波乱
「ビアンカめ、何だか気負ってるな」
そう独白するのは、ロメックスを率いる監督、ロレンツォ・フェラーリである。
実のところ、あのエンツォ・フェラーリとは特に血のつながりはない。エンツォと同郷のモデナ市出身で、実はモデナ市ではフェラーリは比較的ありふれた苗字でもある。
しかし、縁あってエンツォがビアンカの伯父をロメックスへ斡旋したのが切っ掛けで知り合いとなる。また、ロレンツォも1932年生まれで、奇しくもエンツォが溺愛していた息子、ディノと同い年でもあったことから、非常に可愛がられた。
当時、次第に復興しつつあった経済情勢にあっても尚、四輪のレースは少なく、言わば畑違いの二輪とはいえレースノウハウを得られるのには違いないことから、牙を研ぎ続ける目的でフェラーリのエンジニアをロメックスに派遣していた。だからこそ跳ね馬のエンブレムが輝いていたのである。
余談ながら、F1は確かに戦前行われていたグランプリ・フォーミュラの後継として四輪レースの最高峰に位置付られてはいたが、当時世界的にはまだまだマイナーな存在でしかなく、それが大きく変わり始めるのは恐らく80年代からであろう。
21世紀現在ではサッカー・ワールド・カップに次ぐプレス動員数を誇るが、嘗てはのんびりしたものであった。
SSDを追うようにコースインしていったビアンカ。ヘルメットの中で呟く。
「あのSSD、マン島では初出場で全車完走し、剰えSとXで最上位は5位と4位。果たしてそれはフロックだったのか、それとも本物なのか、確かめさせてもらうわ」
それは、ビアンカの、女特有の勘と言うべきか。ビアンカは、明らかにSSDを潜在的脅威と見做していたのである。
ウォームアップしつつ追っていると、やがて特徴的な赤のシルエットが見えてきた。どうやら、SSDもまだウォームアップ中のようで、それ程ペースは上げていない。
「そういや、SSDはスリックを使ってるんだっけ?ある程度温まらないとグリップしないから、慎重に走らざるをえないという訳か」
更に、その間もビアンカはマシンの挙動も見逃さず観察する。
「前回のマン島と比べ、明らかに挙動が向上してるわね。さては、改良型を送り込んできたか?」
そして、最終シケインを抜けホームストレートに入ったところで、SSDはスピードを上げ始めた。タイムアタックに入ったようだ。ビアンカも追随してタイムアタックに入る。
ふと、スタートラインを抜けた時、翔馬は後方から異様に甲高い音が迫って来ていることに気付いた。それは、明らかにマルチシリンダー特有の音であり、Xでマルチシリンダーと言えばロメックス、トライアンフしかいない。
翔馬は、チラリと後方を見た。
「あ、あのシルバーのシルエットは、ロメックス。それも王者のビアンカ・ロッシじゃない」
さすがの翔馬も、これには一瞬ビビってしまった。何しろ自分をマークしているように見えたので。その上、翔馬とビアンカの年の差は二年程しかないのだが、やはり王者となったが故か、実際にはそれ以上の年の差があるように感じてしまう。そう、王者とは、そのくらい近寄り難いオーラを放つのだ。
そして、第一コーナーへ先に突入したのはロメックスであった。やはりマルチシリンダー故伸びではSSDに優っていた。
この時、翔馬にある考えが過った。
「せっかくだし、王者の走りを観察しようじゃないの」
すかさず、ビアンカに食いついていく。まさか、既にタイムアタックに入っているとも知らず。ビアンカはまだまだSSDに負ける気はしないと思っていたので、時折後方をチラ見しながら観察するつもりでいたのだが、これが意外な展開へと繋がることに。
くどいようだが、アッセンは最高速の低い中速テクニカルに属するとはいえ、息つく間もなくすぐにコーナーが来る上、タイトコーナーが少なく、それとシケイン以外はほぼアクセルワークで抜けていくようなコーナーで構成されている関係上、ほぼ高いアベレージのままマシンをこじくり回す、実はWMGPカレンダーでも屈指のハードコースである。
それ故当時、実はマシンの差が出にくくレーサーの腕の度合いが大きく出るコースでもあった。このため、プライベーターでもワークスに互角の勝負を挑める数少ないコースでもある。そして、気まぐれなダッチ・ウェザーは多くのドラマを生んだ。
何より、実はアッセンはビアンカが初勝利を刻んだ記念すべき地でもあり、自身が王者の道を歩む切っ掛けとなったコースでもある。
マルチシリンダーならではの安定したエンジンブレーキを巧みに駆使しつつリズミカルにコーナーを抜け、スムーズにストレートへ立ち上がって行く。意外にも豪快なスライドは殆ど見せない。アッセンでは反ってタイムロスになるからだ。それでもコゼットと比べると、その動きは激しい。
「うひ~っ、さすがは王者。豪快ながらもスムーズな走りだわ。でも、私も負けない。こんな場所は日本でも何度も体験してるしね」
ビアンカに執拗に食らいつき、その上その走りのエッセンスを吸収しようと貪欲になっている翔馬。翔馬は四気筒ならではの強烈なエンジンブレーキの特性を活かし、自身が得意とするスライドコントロールに繋げていく。また、改良されたマシンはハンドリングが大幅に向上しているのも手伝い、翔馬の想いに見事に応えてくれる。
以前マン島を走り抜いたせいだろうか、翔馬も走っていて幾分余裕を感じていた。
その光景に、ピットはざわつき始めていた。特にロメックスの様子が慌しい。
監督のロレンツォは、計測係に尋ねる。
「一体どうなってるんだ」
「あのSSD、ショーマはビアンカに遅れること僅か0.3秒です」
そう聞いて、耳を疑った。だが、内面はラテン的に熱い男ではあるものの、ロレンツォは非常に冷静かつ現実主義者でもあった。
「このアッセンなら。そういうことも有り得るか」
それは、アッセンならではの特性であり、当人も他のクラスでワークスがプライベーターに敗れるケースを何度も見ていたことから、ひょっとしてビアンカの心配事は杞憂ではなかったのではと考え始めていた。
そう、翔馬も脅威なら、SSDも脅威かもしれないと。いくらライダーズ・サーキットと言っても、ある程度の戦闘力はやはり必須だからだ。
その頃、ビアンカは予想もしなかった光景に、内心焦りを感じていた。
「おかしい、引き離せないわ」
翔馬は、何とビアンカをピッタリマークするように追随していたのだ。アッセンはテクニカルサーキットとはいえ、高速でこじくり回すという特性故、6気筒にとっては有利な筈なのだが、コーナーに入る様子をチラ見すると、その強烈なエンジンブレーキと、4気筒ならではの立ち上がりの早さ、そして良好なハンドリングを活かしつつ巧妙にスライドコントロールさせながら食らいついていたのである。
それだけでなく、ハングオフスタイルを駆使しているが故の有利さもあった。
翔馬はこの時まだ気付いてなかったが、新たな領域へと開眼しつつあった。それは、世界で戦っていく上で必須と言えよう。
また、翔馬だけでなく、少し離れて雪代とエイミーも食らいついていたのである。
実は、マシンのエンブレは思った以上に強烈で、それ故挙動が急激に不安定になるのが悩みでもあったが(マライソムの、あの転倒の原因でもある)、翔馬は寧ろその特性を積極的に活かし、挙動不安定な状態を武器にして素早いスライドに繋げコーナーへ進入する術を会得し、ハングオフと共に武器にしていった。
また、マシンの特性に次第に慣れていったのもあるのか、いつしか他のメンバーからも不満の声は聞かれなくなっていく。寧ろその特性を積極的に利用するようになる。
でもって、ピットでざわついていたのは、SSDもだった。
「あのバカ、ビアンカとやり合ってどうすんのよ」
久恵夫人の心配をよそに、メカニックは大興奮。掲示板に映し出される予選の様子を見ると、この時翔馬は何と暫定2位。これには紗代たちも唖然。因みにグループSでは既に予選順位は確定しており、紗代が6位、英梨花が7位、マライソムが9位、佳奈が10位を占めていた。佳奈にしては珍しく低い順位だが、これはミッショントラブルが原因であった。
「お~お~、いいぞいいぞもっとやりなさ~いっ!!」
と、煽る始末。
しかし、その様子に刺激されたのか、大急ぎでマシンに飛び乗るライダーが。
それは何と、グリーン・アローことトライアンフのバーバリー・シーンであった。実を言うと、バーバリーもこのアッセンが記念すべき初勝利の地であり、これを切っ掛けにバーバリーとトライアンフは王座まで駆け抜けていったのである。
この時、バーバリーは暫定1位だったのが3位。つまり、取り返しに行ったのだ。
「私も負ける訳にはいかないのよ」
そして、ウォームアップを終えると鬼気迫る走りでとにかく攻める、攻める、攻める。
その様子に、これ以上は危険と感じたのか、SSDとロメックスはほぼ同時のタイミングでピットインを指示した。
やがて、戻って来たロメックスとSSD。翔馬に至っては、肩で息をしている。
「言わんこっちゃない。あれ程言ったでしょうが、無理はしないようにって」
「でもさあ、王者と直接やり合えるなんてなかなかないからさあ、つい夢中になっちゃって」
テヘペロしつつ、メカニックから渡されたサイダーを一気飲みし、翔馬は言葉を継ぐ。
「でもこのアッセン、その気になれば、トップクラスともやり合えるような気がするんだよね」
この時、翔馬が何気に放った一言が、SSDにも大きな影響を与えることになるのを、当人は知る由もない。それは、自分たちは世界とも戦えるんだという、自信であった。それは、まだ小さなものだったが、次第に大きくなっていく。
一方、ピットに戻って来たビアンカも、珍しく肩で息をしていた。そんなビアンカに、心配そうに声を掛けるロレンツォ。
「おい、大丈夫か?ビアンカらしくもない」
「あ、あのSSD、本物だったわ。確かにアッセンという特殊な条件も絡んでるとはいえ、間違いなく本物だわ。この先要注意ね」
ビアンカの危惧は、やがて現実となっていく。何より、この時のビアンカの心はカプチーノをぐちゃぐちゃに掻き回したかの如く乱されていた。
彗星の如く現れた脅威。それは、極東の島国からやって来たのである。そして、想定外の新勢力に他ならない。
欧州からの新勢力ならともかく、ビアンカにとっては信じ難かった。突如現れた無名の新勢力が、ビアンカの内心を掻き乱していたのである。
結局、予選終了間際にバーバリーがビアンカを0.1秒上回りポールを奪還(この時代、計測はまだコンマ1秒までであった)、2位ビアンカ、そして3位は翔馬となった。
マン島で初出場したばかりの新参チームがいきなり3位をゲットしたことに、周囲からの注目はイヤでも高まる。
ザワついていたのは、ロメックスだけではなかった。
また、コースの片隅では密かに、
「まさか、あんな光景が撮れるとは思ってもなかったわ」
「ああ、全くだ」
そう、月刊モーターの専属カメラマン、羽矢と拳である。SSDが急遽WMGPに参戦との報を知って派遣されたのであった。
掻き乱された心境が、決勝でビアンカにどう影響することになるのか。
どのみち、波乱の予感しかしないのは確かである……




