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第2話「王国を襲う魔災」(4)


 王都から街道沿いに東へ歩き、街道から外れてしばらく進んだところに、魔女の森はあった。

 決して遠くはないが、一日中歩いてやっとたどり着く距離にあり、食料や寝具を積むとなると馬車が便利だ。ティアルムから馬車を貸してもらい、リートたちはようやく魔女の森の近くにある河川で夜を過ごすことになった。

 リートの魔女討伐に同行してくれたのは、リートを除き三人いた。

 一人は魔災対策機関クスウィズンの研究者、トレイス。彼女は魔災を引き起こしている元凶かもしれない魔女に、一度相対し、必要であれば殺す覚悟でリートへ着いてきていた。

 二人目はトリンフォア村に住んでいた少女、キャロシー。魔女には個人的な恨みもあるらしく、女神が言っているのであれば元凶に間違いないと、リートに同行している。魔女を絶対に倒したいという思想とは裏腹に、かなり誠実な性格で、リートたちに命を救われた恩返しも兼ねて、一緒に行くことを決めたようだ。荷物に関しても道中の料理に関しても、ほとんどはキャロシーに面倒を見てもらっており、ここまでの旅路でリートの印象が大きく変わった。


「ね、リート」


 そしてもう一人は、ずっとリートの傍で彼を見てきた少女だった。


「なに、ベール?」


 二人は今、荷物の守りを残りの二人に任せて、川に水浴びに来ている。

 もちろん面と向かって裸で水を浴びるのは、双方ともに恥ずかしかったため、一人ずつ順番に水を浴びて、今は靴を脱いで二人で隣同士、清水の冷たさに浸っていた。

 河川はほのかな光を発しており、二人の足の肌色を際立たせる。これは川の中に生えている植物が発光しており、目印になることから、夜を跨ぐ旅人が重宝していた。

 ベールの茶髪はまだ濡れていて、首に髪束が触れていた。髪先から流れる雫が首筋を伝い、鎖骨の方へと流れていく。リートはベールの艷やかさに、暗い森を向くことしかできなかった。


「もし、もし仮にね、魔女が魔災の元凶じゃなかったら、リートはどうするの?」


 それは、リートが旅路の中でずっと考えていたことで、結局答えが出ていない葛藤だった。

 もし仮に魔女が元凶でなければ、自分は王国を、女神を裏切ることになる。世界を敵に回すことになるだろう。

 ただ、リートはこの世界が好きだった。転生前の世界の事が霞んでしまうくらいに、この世界を愛している。

 確かに苦しいことはある。モンスターに襲われたとき、グレンが厳しく稽古してくれているとき、魔災によって村が一つ滅んでしまったとき……リートはこの世界が、酸いも甘いもある世界であることを実感した。

 でもそれは、リートが前世で読んでいた小説の主人公たちだって、同じなのではないかと思う。何か悩み、苦しいことがあって、でもそれを乗り越えられるだけの力が、チート能力がある。リートにとってはそれが魔法の才能だ。あるいはグレンという良き師匠と出会えたこともあるだろう。リートが辛い時に、自らの能力はずっと寄り添ってくれた。

 リートはもう、元の世界に戻りたいとは思わなかった。この世界でなら、生きていく事ができる。

 ……だからこそ、魔女が魔災の元凶ではなくて、自分が殺さないという選択をした時に、世界から嫌われることが怖かった。

 世界から嫌われる恐怖で何も答えることが出来ないリートに対し、ベールは目線を下に向けたままで、口を開く。


「……ごめんね、ずっと悩んでることなのに」


「いや、僕の方こそ、ごめん。はっきりしないと――」


「――はっきりさせなくて、いいよ」


 ベールが突然、リートの言葉に割って入る。

 リートは服を引っ張られる感触で、ベールの方へと向き直る。水色に、あるいは星空の色に染められた彼女の潤んだ瞳が、まっすぐにリートを見つめていた。彼女の濡れそぼった髪が、こんな旅の中でも女の子特有の香りを残している。川の流れる音だけが、リートの鼓動を隠してくれているような気がした。


「ベール……」


「私、リートの決断なら何でも受け入れるよ」


「……僕が最終的に、魔女を殺さないと決断しても?」


 ベールの瞳は揺らがない。


「うん。……大丈夫だよ、王国にはいられないかもしれないけど、もしそうだったら旅の荷馬車に隠れて、隣の国に行こう。魔女みたいにどこかへ隠れ住んでも良いかもね。そうだ、魔女に隠れ住むコツを聞こうよ。どうせ殺さない選択肢をするんだったら、聞けることは聞いちゃえば良いんだ」


「あはは、ベールはたくましいね」


「リートの気が弱すぎるんだって。ああ、あとは別に元凶じゃなかったけど、リートが王国にいたいから魔女を殺しちゃう、っていうのも大丈夫だよ」


「よくそんな事を考えるね……もしそうなったら、僕は罪の意識で大変になっちゃうな」


「半分背負ってあげる。なら大丈夫?」


「できればそんな選択はしたくないなあ」


「うふふっ、そうだといいね」


 いつの間にか二人の間には、笑いが起きていた。二人の間に流れるのは、川の音と、笑い声だけ。

 リートは月並みにも、この時間が一生続けば良いと思った。かなり不謹慎な会話をしているのに、リートの心はずっと癒やされていく。

 それは目の前にいる少女の魅力によるものだ。はにかんだ時に出来るベールのえくぼが、リートにはたまらなく愛しかった。


「ねえリート。もし魔女が魔災の元凶で、倒さなきゃってことになったら……本当に殺すの?」


 ベールが微笑みを浮かべながら、しかし瞳だけはリートを決して離さずに、そう尋ねる。


「……殺す、かな」


「そっか」


 ベールはようやくリートから目線を外し、川に浸した自分の素足をばたばたと上下させる。しばらくして足を止めると、右の人差し指で髪の毛をくるくると遊ばせながら、水底をずっと見つめていた。


「ベール?」


 ベールはリートの方をもう一度向いて、太陽のようにはにかんだ。


「……うん、だったら私も魔女の事を、全力で殺すよ。リートを守りたいから」



* * *



「……ここが、魔女の住処」


 翌朝、リート一行は魔女の森に入り、いよいよ魔女の居所を突き止めた。

 魔女の住む場所は森の奥深くで、ここまでモンスターと出くわして戦ったが、消耗も最低限に収めることが出来ている。リートはいつでも戦う準備は万端だった。


 リートは想像する。この世界を破滅に導く”災厄の魔女”とは一体どのような姿なのだろうか。

 魔女と言えば老婆をまず初めにイメージしたが、年齢は自分と同じだという。そうするとベールのような女の子だろうか。キャロシーの話によると魔導書に執心だったから、不健康そうな魔女の可能性もある。どちらにせよ、殺す事になれば自分はためらうだろう。


(……いや、まずは話し合いだ。自分は真実を確かめに来たんだ)


 リートは昨日の夜、ベールと共に話したことを思い出す。

 たとえどんな決断を下すことになっても、ベールは味方になると言ってくれた。それだけで、魔女と対面する勇気が湧いてくる。

 そしてもし魔女が完全に悪者だったとすれば、自分はこの世界を守るため、女神からの使命を全うするだけだ。

 その勇気と世界への愛情が、リートに魔女の住処の扉を開けさせた。


「――よう、賢者リート」


 その声は、リートの耳へ魔法のように真っ直ぐ届いた。


「――あなたが、災厄の魔女ヴィルフィ」


 その声を、リートは魔女へ剣先を突きつけるように発した。


 三角帽子の影に隠れても鮮やかな、魔力を宿したような紅紫の瞳が、リートの事を真っ直ぐに見つめている。魔女は口角を少しだけ上げて、挑発的に笑っていた。

 燃え盛るような真紅の髪は、肩甲骨で切りそろえられ、左右の端だけが腰まで伸びている。横髪の片方を三つ編みに束ねて、緑色の宝石で先端をまとめていた。前髪は一房だけ鼻筋を越えるように伸びており、魔女の異質さを醸している。

 魔女ヴィルフィは、まるで客人をモーニングへ招くように、落ち着き払ったまま椅子に座っていた。隣接するテーブルの上にはティーカップが一つ置いてあり、その中にはほのかに茶がかった黒色の液体が入っている。


 これが世界を脅かす犯人の姿のように、リートは思えなかった。

 ヴィルフィの姿はとても落ち着いていて、そしてどこじゃ儚げで、まるで深窓の令嬢を思わせる。ファンタジー世界に転生してなお、この光景がリートの中で一番幻想的だった。

 くっくっくと笑うヴィルフィに、リートは腰に据えた剣を手に取る。魔女ヴィルフィは笑みを浮かべながら、頬杖をついて口を開いた。


「賢者リート、一つ聞かせてくれよ。どうしてお前はこの世界を救おうとするんだ?」


 リートは一瞬、心が揺れる。

 こちらが質問をするつもり満々だったのにも関わらず、あちらが先に質問を繰り出してきた。しかもその言い方は、まるでリートたちが何をしに来たのか分かっているような口ぶりだ。

 だがリートは精神を落ち着かせ、魔女の問いに答える。迷いは無かった。


「この世界が、大好きだからだ」


 ヴィルフィの表情に変わりはない。頬杖をついて、リートに興味がある眼差しを向けたままだ。

 続けて魔女が口を開く。


「どうしてこの世界が、そんなに好きなんだ?」


 ヴィルフィの表情はまだ変わらない。リートの心は、先程と違って揺れる事は無かった。

 リートはここまでの、この世界での人生を思い返す。初めて魔法で作られた炎に触れて嬉しくなったこと、ベールと一緒に”おままごと”をしたこと、適当な詠唱で炎魔法を出したこと、グレンに教えを請い剣の訓練に打ち込んだこと、ベールが大人たちの態度に怒ってくれたこと、ベールと一緒に大人たちへ内緒で森へ出かけたこと、その森でベールをモンスターから救い出せたこと、トレイスに魔災の授業をしてもらったこと、トレイスたちと崩壊する村で救助活動をしたこと、ティアルムと話し自らが魔女を殺すか葛藤するようになったこと、ベールがどんな選択でも味方でいてくれると言ってくれたこと……

 この世界で起きたこと、楽しかったことも、辛かったことも、すべてリートがこの世界を好きになるきっかけになった。


「……僕はこの世界で沢山の事を経験した。楽しかったこともあるし、挫けそうになったこともある。でもやっぱり、僕が好きなみんながいて、みんなが頼りにしてくれている僕が、この世界にいる。だからこの世界の事が好きで、だから守りたいんだ」


 リートは真っ直ぐにヴィルフィを見つめて、心からの言葉を彼女に伝えた。

 魔女は少しだけ目線を下に逸らせて、すぐにリートの方へと向き直る。

 笑っているのに、少し寂しそうな表情だ……そうリートは微かに感じた。

 リートは剣に添えていた手を、そっと離す。


「……魔女ヴィルフィ。僕にはどうも、あなたが魔災を引き起こしているとは思えない。真実を語ってほしい、頼む」


 リートは内心、なんて自分は矛盾した事を聞いているのだと思っていた。

 この魔女の住処に入るまでずっと、魔女が完全に悪者で、紛れもない悪意で世界を崩壊させようとしていれば良いのにと思っていた。そうであれば、彼女を殺して世界が平和になって、リートの物語はハッピーエンドを迎えるはずだった。

 しかしリートが今感じているのは、どうかこの人が犯人ではありませんように、という願いだ。この人を殺したくない、この人が悪人であってはならないと、彼のどこかに潜む本心がそう語りかけていた。

 ヴィルフィはため息を一つ、少し寂しさを漂わせる笑みを崩さず、口を開く。


「……いいや、魔災を引き起こして世界を崩壊させようとしているのは、紛れもなく()()()だ」


 魔女はゆっくりと、まるでこの瞬間を崩すのが名残惜しそうに、椅子から立ち上がった。ぐっと伸びをして、近くにある箒を手にとる。そしてリートに箒の先を突きつけた。


「――最終決戦といこうぜ。お前が勝てばこの世界は守られる。アタシが勝てばこの世界は崩壊する。さて、どっちの想いが強いかな?」


 魔女は悲しみを捨てて、強気に、笑っていた。



第2話「王国を襲う魔災」(終)




=== 第1章「転生の賢者」 完 ===


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