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第13話「世界平和を願う者たち」(15)


 魔女と研究者たちが次の行動の方針を決めていく中。

 一人取り残された預言者は、部屋の片隅で自らの感情と向き合っていた。


(女神様、どうか私にお言葉をください……)


 あれからティアルムのもとには、一度も女神の声が届いていない。

 彼女が預言者という立場に着任する前は、空虚なものだった。父親であり民を想っている預言者ザペルの娘でありながら、何も世界の役に立つことが出来ていない。それどころか預言者の娘ということで、教団員に対して気を遣わせてしまう始末。あのとき自らが感じていた空虚感というものは、生きている意味を見失ってしまうほどのものだった。

 そしてそんな彼女が女神の声を初めて聞いたときに、嬉しさで飛び上がってしまったのを彼女自身がよく覚えている。ザペルから預言者の座を託され、ようやく自らが女神の代弁者として世界平和のために役立てるという意識を持つことが出来たのだ。

 女神の声はとても綺麗だった。自らがその口調を真似してしまうほどに。


(……女神様、どうしてわたくしに何もお声をかけてくださらないのですか?)


 だからこそ今のティアルムは、まるで前の何も役に立たない預言者の娘という立場と同じで、心の中の空虚を感じてしまう。

 あれほど恋い焦がれていた女神の声をしばらく聞いていない……しかも王都では賢者リートが女神の声を聞いたという噂が立っている始末。自らの存在意義というものは、既にティアルムの中で薄れつつあった。

 女神の声を聞くことが出来なければ、自分に生きている価値はない。かつて自分が陥っていたものに、ティアルムの瞳は黒く染まっていく。


「……お父様」


 そしてその瞳から黒が一滴溢れた瞬間、ティアルムは助けを求めるように、自らの父親の名前を呟き、彼の姿を頭の中に思い描く。

 彼女の味方を強いて挙げるとすれば、女神、そして父親であるザペルだった。父はずっと自分のことを気にかけてくれていたのだ。預言者という役割に立つことになってからも、いきなり教団の権力争いに巻き込まないように教団を指揮してくれたり、自分が女神の天啓を聞くことに対して集中できるように取り計らってくれていた。

 だが、彼はもういない。信頼できるトレイスの言っていることだ、あの瞳に嘘偽りはないだろう。間違いなく自らの父親は、死んだのだ。

 そして彼を殺したのは一体誰なのか。ティアルムは頭の中にもう一人の人物の顔を浮かべる。


(……厄災の魔女)


 ティアルムは自らの父親を殺した犯人を、魔女ヴィルフィへと決めつけていた。

 あの魔女は女神を敵視している。だとすれば女神を崇拝している者を殺すのは、動機としては全く矛盾がない。しかも女神の声を聞ける者であれば、なおさらだ。


(……あの魔女の仕業に決まっている、そのはず、なのに)


 だがティアルムにはそれが胸を張って言えるものであるかと言われれば、そうでない気がしていた。だからこそ自分にそう言い聞かせているのだ。

 ヴィルフィはなぜか自分を拉致している。その理由はおそらく教団本部の襲撃時に彼女が言っていた”聖龍ティアマット”の力を取り戻す情報を手に入れるためだ。女神と繋がっているのは現状自分だけで、そこから情報を引き出そうとしていたのだろう。

 しかしそれならば、わざわざ前預言者ザペルを殺す理由にはならない。むしろ殺さないほうが情報収集としては有意義のはずだ。魔女が我が父親を殺すという行動に対して矛盾点を抱えていることも、ティアルムは承知していた。

 ……それを心の奥底に押しやっているのは、共通敵を作り出すという自らの心の弱さだ。そもそも魔女と女神、どちらを信じれば良いかなど百回答えても百回同じ回答をするだろう。

 しかし彼女が涙を流しているのはなぜか。それは父親が死んだという悲劇の他にもう一つ。


『あなたの信仰は、まっすぐで尊いもの。だから信じるべき者を、間違わないで』


 弱い自分が、二者択一に迫られているからだ。

 トレイスの言葉を思い出す。彼女は信頼できる彼女のままだった、だからこそ彼女が抱えている葛藤がティアルムにもわかった。

 しかし葛藤を抱えているのは、自分も同じだということにも気付いたのだ。弱い自分は女神にすがるしかない、しかしその女神の声さえも今は聞くことが出来ない。

 そんな時、自分はどうすればよいのか。自分という存在は本当に、空っぽだったのだ。


「……なんだかわたくし、バカみたいですね」


 ティアルムがそう呟いた瞬間、彼女の黒い瞳から、ぽろり、ぽろりと涙の粒が落ちていく。そして声を殺せなくなり、漏れ出た声はそのまま濁流のように彼女の口から吐き出された。

 父親を失った、女神を失った。そうして気付いた――いいや、改めて思い出した。その二つを取られた途端、自らの中には何も残っていないということを。

 何も残っていない、というのは嘘かもしれない。残っているのは自らの空虚を嘆く自責の念か、或いはそれを誰かにぶつけるという自らの弱さ。

 自分は女神の信者ではなかったのかもしれない、という疑問さえも彼女の中には蔓延っている。ただ女神の声を聞くことが出来る自分を好いていただけだ。女神の声は本物だったとしても、それを美化していたのは自分だ。トレイスにはああ言われたが、自分はそんな大層なものではない。

 自分に比べてトレイスはどうだろう。女神という存在に縛られず、世界の真理に近付こうとしている。彼女は紛れもなく、彼女自身の足で歩こうとしていた。


(……ああ、だからわたくしはトレイスの事がこんなにも好きだったんですね)


 トレイスは自分が持っていないものを沢山持っている、それをなんとなく感じていたのだろう。

 自分は素足で歩くことなく、誰かの靴を履いていつも歩いている。それに比べてトレイスは、たとえ足裏が傷付いても構わず、茨道を歩いていた。

 そんなトレイスの姿に、自分は惹かれていたのだ。……ティアルムはまたしても、自分が何も持っていないことを実感し、俯いて声を殺さずに涙を流す。


「――ったく、なんで泣いてんだよオマエ」


 ふと、ティアルムの耳に乱暴な声が届いた。

 彼女が鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で見上げると、そこにはあれほど憎んでいた存在が目の前に立っている。


「……魔女、魔女ヴィルフィ」


 気まずそうな顔を浮かべた”自らの敵”が、ティアルムの前に胡座をかいて座った。


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