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マライソムの正体と、人殺しの真相

 スキポール空港から特別列車に乗って揺られること約2時間後、一行はアッセンに到着した。

 途中の景色はなかなかのんびりしたもので、中でも自転車の姿が目に付く。そう、オランダと言えば世界にその名を知られた自転車王国である。

 

 尤も、そうなるのは1970年代に入ってからのことだが、既にこの頃から自転車は文化として根付いていた。オランダは国土が狭く、その上干拓して作られた国土は平坦な場所が多いことも、自転車が古くから広く利用される要因であったと言えよう。

 

 因みに、そんなオランダで1970年代に入り、世界有数の自転車大国として更なる飛躍を果たしたのは、オイルショックが関係している。

 それだけでなく、第二次大戦後、復興を早めるために道路事情が自動車中心に作り替えられた過程で交通事故が増加し、特に子供の犠牲が多かったことも背景の一つであった。

 当時はまだその前夜であり、自動車中心の時代であったが、それでも自転車が多く目につく辺り、伝統というのはそんなに簡単に絶えるものではないということだろう。

 自転車がまだまだ多かったのは当時の日本も同じで、事情は大きく異なっていたが、その光景に一行はつい故国を重ねていた。


 アッセンに着いた一行を出迎えたのは、伝統あるオランダ様式、典型的なダッチネオルネサンス様式の荘厳な建物であった。それこそがオランダ有数にして欧州にもその名を知られたチューリップ・ホテルである。


 一歩内部に入ると、そこにはオランダロココ様式による当時の日本人が思い描く華麗な光景が拡がっていた。当然のことながら、写真で見たことのある面々でも実際の光景に圧倒される。

 ダッチTTを間近に控えてるのもあってか、チューリップホテルを始め、周辺のホテルはほぼ満室であり、お客さんの姿が非常に多い。無論このホテルを訪れるのはほぼセレブであったが、そもそもレース文化にせよスポーツ文化にせよ上流層の遊びから始まってるので、彼らの間で如何にレース文化が浸透しているかを物語る。

 育った文化の違いを思い知らされるのだった。何しろ当時の日本国内のレースの光景と来たら……つい誰もが自虐的になってしまう。


「では、皆さまはこちらにご案内します」

 先程釈明に加え案内係を務めていたこの紳士は、我が庭とばかりに一行を案内する。そこは限られた賓客だけが案内されるこじんまりとしたダイニングルームだった。無論、内部は宮殿と見紛う程に華麗だ。

 そして、皆が着席したのを確認し、紳士は先の女性と共に自己紹介。

「皆さま、遥々日本からようこそ。私がチューリップ・ホテルオーナー、ヨハン・ミドルブルクでございます。そして、こちらが妻のカトリーナ・ミドルブルク、娘のユリア・ミドルブルクでございます」

 この紳士の正体は、オランダ有数にして欧州有数のホテル、チューリップ・ホテルのオーナーであった。でもって、このホテルを予約したのはマライソムであり、誰もが一体何者なんだよとマライソムに視線を集中させ訝しむ。


「ラソム、お前一体何者だよ」

「ボクが偉い訳じゃないけどね」

 と、そこへヨハンが説明を加えた。

「彼女の御実家であるアユタヤ家は王室とも親戚関係にございまして、彼女の父のたっての願いとあっては、お断りする訳には参りません。当ホテルはタイ王室も常連ですから」

『えええええええええ~~~~~~~~っ!!』

 そう聞いて、一同素っ頓狂な声を上げる。小規模といっても結構な大きさのあるダイニングルームに暫く声が共鳴した程であった。

「加入した頃から何だか只者じゃない雰囲気はあったけど、アンタの家、王族と親戚なのお~っ!?」

「隠しててごめん。もしも王族と親戚だってことがバレたら入れないかもって思ったし」

 と言いながらテヘペロのマライソム。そのことから王族と親戚にあることを鼻にかけていない様子。しかし、マライソムの正体が明らかになったことで当然大騒ぎ。マライソムは続ける。

「今、こうして我が国があるのは日本のお陰だし、自分たちが世界中で事業が出来るのも日本のお陰だから、お父様は何処かで恩返しが出来ればって、いつも言ってた。だからこういう形で恩を返せて本当に光栄だと思う。この先、サーキットの近くで最上級のホテルを予約してくれてるから、何の心配もないよ。あ、お金は気にしないで。お金で済む程安いものはないからって言ってたから」


 しかし、その様子にカトリーナは不快な表情になる。でもって、ユリアはその様子に怯えていた。それに気付いて久恵夫人が気に掛ける。

「あのう、具合でも悪いのですか?」

 ヨハンがフォロー。

「気にしないでください。彼女もまた、戦争の傷を背負っているのです。カトリーナの家は貴族の家系で、戦前は銅や錫鉱山、ゴムのプランテーションで大変な栄耀栄華を誇った家でした。しかし、あの戦争で、彼女の実家は何もかも失い、彼女の父は失意の中で自ら命を絶ちました。我が家に嫁いできた彼女に遺されたのは、たった一つのブルーダイヤだけだったのです」

 

 そう、オランダはインドネシアなどの植民地から嘗ては巨万の富を得ていた。しかし、大東亜戦争勃発で南方の資源確保こそが生き延びるために必須であった日本は、パレンバン降下作戦を始めオランダの植民地であった当時のジャワ、スマトラといった島々に大規模な作戦を展開した。

 更に、戦後にはスカルノ率いる独立軍に残留日本軍の支援が加わり、独立戦争にオランダ軍は敗北し、インドネシアとして独立。オランダにとっては踏んだり蹴ったりであった。

 こちらとしても言いたいことは山のようにあったが、久恵夫人が制するので黙って聞いていた。だが、見方を変えれば、彼女にとっても悲劇であったことは間違いない。

 貴族というのは洋の東西問わず誇り高い。それが何もかも失ったとなれば、その喪失感は察するに余りある。

「その上、彼女は叔父をジャワで亡くしております」

 そう、カトリーナは実家の栄耀栄華を失ったのに加え、空軍パイロットであった叔父が戦死するという悲劇にも見舞われていた。

 戦争というのは、結局のところ双方に傷を残すのである。ましてや戦争が終わってまだ13年しか経っていない。


『………………』

 これには一行もさすがに言葉にならない。立場は違えど戦争の傷に対しては共感できるからだ。更に、カトリーナも冷静になったのか、申し訳なさそうに、

「空港ではあんなこと言って申し訳ありません。貴女方が悪い訳じゃないのに」

 そう、これが、彼女が空港で『人殺し!!』と叫んだ真相である。

 黙って聞いていた一行だが、英梨花と雪代の胸中は取り分け複雑であった。それもそうで、英梨花は元華族の出自だし、雪代は父が公職追放となり、それによって旧家の看板は汚れ、結果過酷な幼少期を送った。

 それでも、生活自体は周囲と比べると非常に恵まれていたことも確かだった。何しろ周囲はそれこそ戦後数年は今日食べる物が手に入るかどうかの戦いであったことも知っていたし。

 嘗ては敵対関係だったにせよ、直接的な利害関係になかったからこそ冷静に聞いてられたのかもしれないが、立場は違うにせよ、何もかも失うつらさには共感してしまう。


 と、そこへ……


「ママ、お腹すいた~」

 ユリアの一言に、場の重苦しい空気は一瞬にして和んだ。

「ゆ、ユリアってば、はしたないわ」

「そう言えば、もう夕刻ですし、頃合いですな。では、皆さんには早速お夕食を用意いたします」

 ヨハンはそう言って慌てて駆けだす。先程まで沈鬱だった一行も、これには笑うしかない。

 

 最後は、子供の一言に救われたのだった…… 

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