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第13話「世界平和を願う者たち」(17)


 魔災対策機関クスウィズン本部裏手、ミュトシアに流れる大河の近くに、住宅もない、近くに人がいるような建築物のない、そんな場所があった。

 ただ魔石灯による暖色系のほのかな明かりが、人気のないこの場所に来た物珍しい客――魔女ヴィルフィと預言者ティアルムの頬を照らしている。


「……親父オヤジが真っ昼間に剣の練習をしても、誰も来なかった場所だ。安心して話が出来るぜ」


 ヴィルフィは片手に箒を持ち、三角帽子のずれを直しながら、ティアルムに向けてそう告げる。

 ハーデットがリスターから教えてもらった、基本的に誰にも見つからない穴場だ。開けた場所ではあるものの、大河の幅広さが向こう岸の住民の視界を妨げていた。そしてもう片側には建築物がしばらく建っていない、かつその果てにあるのは都市の城壁である。

 世界から正反対の意味で探されている魔女と預言者が話すには、あまりにも用意された場所だった。交わらないはずの二人が対面する場所としては、どこか幻想的で相応しくもある。


「んで、聞きてえのはアタシが知っている真実について、だよな。正直まだ推測の域を出ねえし、アンタには酷な事も多いだろうが、本当に良いのか?」


「構いません。……どうせわたくしは信じないでしょうから」


 信じないなら話しても無駄だろう……それが野暮な言葉であることを、ヴィルフィは悟っていた。

 ティアルムの様子は明らかに以前と――ザペルの死をトレイスたちから伝えられたときと違っている。あの時は目の前に突き付けられた真実に対して拒否反応を抱いており、トレイスの言葉はともかく、ヴィルフィの話など聞こうともしていなかった。

 だが今は、敵であるはずのヴィルフィと面と向かい、話を聞こうとしている。女神の言葉を待つのではなく、あくまで自分自身で情報を集めようとしている姿だ。

 それがどのような意図であるのかは、ヴィルフィには預かり知らぬところである。その情報を教団に持ち帰って、魔女の敵として有効利用するのか。或いは――


「まずはアンタの父親――ザペルのおっさんについてだな。殺された、ってところまでは聞いてるな?」


「ええ」


 ティアルムがそれを聞いた時には、魔女本人か、それとも魔女の仲間かが自分の父親を殺したと思っていた。いいや、今でも信じ込もうとしているのは変わらない。

 しかし、それでは彼女たちの動機が分からなかった。内部分裂の可能性を除けば、預言者である自分を誘拐して、前預言者であるザペルを殺すことは、矛盾しているようにも感じている。

 例えば王国や教団を混乱に貶めるのであれば、わざわざ片方だけを殺す必要はなく、ティアルムとザペルの両方ともを殺すか、または両方ともを拉致すれば良い話だ。

 仮に彼女の言っていることが――聖龍ティアマットの力を取り戻すため、女神の声を聞ける自分たちを情報源にするということが真実であったとすれば、前預言者ザペルは情報源となるかもしれない。こちらも殺す必要は無かった。

 わざわざ片方だけを捕まえて、それ以外は殺す――その動機をこじつける事は簡単だが、本当にそれで良いのだろうか……そんな葛藤がティアルムにはあった。

 だからこそティアルムは、どう話して良いものか迷っているヴィルフィに対して、できる限りまっすぐに彼女の方を見つめた。自分は真実さえも跳ね返す理不尽さを持っている、だから真実を話しても大丈夫だと言わんばかりに。それが本当に彼女自身が願っていないことだとしても。


「ザペルのおっさんを殺したのは、アタシは”女神”だと思ってる」


「……それはなぜ?」


「賢者リートが女神の天啓を聞いたってのも、トレイスから聞いてるな? アンタも同席してたから分かると思うけどよ、リートはこの世界ではありえない魔法の無詠唱発動、そして無尽蔵の魔力を持っている。そしてそれは魔災によって凶暴化したモンスターに付与される能力にそっくりだって話だ。そんな力を与えられるのは、この世界じゃまず女神しかいねえ」


「……リート様が女神と関係あることと、女神様がお父様を殺したという戯言に、何か繋がりでも?」


「アタシは繋がりがあると信じてる。現預言者がいなくなり、前預言者も殺されたということは、預言者はいま空席だ。そこに”都合よく”賢者リートが、女神の天啓を聞いた、と。ここからアタシが導き出した結論は、こうだ。――預言者の座が空白になったから賢者リートに預言者になってもらったんじゃない。むしろその逆、賢者リートに預言者になってもらうために、預言者の座を空白にした、と」


「……なるほど」


 ティアルムは腕を組んで、考え込む。

 彼女の言葉など、普段の自分であれば受け流していたところだろう。女神を敵にしたい魔女の戯言だと、決めつけているはずだ。


「魔女ヴィルフィ、貴方の言っていることは戯言です。貴方は女神を敵にしたいだけ」


 そしてティアルムの口からは、女神に忠誠を誓っている彼女そのものの答えがこぼれ出た。

 揺れて弱々しさを見せていた瞳は、黒く塗りつぶされていくことで”かつての自分”を創り出していく。彼女の言葉を聞いて涙を流したいはずなのに、代わりに流れるのは女神を崇拝するための盲目的な漆黒だった。

 

「女神様はきっと先の事を考えておられるのです。わたくしがいなくても王都が混乱しないように、新しき預言者の座を埋めようとしている」


「テメエに一声さえかけず捨ててもか?」


「ふっ、わたくしなど忠実なる女神様の駒でしかありません。女神様はあくまで合理的な判断から私を切ったのです」


「……だったらよ」


 ヴィルフィはゆっくりと左腕をティアルムの方へと伸ばし、指をティアルムの瞳へと突きつける。


「どうしてアンタはまた、泣いてんだ」


 ヴィルフィに指摘された瞬間、ティアルムは自らの黒い瞳から一筋、頬を流れる感触を覚えた。

 それは漆黒で覆い隠された自らの内側から流れ出た、眼を熱く火傷させるようなものだ。

 ティアルムは本心では、女神に必要とされなくなり、特別な自分ではなくなったことに恐怖感を感じていた。夜中にトイレへ行くことが出来ない小さな子供のように、自らが信じてきた光から見放された瞬間、道を歩くことが怖くなったのだ。

 それを、今までの特別な存在である自分が塞ぎ込もうとしている。ティアルムはヴィルフィの言葉に抗うように、腕で流れてきた涙を払う。視界はぼやけていた。


「泣いてなど、いません」


「泣き顔を真正面で見られたらもう遅えよ。っつうか、いつまで続ける気だよこの問答を」


「うるさい、ですね……泣いてないのですから、それで良いでしょうっ!」


 ティアルムは自らの気持ちを爆発させるが如く、ヴィルフィに怒鳴り声を上げる。

 彼女がそれで納得してくれればティアルムはそれで良かった。自らの強がりを、強がりとしてでも良いから認識してくれれば良いと思っていたのだ。


「いいや、いい加減にしろッ! これ以上アンタの泣き言を聞かされる身にもなってみろよ!」


 しかしその声量に負けず、こちらに向かって怒りを露わにしているヴィルフィ。

 そしてティアルムが期待していなかった魔女の姿に、彼女は”嬉しさ”さえ感じてしまっていた。

 ヴィルフィは猟犬のようにこちらを強く睨み、眉を目の方に近づけながら、粗雑で品性もない態度でティアルムに牙を向けている。


「アンタが今悲しんでる事を当ててやろうか!? 女神に見捨てられて無価値になった自分が惨めだ、それを直視出来ねえ自分も不甲斐ねえ、違うか!?」


「……ええ、そうです! そうですよ! 貴方の言っていることは正しい! だけど強い貴方にはわたしの気持ちなど分かるはずが――」


「――自惚れんなッ!」


 ヴィルフィが割り込むようにそう叫ぶ。

 箒の先をティアルムに向けて、怒りを露わにする魔女――猛獣が親の仇を目の前に威嚇しているような、歯茎さえ見えてしまう表情に、ティアルムは思わずたじろいでしまう。


「アタシの歴史を忘れたか!? アタシの生まれはトリンフォア、クソみてえな親父オヤジのもとで、クソみてえに村八分にされて、ほとんど何も持ってねえ状態からスタートしたんだよ! それに比べてアンタはどうだ、父親はザペルのおっさん、預言者として女神の声を聞いて、アタシなんか届くはずもねえ身分で民を導いていた! 何が自分は無価値だ、どれだけ恵まれて育ってきたと思ってんだよッ!」


「あ、貴方は何も分かっていません! 預言者の娘であるというだけで持て囃される苦しみを、そして与えられて初めて気付く自分の弱さを!」


「そうだよ、確かにアタシは今、自分のワガママを叶えたいだけの半端モンだ! 世界の重責なんか背負っちゃいねえから、アンタよりも弱いに決まってる!」


 ヴィルフィの論に対して、ティアルムはたじろいでしまう。そんな彼女に対してヴィルフィは、ぐいぐいと近寄っていった。


「ち、違います! 私はその責任を全うできず、その弱さから全てから見放されてるような存在で――」


「――本当に全員が見放したのかよ! 本当に全員がテメエの事を弱いって思って、見放したのか!?」


「それは――」


 ティアルムはそのまま声を詰まらせてしまう。

 真実がどうあれ、確かにティアルムが見放されたと思う存在はいる。それは自分の中で最も大きな存在であった、女神シゼリアードだ。彼女の眩しさに自分は目を黒く染めていくしかなく、自分や周りの人間が見えなくなってしまっていた。


『あなたの信仰は、まっすぐで尊いもの。だから信じるべき者を、間違わないで』


 しかしティアルムの周りには、僅かながら信頼できる人物がいる。その一人である自分の父親ザペルは既に亡くなってしまったが、もう一人――トレイスという”自らの憧れ”のような存在は、彼女の事を決して見放したりしていなかったのだ。

 ヴィルフィはティアルムの様子を伺いながら、怒りの表情を徐々に緩めていく。しかしティアルムはまた瞳に黒を滲ませながら、


「……トレイスも、私を逃がそうとしていました。彼女にとっても私は既に価値などないかもしれません」


「そんな事はねえと思うけどな。……じゃあ良い、”アタシ”がアンタの事を認めてやる」


 突拍子もないヴィルフィの言葉に、ティアルムは目を丸くして驚く。


「……は? 貴方がわたくしを?」


「ああ、アンタは強いヤツだってアタシが認めてやる。だからいい加減、自分を責めるのはめやがれ」


 胸を張ってこちらを励ましてくる”自らの敵”に対して、ティアルムは内心なんだかおかしくなった。

 流石に敵へと笑い声を聞かせるつもりはなかったが、彼女になら自分の信頼を託しても良いと思ってしまったのだ。相手は厄災の魔女、女神の敵であるはずなのに。

 滑稽さを胸に秘めながら、ティアルムは一つ、深呼吸を入れる。


(……女神を信仰する預言者としてのわたくしは、眼を黒く染めて、見えるはずのものを見ないようにしている)


 それは自分を守るための、人間なら誰しも持っているはずの弱さだ。敬愛する女神が本当の敵である、なんて事を信じないために。


(……裸足で今立っているわたしは、涙を流しながら、それでも前に進もうとしている)


 その姿は、トレイスと、そして目の前の憎むべき存在――ヴィルフィと重なった。

 視界は徐々に黒く染められていく。彼女は盲目であり続けようとしている。それは残念ながら、弱い自分にはもうどうしようもないことなのだ。


「――ヴィルフィ」


 だからこそ、内なる彼女は助けを求めた。


わたくしと、戦ってください」


 瞳に広がる漆黒を晴らさんとする、業火に。


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