第13話「世界平和を願う者たち」(22)
スコラロス王国、王都レセシアルトでは賢者リートの預言者挨拶の式が執り行われていた。
場所はセネシス教の本部の庭園。教団のテラスから皆に向けて挨拶が行われており、新たな預言者に反対する輩からリートを護衛するために、教団兵は会場のいたるところに目を光らせていた。
「案外、気付かれないものですね」
しかし逆を言えば、それ以外の場所は手薄である。
アールは魔女一行、そしてリスターやトレイスと共に教団本部の裏手にある墓地にやってきていた。魔女一行とリスターはティアマットの力を取り戻すために隣国であるバルへリア連邦共和国へ行くことになっているが、アールのたっての希望で王都へと立ち寄っている。
元々トレイスが賢者と合流し、ガラリエの研究の痕跡を探すことから、王都へと向かう必要があった。バルへリアとの国境はクスウィズンのあるミュトシアから王都と少し対称の位置にあり、どうせならと立ち寄ったのである。
「ああ、新しい衣服や武器も調達できたし、丁度良いタイミングで挨拶してくれたもんだ」
ヴィルフィはアールの姿を眺めながら、己と同じく身分を隠す旅人らしくなった姿に、満足げな表情を浮かべていた。
フード付きの渋い色合いの外套は、元々預言者であった彼女の衣装とは見違えてとても質素だ。外套の裏に着ている服もそれに倣うよう簡素なものだが、胸の下と腰につけたベルトはヴィルフィの好みで、そして裾の縁に描かれた模様は、決して豪華なものではなかったが、彼女の元々の美的感覚を反映しているようだった。
そして手に持っているのは、大柄の両手槍だった。長い柄と穂を合わせて彼女の身長を越える大きさがある。接続部分につけられた旗はまるで民衆を導く者への憧れが現れているようだった。アールが魔法で武器を隠すことが出来なければ、目立って仕方ないだろう。
満足げに頷くヴィルフィに対して、アールは少し頬を赤らめる。これはヴィルフィと共に決めた格好だ。身を隠さなければいけない者同士で買い物は苦労したが、それもまた一つの思い出になっていた。
「お父様にお会いして、真面目なお話をしなければいけませんからね。今の私を見てもらうために」
結婚前のカップルが同じような会話をしてそうだなとヴィルフィは感じたが、アールの澄み渡ったクリームイエローの瞳を見て、そう茶々を入れるのも野暮だとも感じてしまった。
アールが墓地に来た目的はもちろん、自らの父についてだった。ザペルの墓石に用があるのはアールで、ヴィルフィもガラリエの件があったため、墓地に入ったのは二人だけだ。他は入口で誰かが来ないように待機している。アールはこんなめでたい日に誰も墓地へ来ないだろうと思っていたが、静かな空間を提供してくれているのだろうと悟って、トレイスたちの好意に甘えることにした。
本部ではまだ挨拶が始まっていないのか、拡声魔法による新しき預言者の声は聞こえない。それゆえに墓地は厳かに静かで、ザペルと話をするには絶好の日だとアールは感じていた。
ヴィルフィとアールが墓地を、足音すら立てることを嫌うようにゆっくりと歩いていく。
「……なんだか懐かしいです」
「まあクスウィズンにいた期間がそれなりにあったからな」
「それもありますけど、色々ありましたからね」
「……そうだな」
アールが懐かしそうに墓地に吹く風を感じているのを、ヴィルフィは横目に見やる。
アールはこの場所にしばしば来ていた。ここには彼女の理想のために戦ってくれた教団兵たちが沢山眠っている。弔いの気持ちがあったのはもちろんだが、あまり誰も来ないこの場所であれば、弱い自分と少しだけ向き合える気がしていたのだ。
だがそれも懐かしい。別にこの場所へ毎日来ているわけではなかったが、それでもヴィルフィによる誘拐から始まり、クスウィズンでの決意を経て、今ここにいる。もう何年も来ていない気分だ。
そして少し歩くと、ザペルの墓標はすぐに見つけることが出来た。やはり前預言者ということもあり大きな墓石が立てられている。ザペル本人がもしこの場所にいれば、こんな大きな墓を立てるなと文句を言いそうだ……アールは腕を組んでむすっとした顔をしている父親を思い浮かべ、くすっと笑った。
「お父様、ただいま戻りました」
アールは裾が土で汚れることも厭わず、地面に膝をついて、墓石を真正面に見やる。
ヴィルフィも彼女に倣って、膝を折り曲げて目線を合わせた。
「……久しぶりだな、ザペルのおっさん」
本当に死んだんだな、ヴィルフィは心の内でそう呟く。
トレイスやリスターの言葉を信じていないわけではなかったが、言伝で感じるものと、実際に墓石を見て感じるものは違う。
ヴィルフィは少し悔しさを覚えていた。元々は女神を信仰する教団の人間で、憎むことはあっても信頼することはないはずの人物だ。
だが彼とは、師匠という人物で繋がっている。彼は別にガラリエの事を師匠だと思っていないはずだが、それでも信頼していた人物だという事に変わりはない。
だからこそ、彼がどうして殺されなければならなかったのか。そう考えると無性に苛々がつのってしまうのだ。
しかし今はそういった場ではない。ヴィルフィは冷静を取り戻しながら、墓石をじっと見つめる。
「大事な娘を誘拐してすまなかった。この通り、ちゃんと連れて帰ってきたぜ。アンタは誑かしたって文句言うかもしれねえけど」
ぷっ、と隣から吹き出した笑い声が一つ。アールの口角が上がっていた。
ヴィルフィはやれやれと内心呆れながら、改めてじっと墓石の方を見つめる。まるでそこにザペル本人がいるかのように。
「アンタがどう感じてるかは知らねえけど、アタシは魔女ガラリエの弟子として精一杯、自分の我儘を貫くよ。……折角だからアンタにも、女神反逆の進捗を聞かせてやろうって思ってな。今日はそれだけだ」
ヴィルフィは曲げていた膝を伸ばして立ち上がる。
「もう、良いんですか?」
「別にアタシはザペルのおっさんとそこまで接点があるわけじゃねえからな。教団を荒らした詫びさえ伝えられりゃ、それで良いんだ」
「……そうですか、ふふっ」
アールがまた微笑む。その様子に目もくれず、ヴィルフィは背中を向けながら軽く手を振って、墓地を立ち去ってしまう。そんな姿にもアールは、なんだか可愛げがない妹を見ているようで、面白そうに笑みを浮かべる。
そして残されたのは、アールとザペルだけになった。アールは改めてザペルの墓石へと目を向ける。
「お父様……私の髪を見て驚いたでしょう。無理もありませんね、ずっと伸ばして手入れしてきた髪ですから。神話で語られる女神シゼリアードのように」
彼女が髪を伸ばしていたのは、女神の後ろ髪はまるで大河のように長く伸びているという話を、神話の中で目にしたからだ。
彼女は女神に憧れていた。女神に憧れて髪を伸ばし、女神に憧れて一人称を私に変えて、女神に憧れて慈悲深い心を取り繕っていたのだ。
だが、アールにとってもう絶対的な存在は女神ではない。もちろん魔女ヴィルフィでもない。ただあるのは、自分だけ。
「ふふっ、なんだか別人のようになってしまいましたね。……別人、別人といえば、お父様とお母様が付けてくださったティアルムという名前、私はしばらく名乗らずにいようと思うんです」
アールはザペルともう一人、彼女が幼い頃に亡くなってしまった自らの母親の姿を、頭の中に思い浮かべる。その姿は朧げだったが、透き通った声をしていたことだけは覚えていた。
「これも私が自らの足で歩み始めるための大事なことなんです。鈍感なお父様は分かってくれないでしょう。でもお父様はどこかで許して下さるはずです、愛しの娘のことですから。……ふふっ、なんだか親不孝者ですね、私」
アールは微笑みを浮かべて、しかしその頬が上がり目尻にたまっていた涙がこぼれて、自らが涙を流していることに気がついた。
「おかしいですね、明るい話なのに、涙を流すなんて。でもお父様は許して下さるんですよね、かつて幼い頃よくしてくれたように、頭を撫でて、背中を擦って、抱きしめてくれるんです」
ティアルムは体を前のめりに、四つん這いになって、そっとザペルの墓石へと手を添えた。涙がぽろぽろと、彼女の頬から伝い落ちる。
「お父様、私は自分の目で確かめてきますから。アールという名前で、強くなって、帰ってきますから。だからどうか、道標となる爽やかな風のように、夜を彩る星々のように、私をどうか温かく見守って、そして時々でいいから、またこうやって抱きしめてください」
涙を降らす彼女の瞳に、もう黒い雲は浮かんでいなかった。
* * *
アールはザペルとともにしばらく過ごした後、名残惜しそうに、しかし自らの使命の大きさがそれを勝り、一度祈ってから、墓地を去るために踵を返す。
流石に泣き腫らした顔のままヴィルフィたちと合流するのは気まずかったため、少し父親と一緒の時間を過ごさせてもらった。ヴィルフィたちが女神に先手を打たれないよう急いでいるのは分かっていたので、どう謝ろうかを考えていた――そのとき。
『――預言者ティアルム、聞こえていますか?』
脳内に響き渡る、かつて恋い焦がれていた者の声。
それが女神シゼリアードの声であることを、アールはすぐに理解することが出来た。
墓石に囲まれたこの場所は静寂に包まれ、髪を優しく撫でるほどの風がアールにも感じられる。この場所には今、アールとシゼリアードの二人しかいない。
『預言者よ、どうして貴方は、厄災の魔女に協力するのですか? 私は伝えたはずです、彼女こそがこの世界を脅かす存在なのだと』
「……お聞きしましたね」
アールは少し震えた声で、誰もいないはずの空間へと呟く。
『貴方は今、魔女に手を貸そうとしている……それは世界の崩壊に手を貸すことに他なりません。今すぐ手を切り、教団の力を使って魔女を拘束するのです』
アールの心臓が、張り裂けてしまいそうなほど、大きく鼓動を続けている。その振動に彼女の呼吸も、揺れて不安定になってしまっていた。
しかしそんな状況にも関わらず、アールの口角が少しずつ上がっていく。あれほどまでに恋い焦がれていた女神の声が――
「……お言葉ですが女神様、私は魔女を殺す気など失せたのです」
――なんだか、耳障りだった。
『……なんですって?』
「私は今まで、女神様の忠実なる下僕でした。貴方の言う事であれば、何でも付き従う気持ちで一杯だった。……でも貴方は、私が魔女に拉致されてからは一切手を差し伸べてくれず、解放され、こうやって都合の良い時に語りかけてくる。私がどんな気持ちかも知らないで」
『……魔女はずっと私から情報を得ようとしていた。迂闊に手を差し伸べられなかったことは、理解するべきですよ』
「ええ分かります、弱い私に言葉をかけられなかった。……そうなんです、私は弱い存在なんです。だから――」
アールは空を見上げる。新たな預言者を祝福するような、雲の少ない晴天だった。
「――自分の足で歩かなければならない。貴方に盲目するのではなく、自分の目で現実を見ようと思ったのです」
アールのまっすぐな、曇りのない瞳が、女神のいるどこかの雲海を見据えていた。
『……失望しましたよ、預言者ティアルム。元はと言えば私の声をかけるなど、誰でも良かったのです。それを何の特殊な才能も持っていなかったザペルや貴方にかけた、その恩をお忘れなのですね。――もう貴方には、私の声は届かない。女神による断罪に、震えて眠りなさい』
女神シゼリアードは今までに聞いたことのないその震えた低い声で、怒りを露わにしていた。
前までのアールであれば女神の怒りに対して、彼女の言う通り震えていただろう。女神が絶対的な存在であり、自分が彼女の声を聞くことが出来る特別な存在である……その立場を失ってしまうことに対して、恐怖を覚えていたはずだ。
だが、今のアールは違う。もうあの頃の、誰かの靴で歩くような、漆黒の道を歩んでいる彼女ではない。たとえ目の前に茨道が広がっていても、自らの足で歩み続けると決めた存在なのだ。
「ご心配なさらず、女神様――」
アールの口角がぐっと上がり、彼女は挑戦的な笑みを空に浮かべる。
自らがかつて絶対的な存在だと信じてやまなかった存在に、喧嘩を売る行為だ。だが実際に行ってみれば、案外自分は正気でいられている。自らが弱い存在であることを認めることの方が、よっぽど苦痛で仕方がなかった。
「――今度は直接会って、お声を聞かせていただきますね」
アールはたった今、自らの足で一歩踏み出したのだった。
第13話「世界平和を願う者たち」 (終)




