第13話「世界平和を願う者たち」(11)
トレイスは葛藤していた。
確かに預言者ティアルムの誘拐を補助したのは自分で、自分の犯したことに対して何をと言われるかもしれない。
しかし彼女にとって前預言者ザペルが誰かに殺されたということは非常事態だ。彼ありきで自分は預言者ティアルムを誘拐して魔女に協力を申し出ても良いだろうと考えていた。しかし実際彼は誰かに殺されてしまっている。ゆえに教団が混乱しているのだ。
「……トレイス、貴方は今何を考えているんですか?」
ティアルムが心配そうな表情でこちらを伺う。こんな状況になっても彼女は、魔女を目の敵にするという歪な方法ではあるが、自分のことを心配してくれている。
トレイスは彼女の事が少し苦手だった。女神至上主義で、彼女の言う通りに世界が構築されていると信じて疑わない。この世界を自分の力で解明しようとしているトレイスとは真逆の立場だ。
しかし彼女はザペルの娘で、彼の意志を受け継いでいる。だからこそ民を想う慈愛の心も持っているし、世界平和を願う気持ちはトレイスと変わらない。
「ティアルム、一つ聞きたいことがある」
「何でしょう?」
トレイスの思考には、一つの可能性が芽生えていた。それが真実であれば、恐ろしいものだ。
だからこそ怯えるように彼女は、ティアルムに対して一つの質問を投げかける。
「女神の声は、あれから聞こえたの?」
ティアルムは核心を突かれたように、目を開き、息を詰まらせてしまった。
トレイスはティアルムのそんな様子に対して、注意深く観察する。目線を逸らす、気まずそうに体を動かす……明らかに動揺しており、それを話すべきかを迷っている様子だった。
「……厄災の魔女に伝えた通り、私は女神様から何もお聞きしていませんわ」
ティアルムはトレイスと目を合わせることなく、そう告げる。
それはまだトレイスが魔女ヴィルフィに告げ口をするから嘘をついた……というものではなく、本当に何も聞こえてこないという正直な気持ちの現れだ。魔女には牽制のためにあたかも”何かを聞いている”風を装っているが、実際のところ女神の美しい声が恋しくなるほど、誘拐されてから一度も女神の御言葉を聞いていない。
そしてそれがまた、ティアルムの自己を責めることになる。女神が意図していることなのか、それとも意図していないことなのかはともかく、自分は預言者としての役割を失い、無力な一人になってしまっている。彼女が己の手で成し遂げたい世界平和というものは、女神の声がなければ始まらないのだ。
「本当だと信じて良い?」
「もちろん、私とトレイスの仲ですから」
「わかった。じゃあもう一つ聞くよ」
トレイスは最悪の可能性について一つ、危惧していることがあった。ティアルムの身が可哀想だとか、王国民が心配だとか、そういった問題ではない。
ただ一つ、彼女が手に入れた情報が、一連の騒動を繋ぎ止める”何か”があるような気がしてならなかった。
トレイスは息をゆっくりと吸い込む。体中が少しずつひんやりとした空気に満たされ、トレイスの緊張しきった体をほぐす。そしてそのまま息を吐き出せば、体中の緊張の熱が抜けていくようでリラックス出来た。揺れている呼吸はティアルムにトレイスの緊張を感じさせている。そしてひとしきり呼吸を終えて、その氷塊が潜む眼でじっとティアルムを見つめた。
「――王都で女神の声を聞いた者がいる、この人物に心当たりは?」
ティアルムは、えっ、と頓狂な声を上げる。それだけでトレイスには、彼女がこの人物の存在を知らないことが理解できた。
彼女は信頼できる情報筋――王都の魔法学校で同級生の女子生徒マリンから、王都に向かった際にそういった噂があることを聞いている。彼女の情報収集癖は王都のどんな新聞よりも信頼できた。ザペルの殺害について色々と聞いたあと、ふとマリンが女神の声を聞いた人物について話してくれたのだ。
「その人物とは一体誰なんですか!?」
ティアルムが慌てたような素振りでトレイスにそう尋ねる。拘束魔法をしているにも関わらず、体を前のめりにして、また倒れてしまいそうだった。
トレイスはマリンから、その人物が誰かということ、そしてその人物がこれから何をしようとしているのかを聞いている。
そしてその人物は、トレイスもよく心当たりのある人物だった。
「……賢者リート、彼が女神の声を聞いた。そして彼は今、次なる魔災の発生するであろう場所、ジュスカヴ村へと向かっている」
「そんな、あの賢者様が……」
ティアルムはリートの顔を思い出す。もちろんティアルムにも面識のある人物だ。魔女討伐に向かうよう指示したのは、紛れもなく自分なのだから。
彼は悪気の無さそうな好青年で、何かを騙るような人物には思えない。女神の声が聞こえたというのも、嘘をついているとは思えなかった。
彼に女神の声を聞くことが本当に可能なのだろうか。今まで女神の声を聞いてきたのは、ザペルやティアルムなどの預言者の血縁関係にある者だ。特殊な条件を満たした者にこそ、女神の声を聞くことが出来るのではないかと、今までは自然にそう考えていた。
しかし――気乗りはしないが――あの魔女の言葉を信じるのであれば、魔女ヴィルフィも女神の声を聞いているらしい。世界の底に落ちていきながら、女神と魔災の真実について答え合わせをしたという。
バカバカしい作り話だとティアルムは感じていた。それは女神の声を聞くことが出来るのは、自分だけだと信じていたからだ。
――だがもし、自分以外にも女神の声を聞くことができるのであれば。
「ティアルム、一つだけお願いがある」
トレイスが真剣そのものの眼差しで、ティアルムを見つめている。
ティアルムはあまりにも様々な可能性に押しつぶされようとしており、トレイスの言葉を希うことしかできなかった。
「ティアルム、貴方は別に嘘はついても構わない。……でも、自分が信じて良いと感じた人には、絶対に嘘をつかないで」
「トレイスも……?」
「私を信じてくれているのは嬉しいことだけど、伝えたいのはそこじゃない。……誰を信じるべきか、決めるのはティアルムだということ」
トレイスはひとしきり聞きたいことを聞き終わったようで、ゆっくりと立ち上がり、部屋を出ていこうと扉を開けた。
「トレイスっ!」
まるで助けを求めるように、この何も無い空間に放り出される事を怯えているように、ティアルムは目の前の少女へと叫ぶ。
「あなたの信仰は、まっすぐで尊いもの。だから信じるべき者を、間違わないで」
トレイスは最悪の可能性を内心秘めながら、それでもまっすぐに、ティアルムへとそう告げる。
彼女が振り向きざまに見せた表情は、微笑みだった。




