終わったの!?」


 目を丸くするネム。コトノ自身も慣れない小説を一日で読み終わるのは、不思議な感触だった。


「お前のチョイスが良かったんだよ」


「それなら良かったけど……感想聞いても良い?」


 おう、とコトノは笑みを浮かべて、スクールバッグから小説を取り出す。

 コトノが読んだ本は、いわゆる異世界転生ものでチート主人公が無双する、ハーレムものの典型的な作品だった。主人公が現実世界で死んでしまい、特殊な能力を持ってファンタジー世界に転生する。その特殊な能力を使ってヒロインたちを助けていく……そんな話だ。

 コトノは思い出すように、扉絵をめくりながら小説を眺める。


「こういうの漫画では読まねぇから、最初はなんだこの展開って思ったけど、なんだかんだ面白かったな。キャラが可愛いのもあるし、結末もハッピーエンドで嫌いじゃねぇ」


「うんうん」


 ネムがキラキラした表情でこちらを見ている。

 いつもよりも前のめりになっている彼の様子に、コトノも思わず身を引いてしまう。


「……まあだけど、都合の良い展開が多いな、って気がした」


「ああ、そうかもね」


「人の生き死にってのがあっさり流されてるのも気になるし、そこから別の世界に”てんせー?”して最強になって、どんどん倒していく……ヒーローものでも、もうちょっと葛藤があるし、読んでて自分には合わねぇって思ったな」


「なるほど」


 コトノの感想は否定的なものだったが、ネムの目は輝くところを知らない。このような感想は想定済みだったのだろう。

 コトノは小説自体についてはあまり肯定的に捉えていないが、そもそもの目的が”ネムの事を知る”という所だったのもあって、不思議な読了感を得ていた。

 ネムは一旦コトノとは別の方を向いて、顎に手を添えて考え始める。やがてしばらくして、コトノの方を見ずに、口を開いた。


「コトノはちゃんとした理由とか、キャラクターの葛藤とかが大事なんだね。そういう小説の方が良かったかも?」


「いや、読みやすかったし結末は爽快感あって楽しかったぜ。それにこの小説は、ネムが好きな小説なんだろ?」


「そうだね、僕はコトノと逆かもしれない」


「……逆?」


 コトノの疑問符に、ネムはじっと窓の外を見ながらぼおっとしていた。

 話しかけて良いものか分からず、コトノはじっとネムの方を見つめる。手に取った飲み物についた水滴が、ぽたぽたと階段に落ちている事に気付いていなかった。


「……理想があるから、前に進むことが出来るんだよ」


 ネムはようやくコトノの方を見て、どこか気恥ずかしそうに笑う。そんな彼の姿に、コトノはまた一つ、心の大きな律動を感じた。

 ネムの作品に対する言葉は、都合が良いとか、ありきたりな願望だとか、そういう安っぽい言葉で着飾られるものではない。もっとどこか人の根源にある”希望”という存在に触れるような、核心に迫った言葉のようにコトノは感じていた。

 確かに自分にとってこの小説は理想的すぎるかもしれない。ネムもきっと同じように感じているはずだ。でもその理想こそが大事で、現実に叶わなくても、理想を直接的に読んで感じることで、生きていく希望を得ていくのだろう……門外漢ゆえに口には出せなかったが、コトノはネムの言葉と作品に対して、そのように解釈していた。


(……ネムって、やっぱりすごい作家になるよな)


 コトノは改めてネムのまっすぐな表情を見つめる。その柔らかな髪や頬の内側に、強い信念があるのだ。コトノの好きなロックバンドが紡いでいる音楽を聴いたようで、なんだか目の前の男の子がすごく格好良かった。

 コトノは一瞬恥ずかしくなって顔を背けるも、もう一度頑張ってネムの方を見ようとする。ネムは不思議そうにコトノの表情を伺っていて、またその表情が澄み渡っていて、顔を真っ赤にした。


「……ネムって、自分が書いてる小説でもこうなのか?」


「どういうこと?」


「いや、なんだかネムが書く小説って、読んでいる誰かを救う話なんだろうなって感じたんだよ」


 きっとネムの生きることへの考え方というのは、彼が執筆する小説にも反映されているだろう……コトノはそう感じた。

 読んでいる人が理想を描けるような作品を書いて、自分と同じように、誰かを救いたい。それがきっと彼の小説に反映されているはずだ。コトノは勝手にそう推測する。


「……おこがましいかもしれないけど、うん、そうかも」


「だと思うぜ。ほら、この本の主人公、最後には沢山の人を救って勇者って呼ばれるだろ? ネムって勇者だと思うんだよな」


「勇者なんて恐れ多いよ……」


「じゃああれだ、あれ、えーと、賢い人、学者じゃなくて」


「賢者?」


「そう、賢者。お前は物知りというか、アタシには思いつかない事を考えてる。だから賢者」


「なんかむず痒いなぁ……」


「否定はしねぇんだな」


 照れて赤くなっているネムの背中を、コトノは満面の笑みを浮かべながら背中をバンバン叩く。

 屋上前の人気のない階段はとても賑やかで、二人の灰色だった学生生活に、唯一色を塗ってくれているような気がした。


「なあ、ネム。アタシ、小説読みたい」


「あ、一応今日は別の小説を持ってきてて、そっちならコトノにも合う――」


「――そうじゃなくて、お前の書いた小説が読みたいってこと」


 そうネムに力強く伝えるコトノの内心は、まるで気になる人をデートに誘う女の子のように、心臓の音がうるさくて仕方なかった。


「僕の小説? でも、コトノに合わないかもしれないよ」


「別に良いんだよ。お前の書いた小説が読みてぇんだ。ほら、これから作家目指すなら、色んな人に読んでもらわねぇと」


「……うん、そうだね」


 ネムはかなり迷っていたが、他ならぬコトノの頼みということもあり、気恥ずかしさを醸しながらも承諾した。

 対してコトノはもっと気恥ずかしさを感じていたが、ネムの了承により、緊張感から転じた喜びが恥ずかしさを包み隠す。


「でも、今日は持ってきてないから、明日でも良い?」


「おう、楽しみにしてる」


 二人は笑顔で約束を交わす。太陽の反射光で演出された階段の踊り場が、二人の顔の暑さと頬の赤さを隠していた。



* * *



 翌日になり、コトノは黒い雲の下を傘を差しながら、足取り軽く通学する。

 朝のホームルームは緊急全校集会があるということで、じめじめした不快指数の高い体育館に集合がかかった。

 体育館に入ったコトノは、突然の全校集会に対して文句を呟く生徒たちの喧騒に溢れている。神妙な顔をした校長が壇上に立ってマイクの近くで咳払いをすると、その喧騒が少しずつ収まっていき、代わりに雨粒が地面に落ちる音が段々と聞こえてきた。雨はコトノが登校したときよりも、いっそう強くなっていた。



 ――そしてコトノは、ネムが学校の屋上から飛び降り自殺をした事を知る。



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