アッセン
アッセン・サーキット。それがダッチTTの舞台である。尚、二輪レースに於いて、伝統あるレースを慣習的にTTと呼ぶこともある。つまり、ダッチTTはそれだけ長い伝統を誇る。
ダッチTTが初めて開催されたのは1925年(大正14年)。アッセンサーキットに於いて開催となったのは翌年からで、以降開催地は変わっていない。この時のコース全長は16.536㎞あった。
現在まで使われ続けることになるコースの原型が完成したのは1955年である。因みに自転車王国らしく、2009年にはブエルタ・ア・エスパーニャのステージの一つとしてここが使われている。
余談だが、ブエルタ・ア・エスパーニャは開催ステージを転々とすることから自転車版GPレースと解釈してもいいだろう。
海外では自転車レースも日本以上に盛ん且つ伝統も長く、ブエルタも1935年から開催されていて、1903年のトゥール・ド・フランス、1909年のジーロ・デイターリアと並んで権威あるレースの一つでもある。
話を戻そう。
SSDが挑む当時、アッセン・サーキットは6㎞に及ぶ長さがあった。今は大きく改修され、2006年(平成18年)から5㎞を切ったショートコースになっているが。
尚、本来の長さは7.7㎞であり、当時改修工事中で、来年から元に戻る予定で、今回は仮設コースでの開催となる。
尤も、マン島TTは別格として、全長が10㎞を超えるサーキットなど珍しくもなかった時代、アッセンが特別に長いという訳ではなかった。
現代、長い伝統を誇るロングコースは年々淘汰される傾向にある。というのも、元より設計が古く、エスケープゾーンが無いに等しいケースも少なくなく(基が古いので改修にも限界がある)、マシンの高性能化による事故の多発、広い範囲にマーシャルを割くことによる対応困難事例の増加、更にロングコースは基本的に高速サーキットも多く、マシンの進歩によってレーサーの疲労や消耗も激しくなり、一層危険性が増したことやオーバーテイクのチャンスが減ったことなどから、客が白ける所謂ゴミ時間も無視できなくなりつつあり、安全性と公平性の担保、モータースポーツが世界中に広まったことによって興行としての体裁が整い、観戦人口増加に伴うチケット高額化、地上波専門問わず放送局も高額の放映権料を支払っていることなどからメディアやスポンサーからの要求も無視できず、支払う価値に見合うエンターテイメント性確保の側面からもテクニカルコースが増加傾向にある。
特に歴史の浅い新興国での開催ではそれが強く意識されていると言えよう。
また、生き残った高速サーキットも、長いストレートにシケインを設けるなどの改修は避けられず、超高速でかっ飛ばしていく光景は、過去の物になりつつある。
決定的だったのは1976年(昭和51年)に発生したF1ドイツGPに於いて、当時22㎞にもなるニュルブルクリンク北コースが使われていたのだが、前年度のチャンピオンであったニキ・ラウダが大クラッシュに遭い、危うく命を落し掛けたことにあったとみて間違いない。
1984年のF1でもニュルは使われているが、その時は全長4㎞少々の南コースであった。
北コースそのものは今も健在で、自動車メーカーにとっては、長いコースに様々な要素が凝縮していることによって有意義なデータが回収できることから、主に高性能モデルによる格好のテストコースとなっており、特にスーパースポーツ、更にハイパーカーにとっては、ニュル北コースでのラップタイムが性能指標の一つとしてアピールポイントにもなっている。
マン島TTも以前から危険性が問題視され、この頃になるとボイコットするGPライダーもいたことなどから奇しくもこの年を以てGPカレンダーから外れることになるが、ニュルの大事故と無関係だったとは思えない。
そんな歴史的背景をよそに、SSDの面々は一足早く現地入りし、早速プラクティスを始めた。
最初にコース入りしたのは雪代であった。
長いピットロードを経てコース入りすると、雪代は何処か懐かしい気分になる。
「随分狭いし、何だか農道を走ってるような気がするぜ。これって、嘗て走ってた嵯峨野とよく似てるじゃねえか」
コースに入ってすぐに迫る第一コーナー、ハールボシュトは比較的緩い方なのだが、入り口の半径が急な上にカントが付いているようにも見える。その上、雪代には路面が荒れて見えていた。
下見なので流すように走っていたのだが、それでも結構なデコボコ感も伝わってくる。本能的に、コレってかなりヤバいんじゃないか?と思ってしまう。
雪代も旧家出身であり、海外情報も幼少期からそれなりに触れていて、無論その中には二輪関係も含まれていた。写真から伝わるサーキットの様子は路面ももっと綺麗な気がしたのだが、実態は大きく異なっていた。
雪代が思ったのはそれだけではない。
「ヤベエ、ヤベエよ」
流して走っているにも関わらず、次から次へとコーナーが来るような錯覚を覚えるのだ。マン島でも似たようなものではあったが、ここアッセンは休む暇がないように感じられる。マン島でさえ休めるポイントがあったというのに。
流して走ってるとはいえ、雪代は一周走ってその特性がすぐに分かり、そして戦慄した。
二周目を終えてピットに戻り、ヘルメットを脱いだ雪代の表情は半ば青褪めていた。
「おい皆、このサーキット、マジでヤベえ!!」
翔馬と並んで恐いもの知らずの雪代がそう言うので只事ではないと思った久恵夫人は、一旦コースに出ようとしたメンバーに戻るよう促す。そして、当時は今と比べると掘立小屋に近かったガレージで雪代が説明を始める。
「恐らくこのサーキット、最高スピード自体はそんなに出ねえ。何しろ次から次へとコーナーが来るしよお。その意味では浅間に似てるかもな。けど、キツめのカーブは殆どスピード落とさず走れるとこばっかだから、思ったほど楽じゃねえ。それに路面は狭いしガタガタだぜ。あたいたちはトンデモねえとこに来ちまった!!」
そう、雪代の説明が、アッセンの本質を物語っていた。あの雪代がそう言うので、余計に説得力がある。この時代、雪代を始めメンバーの大半が所謂公道世代であり(英梨花でさえ走ったレースの大半は公道である)、当時は交通量が少なかったのも幸いして各地で公道を臨時閉鎖してレースが行われていたので、エスケープゾーンなど皆無の上に当時の舗装技術の低さもあって、荒れた路面を走るのも慣れていた。
アッセンはまさに自分たちが嘗て走った場所とよく似ているが、一つだけ違うところがあった。
「一見するとコース形状は走り易そうだし、最高速は出ないと思ってると痛い目見るぜ。その上コーナーは思った以上に傾斜がついてる」
そう、アッセンは平坦で最高速は出ないが、平均速度は意外に高く、その上日本ではあまり見られないカントが付けられているのだ。因みに21世紀現在でも最高速は300㎞/hに届かない。
また、オランダは国土の大半を干拓して造成している関係上、地理的要因もあって風の通り道にもなっており、折からの潮風の影響もあって路面状態もかなり荒れている。これは、一部が普段は農道として使われている所為もあった。このため、開催が近づくとレース用ラインを刷毛塗したり、スリップ防止のためセンターラインを焼消していた。
実は、他に雪代も気付いていないこととして、アッセンのコース断面図は水捌け等の関係で路面は蒲鉾状になっているのだ。これが後に様々な要因も重なり、思った以上にメンバーを苦しめることになる。
そして、現在のアッセンのコース幅は14mあるが、当時は7~8mくらいしかなく、狭い。マン島や日本の公道よりは広いだろうが、何しろスピードも違うので比べ物にならない。
「ふ~ん、なるほどねえ。さすがは世界に相応しい舞台という訳か。これまた空港同様なかなかのお持て成しじゃないの」
冷静に話を聞いていた翔馬であったが、後の証言では、強がっているようにしか見えなかったとも。また、言っていたことはジョークだったのか皮肉だったのか。
だが、雪代の諫言を最も思い知ることになるのは、他ならぬ翔馬であった。
雪代の説明を受けて、マシンはガレージの奥に格納され、セッティングが見直されることになった。ギアは加速重視となり、エンジンも立ち上がり重視に変更せねばならない。
ガレージが慌しくなるのを傍らで見ていた久恵夫人は、密かに独白した。当人も、表向きは平静を装っていたが、内心は不安だった。GPレースの第一歩からして、コレであるから無理もないだろう。
「フフフ、世界のお持て成しは、思った以上のようね……」
アッセンサーキットにつきまして、IOMに登場するのはオールドコースの情報をベースに、2005年のコースレイアウトを組み合わせております。
コース概要はコチラ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA_%28%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%29#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:TT_Circuit_Assen_2005.svg




