第14話「龍の誇り」(7)
ロンダンシーの最も高い場所にある赤い屋敷、その二階にある黄龍の間は、客人をもてなすための部屋だ。
とはいっても王都のレセシアルト城と同じように、カーペットに長いテーブルや幾つもの椅子が並べられているわけではない。畳を敷いた床の中央には、焚かれた木々がほのかな明かりを発しており、その周りには座布団が幾つか敷かれている。床に直接座るという文化は王都にほとんどなく、アールは最初どのように居れば良いか分からず、立ち尽くしていた。
前世で日本に住んでいたヴィルフィはもちろん、こういった座敷は慣れている。いの一番に座布団へと腰を落ち着け、胡座をかいてその脚を晒す。それに倣うようにアールはヴィルフィの隣へと、なぜか同じように胡座をかいて座った。
「暫し待て、爺様を呼んでくる」
客人が着席すると、ダンレイは一礼して黄龍の間を出ていく。残された魔女一行は各々が部屋のあちこちに視点を移していた。特にアールは落ち着かない様子できょろきょろと部屋の内装を見ており、まるで連れてこられた他所の猫のようだ。対して黒猫ティアマットは、落ち着いた様子で部屋の真ん中にある焚き火をじっと見ていた。
「どうだ、何か思い出せそうか?」
金色の瞳に炎を映すティアマットに対して、ヴィルフィは何気なくそう尋ねる。
「……いいや、何も。先程のダンレイという者も、私の名前に何も引っかかりを覚えていないようだった。私の故郷というのは早計だったか」
「ま、ダメで元々で来てんだ。一つでも情報が掴めれば良い」
「……そうだな」
ティアマットの声色が少し寂しそうだ、そうヴィルフィは感じていた。
彼も気丈に振る舞ってはいるが、そもそも記憶を女神に奪われて身寄りのない状態なのだ。哀愁の一つでも抱くのが自然だろうとヴィルフィは悟った。
やがてしばらく時間が経つと、ギイと何かが軋むような音が聞こえ、追従するように床を擦るような細い音が黄龍の間に届く。ダンレイが爺様を連れてきたのだろうか、皆がそう感じた瞬間に、黄龍の間の扉が開かれた。
「……爺様の御成だ、礼を」
ダンレイがそう呟くと、後ろに一人の老人がじっと立っていた。黄龍の間にまだ足を踏み入れておらず、何かを待っている様子だ。
ヴィルフィたちは一度座布団から立ち上がり、ダンレイがするのと同じように、頭をゆっくりと下げる。そうすると老人は衣装を床に擦らせながら、ゆっくりと黄龍の間の畳を踏みしめていった。
やがて老人が黄龍の間の一番奥の座布団まで進むと、こほんと咳払いを一つ入れて、震える右手の平をゆっくりとヴィルフィたちへ翳した。
「……楽にせよ」
老人がそう告げると、ダンレイが下げていた頭を戻す。それに倣うよう、ヴィルフィたちは少し遅れて頭を上げた。
そこで老人の姿がようやくつぶさに観察できた。龍血種特有の鱗は既に幾分か剥げ落ちているが、かえってそれが年の功を感じさせるような、不思議な雰囲気を醸している男だ。身長はダンレイよりも少し低いが、人間種では平均身長よりも少し高いハーデットと同じくらいで、曲がった腰をしっかりと伸ばせばリスターほどになる。
老人はゆっくりと座布団に腰を落ち着ける。胡座をかいて座っている彼の様子を見て、アールはやっぱりこれが正解だったのだと、心の中で一息つくことができた。
やがてダンレイに続くように魔女一行は、座布団へと各々の姿で座っていく。
「……ダンレイから話は聞いている。龍の力を取り戻したい、ということだったな?」
老人はしわがれた声で、誰に目を合わせるでもなく、ただ部屋の中心にある炎をじっと見つめて、そう尋ねる。
「そうだ。私はティアマット、かつて龍だった者だ」
その声に返答したのは、龍の力を取り戻したいと最も思っている者である、ティアマットだった。
老人は自分のことを鋭い視線で見据える黒猫に、厳しい表情を崩さず目を向ける。
「喋る黒猫か、面白いものだ。――自己紹介がまだだったな。私の名前はローウェン、このロンダンシーをかつて束ねていた者だ」
ローウェンはティアマットからヴィルフィたちに視線を移し、その事情を探っていく。
そしてそれが一通り終わると、次は再びティアマットに目線を移し、彼の次の言葉を待った。
「ローウェン殿、私は龍の矜持に賭け、何としても力を取り戻したいのだ。ご存知の事があれば教えてほしい」
「……黒猫よ。龍の矜持とはどのようなものだ?」
ティアマットの目が、意外な質問に驚き少しだけ見開かれた。
もちろんティアマット自身が叶えたいと思っていることは、かつて自らを地の底に追いやった女神への復讐だ。この内に秘めたる炎で神を焼き尽くすこと、それに尽きる。
だが復讐心というものは、決してプライドなどではない。ティアマットが胸を張っているのは、もっと別の理由がある。それを言語化しようとは今まで考えてなどいなかったが。
しかしローウェンの質問に戸惑っているようでは、龍の名が廃るものだ。物怖じせず、ティアマットは口を開く。
「……己が背負いし龍の宿命、それを背負いながら生きるというものだ」
「どんな宿命だと言うのだ?」
「それは……」
言葉に詰まってしまうティアマット。もちろんこの老人の質問に答える上で、簡単に取り繕う事はできる。
しかしその言葉は、ティアマットの本心ではない。復讐心の中に燃えたぎる龍としての何か熱いもの、それを本当はローウェンに伝えたかった。
黙ってしまうティアマットに対して、ローウェンは興味を失ったかのように目を逸らす。
「黒猫よ、お前は龍などではない。今すぐロンダンシーを離れ、己を受け入れて全うに――」
「――悪いが、それは出来ないのだ」
諭すように、しかし目線はこちらを向いていないローウェンの冷酷な声に、ティアマットは無理やり差し込むように上ずった声を絞り出す。
ローウェンは再び黒猫の方へと目線を向ける。ティアマットの瞳は揺れているものの、何か奥底に炎を秘めたものであることを、ローウェンは悟った。
「……何故だ?」
黒猫は四つ足でローウェンを見上げ、その尻尾をぴんと立たせる。
「私の中の何かが、そう告げているのだ。ああ、確かに私は龍の矜持とは何かを説明できぬほど、龍の力を封印されてしまったのだと感じたな。……だが、それでも、私はあの龍の姿をもう一度、神の前に顕したい」
それはティアマットの本心から出た言葉で、何か取り繕ったものではない。それはヴィルフィが一番よく分かっていた。
彼は世界の底に閉じ込められ、ずっとその龍としての巨体を腐らせていたのだ。その姿をあの女神の前に晒し、共に女神を倒そうと意気投合したのはヴィルフィだった。
もちろんティアマットも、自らの矜持を言語化できた訳ではない。心の奥底にあるものが、少しだけ溢れたに過ぎなかった。
だが彼のそんな様子に、ローウェンは目線を逸らさない。彼の奥底にある何かを見抜くようにじっと見つめ、そして何か納得したことがあるのか、目を閉じてゆっくりと一つ頷いた。
「……小さき者よ、私はお前が龍であることを認めるつもりはない。そして龍の力を取り戻す方法についても、我らの知恵を貸すことは出来ない」
ローウェンは拒絶する言葉をティアマットに告げる。そのしわがれた声も先程と同じように冷酷さを纏わせていたが、ただ彼の開いた瞳はじっとティアマットを見つめていた。
「――だが、このロンダンシーの地をより踏みしめる資格、それを手に入れられるのであれば、分かることもあろう。……そしてその暁にはもう一度問おう、お前の矜持とは一体何かを」
それは小難しい言い方だったが、ティアマットにはすぐに伝わった。
このローウェンという老人は、自分たちに興味を持ってくれているのだと。でなければ、もう一度同じ質問をするとは言わないはずだ。
「……どうすればロンダンシーを歩む資格を手に入れられる?」
「我ら龍血種は、弱きを嫌う。故にお前たちの力を示してもらいたい。ロンダンシーで最も誇りある武士と戦い、我らの家族であることを民に認めさせよ」
ローウェンはダンレイに目を配り、やがてゆっくりと目を閉じた。
ダンレイは一つ頷きを返し、ヴィルフィたち一人ひとりに目を向けていく。
「……私と戦う者を一人選んでほしい。ただし龍血種は魔法に疎い、魔法は禁じさせてもらう」
「――だったら、俺が戦う」
ティアマットとは違う、もう一人の男の声。それは今まで静かに話を聞いていたハーデットだった。
「親父、大丈夫か?」
「ああ。他三人は主に魔法を使うだろ。この中で魔法なしで純粋に戦っているのは、俺だけだ。……それに」
ハーデットはダンレイの方を見つめて、その腰に差している刀を観察する。それは王国では中々見られない、細身の剣だ。
「お前の剣術にも興味があってな。剣士として手合わせを願いたいと思っていたところだ」
「ほう……」
ハーデットの笑みに対して、ダンレイも微笑みを返す。
ダンレイは物腰こそ柔らかだが、仮にも兄様と呼ばれるような立場の人間で、強面の門番が頭を下げているほどである。実力は確かなのだろう。
ハーデットは心の奥底で、かつて騎士団に所属していた頃に抱いていた、あの熱い気持ちを思い出していた。かつての彼は相棒であるグレンとともに、日々剣術の修行をしていたものだ。若い頃を思い出すようで、彼の心はワクワクしている。
かくして、ハーデットとダンレイ、人間種の剣士と龍血種の剣士の戦いが約束された。




