第13話「世界平和を願う者たち」(16)
ティアルムの目の前に現れたのは、自らが敵と認識している厄災の魔女ヴィルフィだった。
「……女神様は何も仰っていませんよ」
ティアルムはここに連れてこられて何度目かすら忘れた台詞を、ヴィルフィに告げる。
ヴィルフィはいつもティアルムに、女神の声が聞こえていないかを確認していた。女神に繋がる数少ない情報源であり、皮肉にも一つでも多くの言葉を女神から得たかったのだ。それはティアマットの力を解放するため、或いは女神本人に近付くために。
だが元々望み薄だったこともあり、ヴィルフィはそこまで過度な期待をしていなかった。それよりもティアマットの出身を知り龍の力を取り戻す方法を手探りした方が、いつ来るかも分からない女神の言葉を待つよりも有意義に感じていたのだ。
「……んなことはどうでも良いんだよ、アタシの質問に答えやがれ」
それよりも、目の前の預言者ティアルムが崩れるように涙を流していることの方が、ヴィルフィは気になった。
ヴィルフィにとって、別に彼女は敵ではない。味方かと問われれば否定するしかないが、ティアルムの事を憎んでいるとか、そういったものではなかった。
だからこそ彼女の境遇には、半分ほどは自分が起こしたものだとはいえ、同情する部分がある。父親を失った気持ちは自分には分からないが、大事な人が死んでしまった虚無感だけは共感できた。
しかしティアルムはこちらを目の敵にするように睨むだけで、何も返そうとしない。これでは話が進まないだろうと、ヴィルフィは一つ大きなため息を吐いた。
「……まあいいや。預言者、アンタに話がある」
ヴィルフィは胡座をかいた膝に手のひらを乗せて、まっすぐにティアルムの方を見つめる。ミルク色の髪は一応誰かが手入れしているのか、綺麗なままだ。しかし彼女の瞳はあまり眠れていないのか、隈が出来てしまっていて不健康そうだった。
「この前話したよな、アタシたちは聖龍ティアマットの力を取り戻そうとしてる。女神と会うために」
「……ええ、言ってましたね」
「ホントは女神サマから直々に方法を知りたかったが、それが見込めなさそうだ。なら自分たちの足で探すしかねえって判断した」
ヴィルフィたちの決断を聞いたティアルムは、落ち込んだ様子で、ふっ、と笑みを浮かべる。彼女の諦観した表情には、魔石灯の光が差し込んでいなかった。
「……それならぜひ、この拘束を解いてここから逃がしてほしいものですね」
「そのつもりだ」
「まあ性根の腐った魔女ならそんな事をするはずが……えっ?」
思ってもみなかったヴィルフィの回答に対し、ティアルムは驚き目を丸くする。
「別にアンタをどうこうしようなんて思わねえよ。アタシは女神に会えりゃ文句はねえ。……ああ、ただトレイスとリスターに関しては何も言わない事を条件だ。アタシから情報を得るために取った行動だ、手段はちっと横暴すぎたかもしれねえけど、世界平和を願ってるってのはホンモノだ」
「ええ、分かりました、けど……」
ヴィルフィはティアルムの言葉を聞くやいなや、ティアルムの後ろに回り拘束魔法を解くために、ぶつぶつと詠唱をしていた。
トレイスたちを売る気は、もちろんティアルムには無い。元々トレイスの性格は知っていたし、クスウィズンのメンバーがセネシス教に対してどういった考えを持っているかも人それぞれだ。もちろんここで魔女への協力を訴えれば、まず教団と機関の戦いになる。政治的にもそんな事は避けたほうが良い。何よりティアルムはトレイスと戦いたくはなかった。
しかしティアルムの白い後ろ髪を引いているのは、彼女の役割が終わってしまうことに対する空虚感だ。勝手に誘拐しておいて、役割がなくなれば捨てられるのか……ティアルムの心の中には、無価値な自分への諦観が溢れていた。
もちろん王都に戻れば女神の天啓が下りるかもしれない。だが、王都では賢者リートが女神の天啓を受けたという噂が流れている。トレイスの情報からだ、信憑性は高い。自分が王都へ戻ったときに、本当に預言者の座席が空いているのか不安でたまらなかった。
或いは、自分は父親がいなければ教団の一つすら統率出来ていなかったのだ。自分が戻ったところで、一体何が変わるのだろう。
「……だから、なんで泣いてんだって聞いてんだよ」
自らの背後から、自らの敵である魔女からの粗雑な声が聞こえる。
ヴィルフィの言葉によって、ティアルムはまた自分が涙を流している事に気がついた。
「泣いてなどいません」
「どの面さげて言ってんだ」
「そもそも私の事情を、あなたに話す義理がありますか?」
「……へいへい、聞いたアタシがバカだった。預言者サマはお強いこった」
ヴィルフィはそれ以降、黙々と拘束魔法の解錠を進めていく。
強いものか、とティアルムは内心、卑下するように呟いた。敵の言葉だから本当は強がらなければいけないはずなのに、どうしても自分のこととなってしまうと弱くなってしまう。そんな自分にも嫌気が差す、負のループだ。
そしてそんな弱みを醸しているような内心だったからだろうか、ティアルムは解錠すれば明確な敵同士であるはずの魔女ヴィルフィに、一つ質問をしたくなった。
「……魔女ヴィルフィ、あなたはどうしてそこまで女神様に抵抗するのですか?」
「あ?」
「この世界に暮らしている者であれば、女神様を信じない事はまだしも、女神様を殺そうなどと思う者はいません。何が貴方をそこまで奮い立たせるのですか?」
魔女ヴィルフィは、自らの親友であるトレイスと同じだ……ティアルムはそう感じていた。
この世界を滅ぼそうとしているかどうかは置いておくとしても、彼女の女神を倒そうとしている気持ちが本物だと、ティアルム自身も感じている。それはティアルムとは違う、自らの素足で茨道を歩んでいく者だ。だからこそティアルムにとってヴィルフィには、トレイスと同じような熱意のものを感じている。
今まで彼女と出会ったことがなく、あくまで女神から彼女が世界の敵である事を知らされて色眼鏡をつけていた今までのティアルムには、それは分からないことだった。
ヴィルフィはティアルムの質問の意図を推し量り、彼女が何か重大な分岐点に立っていることを悟る。
ヴィルフィは一つ幸せを逃がして、ティアルムの拘束魔法を解きながら口を開く。
「理不尽を仕方ねえ運命だと受け入れようとすると、大抵ロクなことにならねえんだよ」
ヴィルフィの言葉の真意が分からず、しかしそれが真意を得ているような直感だけがして、ティアルムは彼女の言葉に耳を従わせる。
「アタシにもかつて理不尽に苛まれた時期があった。一度はアタシの勘違いって片付けられるかもしれねえけどよ」
ヴィルフィは前世――コトノと呼ばれていた時の事を思い出す。
あの時、コトノとネムは同級生からのいじめ行為に対して、それは仕方のないものだと割り切っていた。世界にはそんなことが溢れている、そんな時には身を寄せ合って傷を舐め合うことが一番大事だと、若いくせに何かを悟ったような素振りをしていたのだ。
しかしコトノの目の前に突き付けられたのは、ネムの死。同級生を殴り倒して全員が床に突っ伏した頃には、自分たちが見えていた世界の理不尽とは如何に大きく見えすぎていたのかを悟った。
そしてこの世界にやってきて、またしても突き付けられたのはネムが女神から意図的に殺されたのだという事実。それはヴィルフィの勘違いなどではなく、女神本人の口から語られた真実だ。
「アタシは既に知ってんだ。理不尽に抗う事をしなかった者が、どれだけ狭苦しい想いをすることになるのか。そして理不尽に抗うことは、決して難しいことじゃねえってこと、も」
――絶対に歯向かうことが出来ないと信じ切っていた存在が、簡単に殴り飛ばせたのだ。だったら”女神”だって、殴り飛ばせるはず。
それがずっとヴィルフィが抱いていた信念、或いは我儘なのだ。
「……貴方は、今もその理不尽と戦っているのですね」
「簡潔に言うとそういうこった。詳しく聞かせろ、なんて言うなよ。アタシが拘束魔法を解く時間じゃ、語り尽くせねえからよ」
ヴィルフィは鼻で笑いながら冗談めかして笑っているが、ティアルムは彼女の言葉を真実味を帯びたものとして受け取っていた。
本来であれば魔女の言葉など、聞き流すべき戯言のように捉えるだろう。しかし彼女がティアルムに伝えた言葉は――それが本当であれ嘘であれ――ティアルムが持っていないものを宿した言葉だったのだ。
よっと、という魔女の声と共に、自らの腕の拘束が解かれた感触を得るティアルム。そして自由になった自らの指で眼をなぞると、まだ温かい涙が指を濡らした。
「――魔女ヴィルフィ」
ティアルムは表情を崩さずに、後ろで足にかかった拘束魔法を解いているヴィルフィの名前を呼んだ。
「なんだよ、何かまだ聞きたいことがあんのか?」
ヴィルフィはティアルムの足の拘束魔法に自らの魔力を流し込みながら、そう返す。
腕と同じ要領で解けそうな魔法だったため、あともう少しだと内心で呟きながら作業を続けている。
「ええ。とても大事なことです」
「なんだよ?」
ティアルムは今から行う質問がもたらす結末を考えて、心臓が張り裂けそうになっていた。
ヴィルフィに投げかけているその質問は、持たざる者ティアルムが真っ向から拒絶するはずの答えが返ってくるはずだ。それを信じることがないはずの自分にとって、質問する意味は全くないと言えるだろう。
だが、それは誰かの靴を履いた存在が否定するものだ。もし仮に自分の中で、自らの素足で茨道を歩く自分がいるとするならば、きっとその質問の答えは自分が前に進むための最も大きいものとなるだろう。
もちろんその答えを受け入れるためには、女神の信者である自分が目の前に立ち塞がるはずだ。そして彼女は強い、弱い本当の自分では太刀打ちできないほどに。
しかし、いやだからこそ、彼女はこの質問を敵であるヴィルフィに問いかけなければいけなかった。
「……魔女ヴィルフィ、貴方が知っている真実を教えて下さい。誰がお父様を殺したのか。どのようにすれば魔災を防ぎ、世界平和を達成することが出来るのか」
そうティアルムが問うた瞬間に、彼女の足の拘束魔法が解除された。
彼女は身軽そうにくるりと回り、ヴィルフィにその表情を見せる。魔石灯の光を反射した涙の粒が落ちていきながら、しかし彼女の瞳は黒々としたものから徐々に色を取り戻しており、そして極めつけには彼女の口角は、僅かだが上がっていた。
「――折角ですから、戦ったとしても誰も来ない、静かな二人だけの場所で」
まるで悲劇のヒロインが助けを求めているかのような、触れば崩れてしまいそうな表情に、ヴィルフィは息を詰まらせながら、それでも頷いた。




